いかに生き、いかに死ぬか

圓應寺 住職法話

住職法話 第114回

有限の人生そして死を意識して
【「いのち」の考察】122-128

「筋萎縮性側索硬化症(ALS)女性の積極的安楽死と嘱託殺人事件について」

 この項では、2回に亘ってNHK「マイあさラジオ」の「健康ライフ」で放送された「人とのつながりが寿命を延ばす」の内容を紹介すると共に実生活について述べましたが、今回はこの内容を一時中断して、去る7月23日に発覚した筋萎縮性側索硬化症(ALS)女性の積極的安楽死と嘱託殺人事件について述べます。

Ⅲ-122 事件の経過と概要

境内にトンボがいる写真画像
境内にて

 「今年(2020年)7月23日、筋萎縮性側索硬化症(ALS)の女性患者の依頼を受け、薬物を投与して殺害。京都府警が2人の医師を逮捕」との報道が全国を駆け巡った。この事件は、人の生きる権利、自身の死を巡る考え方、医療福祉制度、社会の目と考え方等々、多くの問題を内包し提起していると考え、この事件について考えてみたいと思います。
 尚、今回の問題と共通する、延命治療、尊厳死、安楽死、法制化の動きなどについては、当ホームページ「Ⅲ 有限の人生そして死を意識して」の項で、2016年2月から7回に亘って詳細に述べておりますので、参照ください。

 事件は、逮捕の前年である2019年11月30日、女性患者の主治医でも協力医でもない二人の医師(後日、一人は医師免許に疑い)が、京都市の患者自宅を訪れて胃瘻に薬物を投入、死亡させたというのです。 
 女性は2011年ALSを発症、死亡当時(51歳)は一人暮らしでヘルパーによる24時間介護を受け、会話は透明アクリルの文字を目線で追う形であったが、病状は安定し意識も清明だったとのことです。
 女性と今回逮捕された医師の一人との接点は、事件の11ヶ月程前の2018年11月以降、視線入力装置でパソコンを操作し、SNS上で生きる苦悩と安楽死の希望を発信、医師と交信していたとのことです。その上で130万円(スイスの自殺幇助団体に支払う金額と同じ額とのこと)を振り込み安楽死を依頼。当日、女性はヘルパーに知人の来宅を知らせ、医師が訪問時に面会者記入簿に偽名を書き、ヘルパーに席を外させ、短時間に薬剤を投与した上で、直ぐ立ち去ったということです。

Ⅲ-123 嘱託殺人罪に問われる行為

境内の一部を指さしている写真

1 法律上の違反行為
 二人の医師は、前述したように女性の主治医や協力医ではありません。薬物投与した日が初めての面会日であり、薬物投与のみを目的に訪問しているのです。加えて今回はその報酬をも手にしていることも大きな問題です。  
 日本では薬剤投与などで死亡させる「積極的安楽死」は認められていません。延命治療の中止などの「消極的安楽死」とは異なる殺人行為となるのです。安楽死の行為については、1995年薬物投与で罪に問われた医師に対しての横浜地裁判決の中で、例外的に延命中止が認められるのは、

①死が避けられず死期が迫っていること
②耐えがたい肉体的苦痛があること
③苦痛を除く方法を尽くしたこと
④患者本人が安楽死を望む意思が明らかであること

の4項目全てに該当することが必要とされました。
 今回の行為は、上記④を除いて該当していません。正に法に抵触する嘱託殺人なのです。

2 女性の考えと嘱託殺人罪に問われた医師の考え
 前述のように女性は事件の11ヶ月前からSNSで自身の安楽死についての考えを発信、その上で医師と交信していました。その内容の一部を2020年7月24日付朝日新聞は、女性と医師の発信内容を次の通り伝えました。
      
① 女性の発信とみられる内容
 「最近唾液が飲み込めず、1日中むせて咳き込んでいる。すごく辛い。早く楽になりたい。なぜこんなにしんどい思いまでして生きていないといけないのか、私には分からない。咳き込みと吸引とで1日が過ぎる。助からないと分かっているなら、どうすることも出来ないなら、本人の意識がはっきりしていて意思を明確に示せるなら、安楽死を認めるべきだ。せめてこんな身体で苦労して海外まで行くのだから安楽死を受けることぐらい許して欲しい。付添人が自殺幇助罪に当たるなんて言うな!」「惨めだ。こんな姿で生きたくないよ。今更自分の姿を見てこんなこと言っているのは私ぐらいだろうな。どうしようもなく弱いな」「普通にしているのに眉間のしわの辛そうな顔。唾液が垂れないようにヘルパーと持続吸引のカテーテルもくわえ、操り人形のように介護者に動かされる手足」「自分では何ひとつ自分のこともできず、私はいったい何をもって自分という人間の個を守っているんだろう?」
 後日明らかになったことですが、女性は父親宛に遺言書を作成していたことが分かりました。これに対して父親は「『死にたい』と娘から聞いていたら思いとどまるよう言ったのに」と。
      
