いかに生き、いかに死ぬか

圓應寺 住職法話

住職法話 第138回

緩和ケア医療に学ぶ生と死
【生と死の考察】146~150

「印象に残る檀家さんの死」

前回までのこの項では、3回に亘って私の入院について述べました。今回は元に戻って、檀家さんの中で印象に残る方の死についての5回目です。

Ⅱ-146 印象に残る檀家さんの死 ⑤-ⅰ ~ 夫が支えた難病の妻の死 ~

グランドキャニオン

 T子さんは、次男の結婚披露の慶事に合わせるように、腰痛症状が出現。以後、日に日に状態は悪化し、歩行も困難に。家人ともども各地医療機関を受診するも、診断確定ならず。巡りめぐって数ヶ月後に、神経難病専門医によって、有病率、10万人に5人前後と言われる神経難病「ALS(筋萎縮性側索硬化症)」の確定診断を受けることに。ご本人・夫・子供達を始めとする家族は、医師による病気の原因と治療、その経過と予後の説明に「ただただ愕然、頭真っ白」(夫)の境地に突き落とされたのでした。

Ⅱ-147 印象に残る檀家さんの死 ⑤-ⅱ ~ 夫が支えた難病の妻の死 ~

 その後何回かの入退院と月日を経て、同じ病気と闘う患者さんや、患者の組織「ALS協会」等での話を聴く中、次第にこの病に正対できるようになったのです。「人としての成長」と即言出来るほど生やさしいものではないにせよ、大きな節目を迎えることに。

 しかし、発症3年が経過した頃、生活が大きく変わる気管支切開、続いて胃瘻の造設術を受けることとなりました。特に気管支切開術後は、声出しが困難となり、コミュニケーションは筆談、そして透明文字盤によることに。その先には人工呼吸器装着を意味することに。

 ALSの患者さんにとって人工呼吸器の装着は、迷い迷いの選択です。その装着は、介護の中心である家族に、長年に亘る介護の継続が必須条件となることを意味するのです。多くのALSの患者さん、そして家族が、必ずや直面する難題です。そしてその機械の装着を、時に回避する事例も有ることを耳にします。

 T子さんも悩み悩みの中、人工呼吸器装着の選択をされました。

Ⅱ-148 印象に残る檀家さんの死 ⑤-ⅲ ~ 夫が支えた難病の妻の死 ~

 その心境についてT子さんは、ALSの患者さんを中心とする全国組織「日本ジャルサ協会」の山形県支部発行の刊行誌「ジャルサやまがた」に、「妻から夫へ夫から妻へ」の病手記を掲載されました。その紙面に於いて「『気管支切開』と言われたときは、ただただ泣くしかありませんでした。しかし息子達に『孫達の成長を見て貰いたいし、頑張って生きて貰いたい』と」説得され、装着する気力が生まれたと記述しています。

 T子さんは良き家族に恵まれるとともに、前述の刊行誌に、夫が「とにかく、いい人達と沢山巡り会うことが出来て、言うことないよな」と述べられているように、ケアマネージャー、ヘルパー、訪問看護師、時には看護学生等の、医療と福祉の良き専門家に恵まれ、在宅療養を続けることが出来たのでした。そしてそれを可能にしたのは何よりも定年前に退職し、夜間を中心とする24時間介護に全力で当たったすばらしい夫に恵まれたからでした。

 人は、生きるものである以上、何時かは死を迎えなければなりません。人生には限りがあります。その限りある人生を「いかに生き、いかに死を迎えるか」が、私たち人間にだけ与えられた課題です。

Ⅱ-149 印象に残る檀家さんの死 ⑤-ⅳ ~ 夫が支えた難病の妻の死 ~

 T子さんと家族は生きることの困難さを乗り越え、生きる意味を十分に発揮されました。夫は、妻のことを「お母さん」と呼んでいます。「お母さんがね‥‥『早やく寺に行って爺さんと婆さんの法事の予約をして来てよ』と言うんだわ。」「お母さんはオレなんかよりずっと頭がしっかりしているんだ」と。夫が住職に語りかける目は光り輝くものでした。そこには、たとえ寝たきりの状態であれ、生きて意味をなしているT子さんの存在そのものに、大きな大きな意味がくみ取れたのです。

Ⅱ-150 印象に残る檀家さんの死 ⑤-ⅴ ~ 夫が支えた難病の妻の死 ~

 仏教は、死後の世界のみを語るものではありません。死を意識しながら限られた人生をいかに生きるかを問うのが仏教の真髄です。T子さんは11年間に亘り、困難で実に不自由な人生を送りました。しかし単に、生きてそこに居たのではなく、孫という一つの目標を持ち、人としての布施行。つまり自分以外の人々のために何かを為すこと。これこそが仏教の「いかに生きるか」の教えなのです。Tさんは、人生の終焉まで、見事に布施行を実行されたのです。

 これを踏まえ私は、葬儀で読み上げた諷誦文で「由って導師茲に、釈迦の弟子としての証である戒名に、うやうやしく院号を付与するものです。又、貴女を看取った夫をはじめとする家族、そして関係者の面々、布施行の大実行、これ又、見事と言う他有りません。お釈迦さまの教えを見事実践された一同に、深く敬意を表するものです」と読み上げたのでした。

 T子さん家族にとって「ALS協会」の存在と協会が果たした役割は実に大きなものでした。仮にT子さんの病を家族だけで抱えてしまったとしたら、ご自身も夫もそして家族も生きて意味をなす11年間にはならなかったのではないかと思うのです。協会の活動に私からも感謝です。

※ 2020年9月付「筋萎縮性側索硬化症(ALS)女性の積極的安楽死と嘱託殺人事件について」と題して述べました。その中で患者さんの団体との交流の必要性についても述べました。参照ください。