いかに生き、いかに死ぬか

圓應寺 住職法話

住職法話 第133回

緩和ケア医療に学ぶ生と死
【生と死の考察】142-145

「連合御開帳5月から実施」

 前回のこの項では、檀家さんの中で印象に残る方の死についての考えを一時中断し、急遽私自身の入院について述べました。今回はその3回目です。(この項の昨年6月、私自身の入院について「2回に亘って述べる」としましたが、連続3回になりました)

 最上三十三観音連合御開帳は一昨年の子年に「子年連合御開帳」として執り行う予定でしたが、新型コロナ禍により延期になっていましたが、先日の別当会総会で今年の実施が決まり、5月1日~10月31日までの半年間に亘って開催されます。12年に一度(今回は15年ぶりになりますが)の御開帳ですので、県内はもとより、多くの方々の参拝をお待ちしております。
 尚、参拝に当たりましては、各札所に於いて感染対策をとっておりますが、各札所の説明・注意事項等にご協力頂きますよう宜しくお願いいたします。

Ⅱ-142 今回入院での気付きと教訓 ①

 今回はいろいろな気付きと教訓がありました。先ず上げないといけないのが、「かかりつけ医」を持つことの大切さです。健康万全の方は医院とは縁がないかも知れませんが、65歳を過ぎた「高齢者は」何処かここかに具合悪いところを持っており、全て「無病息災」とはなかなかいかないのが現実です。その具合悪いことについて日頃から診療して頂く開業医の先生を確保しておくことの大切さです。通院が必要な場合は、受診をきちんと継続することが、信頼できる「かかりつけ医」を持つことになるのではないでしょうか。私の場合は、先述のように「大腸憩室」の持病があったために、どうしても通院治療を受ける必要があったわけですが、今回はそれが良かった(?)のかと思っています。特に今回は、同じ日の午前に受診し、午後電話の上再受診しました。同一日の再受診はなかなか勇気のいるところですが、日頃からお世話になっていたからこそ出来たのだと思っています。そして即、病院と連絡を取り、入院の道筋を付けて頂いたのでした。

 次は、「おくすり手帳」をはじめとする入院に持参する品物のことです。入院準備が僅か20~30分だった慌ただしさが大きな原因ですが、開業医から自宅に帰る途中では「おくすり手帳を忘れないこと」と意識していたのです。しかし日常薬は持参したものの、その手帳が抜けてしまいました。そのため先述のように、先生をはじめ余分な仕事をさせ、あげくは自分自身苦労することになりました。そしてこの過程で私が薬の名前を覚えおくことの必要性を感じたのでした。その他、慌ただしさの中で、スリッパ、入浴時の石けん、頭と顔のひげ剃り用のクリーム、洗面器の忘れは仕方なかったのかなぁ‥‥?と。

 逆に、持参して幸いだったのは手のひらに入る程のミニ懐中電灯でした。足下のライトはついているものの、夜のチョットした作業には暗く、明かりが欲しい時には大変重宝したのでした。

Ⅱ-143 今回入院での気付きと教訓 ②

 次に、私にとって本格的な入院は初めての経験です。その中で思ったのは入院は患者にとって受け身の立場であるということです。病院という建物の中に居ること自体、囲まれてしまった圧迫と緊張感は当然ですが、それ以上に、治療を受けるために医師を中心とする医療チームからのルールが最優先です。診察、検温・血圧測定、食事、備えのお茶、入浴などの時刻が決まっており、それを患者が遵守しなければならないことは当然至極のことです。この受け身の中で、少しは能動的にと考えたのが、腰痛体操です。ベットが合わないためなのか良く分かりませんが、妙に腰が痛く、主治医に確認の上でストレッチを行うと共に貼り薬を処方頂き、多用な中看護師さんに貼って頂きました(スミマセン有り難うございました)。お陰で大分楽になったものです。