② 医師の発信とみられる内容
 「生き物の最期は哀しいものです。鳴きこそすれ、物言わぬ犬でもそうですから、長年いっしょに過ごした家族との別れはいかほどかと思います。ただ、それを単に先送りするのは誰のためなんだろうと感じることもしばしばあります。どうみても老衰で食べられなくなった人に、『気の毒だから』と家族の希望で胃瘻。意思疎通も全くできない寝たきり状態なのに、栄養たっぷりで肉付きがよくムチムチの体。家に連れて帰るまでもなく、全く面会にも現れない家族。そんなケースもよく耳にします。はたして本人の意向がどれだけ反映されているのでしょうか。仕事とはいえど、いろいろと感じ入るものがありました。そんな中、人生の終わりが見えてきたら、好きなものを食べて自由に暮らす。苦痛の緩和は当たり前だけれど、逝くべきときは運命に抗わずに逝く。そんな環境を用意したいと思って、準備をしてきました」と。
 しかし、これらの発信と交信内容について、ヘルパーも父親も全く知らなかったということです。又、一人の医師は2013年以降、自身のツイッターで高額報酬で安楽死を請け負う「ドクター・キリコになりたい」(手塚治虫「ブラック・ジャック」に出てくるキャラクター)として、安楽死を実現する医師を表明していたとのことです。

Ⅲ-124  女性患者へのサポート態勢

指にトンボが止まっている写真

 主治医が京都新聞に語った内容によると、女性の在宅独居療養生活を約7年に亘って支えたスタッフは、医師、薬剤師、理学療法士、ケアマネージャー、ヘルパーら30人ほどです。支援チームを組んで医療、看護、リハビリ、入浴を含む介護を実施してきました。その内容は多岐に亘り、スタッフによるクラシックの生演奏、女性の好きな犬・猫を連れてきたり、花火大会鑑賞を提案したりして「生きるために出来ることは何か、歯車を合わせる作業をずっと続けて来た」ということです。
 その主治医に女性は、栄養摂取の中止による安楽死を求めることがあったそうですが、「少しでも長くよい状態で生きたいと、最後まで治療法の情報を集めていた」(主治医)とのこです。又、他の支援者は「『呼吸機能を維持するためのリハビリを止めたい』、『胃瘻からの栄養量を減らしたい』などの要望は確かにあったが、わたしたちは日々の暮らしと命をサポートするのが仕事。前向きに生きる希望を持ってもらおうと取り組んでいた」と。
 このようにスタッフによる24時間支援の中で、女性が安楽死の希望を持っていたことを把握はしていたものの、積極的安楽死とそれを実施するためのSNS行動までは把握できず、女性の死亡と医師二人の逮捕後に初めて知ったとのことです。  

Ⅲ-125 死ぬ権利、生きる権利

指にトンボが止まっている写真

1 死ぬ権利
 「死ぬ権利」という言葉と概念があるか否か定かではありません。命は自分のものといった考え方もあるかも知れませんが、本当に命はその人個人だけのものなのでしょうか。自分のものだから自分には死ぬ権利があるとの発想が出てくるのでしょうか。命は代々受け継がれてきた末に今この命があります。父母には父母がありその父母にも又‥。ちなみに10代遡ると1000人の父母、20代遡ると100万人の父母がご先祖様として居ます。この100万人の内、一人でも欠けることがあったら今のこの命は存在しません。この命は偶然にも脈々と繋がってきた証としての存在なのです。そしてこの命は両親をはじめとした家庭と社会の中で育てられ今に至っているのです。命は極めて歴史的家庭的そして社会的存在なのです。
 今回の女性は、難病患者として日々を生きる意味を持てず、積極的安楽死を選択するに至りました。この経過と安楽死についての考え方については前述の通りです。女性の先が見えない心情について真っ向から反逆出来る人は数少ないのではないでしょうか。私自身も出来ません。心情としては(もし自分がそのような難病になった場合を考えると)理解できるからです。
 しかし、それでもなお結論として女性の行動と選択には同意できません。女性の周りには数多くの福祉と医療スタッフがそろって懸命な支えをしていたとのことです。そのスタッフに意図的に秘密にしてSNSで外部に発信していました。スタッフに知られれば反対に遭うとの考えから秘密にしたと思われますが、日常を共にしているスタッフに最も大切な生きることと死ぬことについて会話し意見交換をして欲しかったと思うのですが‥。命について誰にも相談せず死を選択したことはやはり残念でなりません。
    
