いかに生き、いかに死ぬか

圓應寺 住職法話

住職法話 第158回

緩和ケア医療に学ぶ生と死
【生と死の考察】171-175

「もう一度人生があれば、もう一回母ちゃんと一緒になりたい!」

 前回のこの項では、友人と檀家さんの中で印象に残る方の死についての考察を一時中断して少子化・人口減少が及ぼす生活・医療・介護への影響について考えました。今回から元に戻って、友人と檀家さんの中で印象に残る方の死について考えます。今回は(8回目です)、妻を亡くした夫「もう一度人生があれば、もう一回母ちゃんと一緒になりたい!」と明言したN氏を中心に考えます。

Ⅱ-171 長年一家を支え続けてきたY子さんの死

グランドキャニオン

 Y子さんは、享年89歳で亡くなりました。Y子さんは定年近くまで働くと共に、夫Nの単身赴任の下、長く義母の介護、二人娘の養育、町内会をはじめとする地域活動に励みました。又、夫は兄弟姉妹が多く、ことある毎に本家であるN宅に親戚一同が集い、その世話役の中心にいつもいて一家を支えてきた人生でした。しかし10年ほど前に認知症を発症。その後は夫のNが、それまでの恩返しをするかのように懸命に自宅での介護を続けました。食事の介護はもとより、入浴・排泄についても、親戚が驚くほどの介護を続けてきました。しかしN自身も90歳を越える高齢者でもあり、やむを得ず妻を施設に入れることになったのでした。ところがその後の新型コロナによって面会禁止、出来てもガラス越しの短時間という制限。それまでの二人の想いをコロナが切り裂いたのでした。

Ⅱ-172 妻を亡くした夫「もう一度人生があれば、もう一回母ちゃんと一緒になりたい!」

 Y子さんは、5年の施設入所を経て、お亡くなりになりました。その枕経と納棺にあたり、Nは集まった人々の前でご遺体に手を合わせ、冒頭の言葉を発したのです。私にもはっきり聞こえた心からの叫び声だったのです。住職として40年を越え、多くの方々を見送ってきましたが、心に言い聞かせるようにしたこのような言葉は何回か経験はあるものの、これだけ明快な叫びは初めてでした。一同「本当にいい夫婦だったんだ」との実感を改めて思い知らされたのです。
 一般的には、Nさんと同じ思いがあっても胸の内にしまい込んでしまうか、言葉に発してもぼそぼその域を出ません。妻への感謝を含めた思いが強く、人前をはばかることなく出た言葉だったのです。

Ⅱ-173 葬儀の際の諷誦文(ふじゅのもん一般的な引導文)

 このような夫の叫びを葬儀の際の諷誦文(ふじゅのもん一般的な引導文)で読み上げました。その一部を紹介します。

○○院○○○○大姉

  俗名 Y子殿  享年八十九歳

 八十有九歳の夢さめて肉身正に北邙一片の煙と消えなんか。生涯を省みて感慨誠に深からん。 大姉 県立高校卒後、女性の花形職種であった○○として勤務。大姉、御年二十五歳にして、同じ会社に勤める夫・N氏との良縁に恵まれるも、N氏は会社の要職に就き、東北一円の単身赴任。大姉は山形の地に残り、四十年の長きに亘り、会社勤務を続けながらN一家を支え続ける。
 大姉、その支えは家族のみにあらず、義母・○○殿と二人娘の訓育に加え、プロ顔負けの庭園造作と畑造り。家の縁側からは石と盛り土の造形・変化の中に見事な植樹と花々がのぞき、心温める景色に。
 加えて大姉、総本家のN家として、多くの親戚が集まる中、いつもその中核として励むと共に、町内活動を一手に担う奮迅の働き。一方で大姉、趣味も豊か。洋裁の他、刺子の豊かな技術は、今もって客間のテーブルに輝き、来客の心を温める。
 外にあっては、水泳教室に通って体をきたえ、友人との旅行をも楽しむ幅広い生活を送る。大姉、○○殿の介護もあって、定年前に退職。家庭人として悠々自適、夫と共に旅行にも出かけることも。
 一門、長くその健在を祈る中、十年ほど前に認知症を発症。医療の手当を尽くすも次第に症状が悪化。されど夫N氏の食事、入浴などをはじめとする五年に亘る懸命な自宅介護に救われる。
 時に、圓應寺に二人で来るご夫妻。仲良く手をつないで客殿に入る貴女は、夫に身をゆだね安心しきった菩薩模様。正に夫唱婦随の姿が今もって目の奥に浮かぶ。大姉、五年前の施設入所以降、折悪しく新型コロナ禍に。直接の面会叶わず、夫婦の絆に大きな支障となる中、大姉は次第に体力を減退。昨年十月、施設から入院となり、ますます面会が困難になるも、二ヶ月前に個室に移動。以後、面会が可能になり、夫の毎日の面会が続くことに。部屋では意思疎通が叶わない中にあって時には夫による妻へのなつかしの歌、手を握り体をさすり言葉を投げかけ二人の絆を確認する。
 大姉、長く点滴にて命を保つも突如として去る○○日黄泉の旅路に趣くことに。夫・N氏曰く「もし又の機会があったなら もう一度一緒になりたい」と。 今、霊前に功徳甚深の妙典を読誦し、供養の鉦をならし、宗祖大師に帰命す。願わくはそのみ手に導かれ、そのみ胸に抱かれ給え。永久に安住の浄土に生まれて仏天に生を受け、大安楽の浄刹に安住を得給え。

Ⅱ-174 四十九日忌でのお齋

 葬儀の後は、初七日法要を初め、いわゆる七日参りが原則として毎週続きます。そして7週目に四十九日の法要を迎えます。当地にあってはこの法要に合わせて取越100ヶ日忌法要と納骨を行います。加えて法要後には故人を囲んだ食事会、正確には「お斎(おとき)」(「直来」は神道の言葉です)の席が設けられます。残念ながら新型コロナ禍の3年間は、一切のお斎を中止にしていましたが、「5類」に移行後、少しづつ再開されるようになって来ました。このような流れの中で、このN家にあってもお斎の席を設けたのでした。その席上、Nは挨拶で妻・Y子さんへの想いを語った後、「来年の一周忌にも皆さんに是非お参り頂きたい。自分は高齢になったが何とか元気で一周忌を迎えたい」と“宣言”したのでした。

Ⅱ-175 一周忌

 そして1年後、一周忌法要が今年行われ、お斎も盛大(?)に執り行われました。加えて跡取りのお孫さんの婚約と間もなくの結婚式の予定が発表され、参加者は大いに盛り上がったのでした。そして最後にNは「来年は3回忌です、又宜しく!」と再度の“宣言”をしたのです。
 亡き故人を偲び、遠くは関東地方からも出席、20人ほどの参拝者による一周忌法要でした。Nご夫婦のこれまで果たしてきた親戚との関係が、“盛大”なこの法要に繋がったのです。同時にこの催しの影には、絶えず高齢のNを支える嫁ぎ先の娘さんの存在があったのでした。3回忌法要も元気な姿と挨拶をするNを期待するものです。