 又、持参したパソコンはフル稼働です。何しろ暇なんです。電話、お客が来るわけでもなくたっぷりの時間があります。このパソコン持ち込みは大正解でした。これによって毎月のホームページ作成がずいぶんはかどりました。又、いつか触れる時かがあるかも知れませんが、新型コロナ下にあって自身の「終活」の一貫として「自分史」の作成に取り組んでいますが、この部分も少し進みました。受け身態勢の入院の中、少しではありますが、能動的に出来たのかなと思いました。

Ⅱ-144 今回入院での気付きと教訓 ③

 私個人の容体と直接関係ありませんが、新型コロナ禍の影響が、先述した感染防止のための方策とは別に、病院にかなりの影響があることを感じたのです。病棟のベッドは満床ではないのです。廊下から垣間見えるベッドが所々空いているのです。かつて勤務した頃の病院は開きベッドを探すのに大変ということもあったほどで、病床利用率90%を越えることもありました(80%の後半を超えると入院と退院の間に日にちがなくなり、現場は入退院への業務を含めて超多忙になるのです)。現在の病棟運営は、診療科の垣根を低くし、ベッド利用を効率的に使用していますので私が入った病棟に特有な情況ではないのではないかと考えています。考えるにこれもコロナの影響ではないかと思うのです。マスコミなどでも伝えられているように、コロナに集中するため一般の手術件数を大きく減らしているのです。その関係の患者さんは他の病院ということになります。幸い私は、手術適応ではないことから入院できたということでしょうか。このような状況は県中に特有なものではなく、全国の新型コロナ病床を持つ医療機関に一般的に見られるものです。このように新型コロナ病床を持つ医療機関の経営に大きな影響を与え、赤字に苦しむ事態となっているのです。国の積極的対応が望まれるのです。

Ⅱ-145 今回入院での気付きと教訓 ④

 入院で自分なりに注意していたことがありました。医師、看護師に「自分がこの病院の元職員」ということを言わないようにしたことです。これは私自身が現職の時経験したことの正に教訓からなのです。当時のことですが、患者さんの中に「オレは元ここで〇〇の立場(役職)だった」「県庁で〇〇の役職だった」「県会議員の紹介で来た(病院は県立です)」等と名乗る方がまれに居たのです。職員としてはどんな患者さんにも出来るだけの対応をする姿勢でいるものですから、そのような方には余りいい気持ちを持ちませんでした。私自身もそうですし、医療スタッフは殊の外敏感でした。というわけで、救命外来から病棟を通してそのことを心がけたのでした‥‥。ところが救命外来で「タルイシさん久しぶりです」と看護師さんからご挨拶を頂いたのです。「エッ?」、マスクをしていることもあり、私が戸惑っていると、「元〇〇に居た〇〇です」と。大変恐縮ですが、やはり良く分かりません。こちらが覚えていなくとも現職だった頃の私を直接知っていてくれている方がいるんだと驚きました。短時間でしたが、診察の合間に、当時のことを語り合ったものです。そして入院病棟では挨拶頂いた看護師の方が3人も居たのです。しかし残念にながら救命外来の看護師さん同様、私には記憶にない方ばかりなのです。大変恐縮してしまったのですが、「当時は若い方々」として許して頂くほかありませんでした。それにしても今もって覚えて頂いていることに感謝しきり。お陰で入院生活は何となく気楽になったような思いでした。

 最後に、新型コロナ感染者が全国的に増え、一般の医療が圧迫されている情況下で、日頃から檀信徒さんに「今コロナの時に、感染ではなく、一般の病気にもかからないよう十分注意しましよう!。場合によっては入院できないこともあるほどですから」、又、「今この時期に死なないように、今死ぬとお参りしてくれる人も少ないヨ!」と冗談半分に語っていました。檀信徒の方々も「そうだ!ほんとだ!病気するんならコロナが収まってからだ!」と笑い合っていたものです。ところが私自身が‥‥。改めて計画的な病気や死はないでことを思い知らされた次第です。