2 生きる権利
 先の朝日新聞はALS関係者の考えを次のように紹介しています。
ALS患者で参議院議員・れいわ新撰組の舩後靖彦氏は「ネット上などで『自分だったら同じように考える』という反応が出ていることに強い懸念を抱いている。難病患者等に『生きたい』と言いにくくさせる。私も当初は『死にたい、死にたい』と思っていた。しかし患者同士が支えあうピアサポートなどを通じ、自分の経験が他の患者の役に立つと知り、生きることを決心した。『死の権利』よりも『生きる権利』を守る社会にしていくことが、何よりも大切」と。
 難病や障害のある人の自立を推進する「日本自立生活センター」事務局員・渡辺啄氏は、「津久井やまゆり園」事件の植松聖死刑囚が、重い障害のある人の「安楽死」を主張したことを指摘し「『安楽死』を肯定する意識が広がっていくことは優性思想につながる。どんなことがあっても生きる方向へと支えること、死にたいと思わせる環境を変えていくのが社会の責任ではないか」と訴えています。
      

 

Ⅲ-126  再度積極的安楽死問題を考える ①

指にトンボが止まっている写真

 極めて厳しい病状の中で「積極的安楽死」を選択した女性自身の選択、正に自己決定そのものと言えますが、この決定をそのまま容認してもよいものでしょうか。ここには多くの問題が山積しているのではないかと思うのです。
     
1 支援スタッフ態勢から学ぶことがあります。
 30人ほどのスタッフは仕事とは言え、献身的な支援を行って女性を支えて来ました。一般的には、家族の誰かが側に居るケースが多いと思いますが、女性は長年一人暮らしで、24時間態勢の支援が必要であり、そのチームワークはしっかり組まれていたように思います。そのことを十分に評価した上でですが、残る課題として他のALS患者さんとの交流はなかったのでしょうか。(私の知る限りですが)その情報は伝わってきません。難病のALSにはしっかりとした患者さんを中心とした団体・「日本ALS協会」があり全国組織となっています。又、女性の京都に支部はありませんが、近畿ブロックとして大阪に組織があり活動しています。多くの場合、困難な事態には、その困難を抱えて悩みや課題を語り合い、相談でき想いを共有できる人々との交流を通じて次のステップを踏むことが出来ることがあります。特にALS協会はしっかりとした組織で定期的に会報なども発行し、患者さんにとっては心強い団体です。今回の女性は非常に積極的な方だったとのこと。視線が同じ患者さんの方に向いてたら、もう少し変わった考えや生き方があったのかも知れません。

Ⅲ-127  再度積極的安楽死問題を考える ②

指にトンボが止まっている写真

2 当圓應寺の檀家さんにも長年ALSを患った女性がいました。
 夫が懸命に支えて在宅療養を続けていたご夫婦でしたが、やはりALS協会との心の結びつきが強く、会誌に投稿もしてますますご夫婦の絆が強くなったことを目にしています。以下この檀家さんの事例を紹介します(女性の葬儀に際して読み上げた「諷誦文」の一部で、一般に内容を公開することについてご主人に了解頂いただいたものです)。
 「神経難病専門の病院にて、有病率、十万人に五人前後と言われる神経難病「ALS・筋萎縮性側索硬化症」との確定診断を受けることとなる。本人・夫・子供を始めとする家族、病気の原因と治療、その経過と予後の説明にただただ愕然、頭真っ白の境地に突き落とされる。何回かの入退院を経て在宅療養に以降、同じ病気と闘う患者さんや患者組織「ALS協会」等での話を聴き行く中、次第次第に、この病に正対できるようになる。これ、「人としての成長」と即言出来るほど生やさしいものではないにせよ、節目を迎えることに。
 しかし、発症三年が経過した平成〇〇年、生活様式が大きく変わる気管支切開、続いて胃瘻の造設術を受けることとなる。特に気管支切開術後は、声出しが困難となり、コミュニケーションは筆談、そして透明文字盤によることに。その先には人工呼吸器装着を意味することに。
 ALSの患者さんにとって人工呼吸器の装着は、迷い迷いの選択である。その装着は、介護の中心である家族に、長年に亘る介護の継続が必須条件となることを意味する。多くのALSの患者さん、そして家族が、必ずや直面する難題である。そしてその機械の装着を、時に回避する事例も有ることを耳にする。悩み悩みの中、貴女は装着の選択をされました。
 その経過について貴女は、ALSの患者さんを中心とする全国組織「日本ジャルサ協会」の山形県支部発行の刊行誌に、貴女とご主人の「妻から夫へ 夫から妻へ」の闘病手記を掲載されました。
 その手記を住職が目にする機会に恵まれたのです。その時の心境を貴女は、その紙面に於いて「『気管支切開』と言われたときは、ただただ泣くしか有りませんでした。しかし息子達に『孫達の成長を見て貰いたいし、頑張って生きて貰いたい』と」説得され、装着する気力が生まれたと述懐しておられます。   
 貴女は良き家族に恵まれるとともに、前述の刊行誌に、夫が「とにかく、いい人達と沢山巡り会うことが出来て、言うことないよな」と述べられているように、ケアマネージャー、ヘルパー、訪問看護師、時には看護学生等の、医療と福祉の良き専門家に恵まれました。そして何よりも定年前に退職し、夜間を中心とする二十四時間介護に全力で当たったすばらしい夫に恵まれました。
 人は、生きるものである以上、何時かは死を迎えなければなりません。人生には限りがあります。その限りある人生を「いかに生き、いかに死を迎えるか」が、私たち人間にだけ与えられた課題です。貴女と家族は生きることの困難さを乗り越え、生きる意味を十分に発揮されました。夫は、貴女のことを「お母さん」と呼んでいます。「お母さんがね‥‥『早く寺に行って爺さんと婆さんの法事の予約をして来てよ』と言うんだワ。」「お母さんはオレなんかよりずっと頭がしっかりしているんだ」と。夫が住職に語りかける目は光り輝くものでした。そこには、たとえ寝たきりの状態であれ、生きて意味をなしている貴女の存在そのものに、大きな大きな存在意味がくみ取れるのです。 
 仏教は、死後の世界を語るだけではありません。死を意識しながら限られた人生をいかに生きるかを問うのが仏教の真髄です。貴女は十一年間に亘り、困難で実に不自由な人生を送りました。しかし単に、生きてそこに居たのではなく、孫という一つの目標を持ち、人としての布施行。つまり自分以外の人々のために何かを為すこと。これこそが仏教の「いかに生きるか」の教えなのです。貴女は、人生の終焉まで、見事に布施行を実行されました。由って導師茲に、釈迦の弟子としての証である戒名に、うやうやしく院号を付与するものです。又、貴女を看取った夫をはじめとする家族、そして関係者の面々、布施行の大実行、これ又、見事と言う他有りません。釈迦の教えを見事実践された一同に、深く敬意を表するものです。」

Ⅲ-128 おわりに

 私自身が今回の女性のような立場だったとしたら‥‥。「絶対に積極的安楽死などは考えない」と断言できるものではありません。そこには多くの人々と同様に、「女性の気持ちは分かる‥」という思いが私自身の中にもやはりあるからです。しかし、しかしです。最終的決断として「積極的安楽死」の選択には賛成できません。又、その法制化にも私は反対です。  
 最後に、かつて2018年3月のホームページで、「私自身の第一歩として今年の正月、身内新年会(子供と孫達を集めた)で、『尊厳死』についての文書を発表しました」と記しました。これは現在でも有効で、私の考えを凝縮したものですのでその内容の骨子を載せることにします。「日本尊厳死協会の尊厳死の宣言書」を元に作成しました。
   

尊厳死宣言書(リビング・ウィル Living Will)
(この文書を2018.1.7身内新年会で子供達に渡した)

 私は、私の傷病が不治であり、且つ死が迫っている場合に備えて、私の家族、縁者ならびに私の医療に携わっている方々に下記の要望を宣言いたします。
 この宣言書は、私の精神が健全な状態にある時に書いたものです。従って私の精神が健全な状態にある時に私自身が破棄するか、又は撤回する旨の文書を作成しない限りこの「尊厳死宣言書」は有効です。

① 私の傷病が、現在の医学では不治の状態であり、既に死期が迫っていると診断された場合には徒に死期を引き延ばすための延命措置は一切おことわりいたします。
② 但しこの場合、私の苦痛を和らげる処置は最大限に実施して下さい。その結果として、たとえば麻薬などの副作用で死ぬ時期が早まったとしても、医療者側ではなく私自身の責任です。
③ 私が数カ月以上にわたって、いわゆる植物状態に陥った時は、一切の生命維持措置をとりやめて下さい。
以上、私の宣言による要望を忠実に果たしてくださった方々に深く感謝申し上げるとともに、その方々が私の要望に沿って下さった行為一切の責任は私自身にあることを附記いたします。

                                                 平成30年01月01日

氏名 埀石 啓芳