いかに生き、いかに死ぬか

圓應寺 住職法話

住職法話 第63回

緩和ケア医療に学ぶ生と死
【生と死の考察】66~70

「聖ヶ丘病院ホスピス長三枝好幸先生の講演 前半」

 前回のこの項では、最期を迎えるに当たってご家族に説明する内容について述べました。今回は遺族ケアについて、二回に分けて聖ヶ丘病院ホスピス長三枝好幸先生の講演を中心に述べます。

Ⅱ-66. 遺族ケア  ~三枝好幸先生の講演から~ ①

ハウステンボス

 2013年4月、「東京・生と死を考える会」による総会時講演会で、三枝好幸先生(聖ヶ丘病院ホスピス長)の講演「痛みを抱えている人と向き合おうとするこころのあり方~ホスピスケアに学ぶ~」がありました。
 私も参加させていただき勉強させていただきました。かつて緩和ケア医療を経験(私の履歴を参照下さい)し、現在は僧侶専任としての私ですが、大変共感しましたので、東京・生と死を考える会会報「カイロス」55号のまとめも参考に、その一端をご紹介すると共に、私の想いを述べることにします。

Ⅱ-67. 遺族ケア  ~三枝好幸先生の講演から~ ②

 ご遺族は、大切な人を亡くした場合、様々な悲歎の反応を示しますが、中には「亡くなったのは悲しいけれど、不思議なことに今とても幸せな気持ち」と言われる方もおります。その際多くの遺族が気にしていることとして三枝先生は、「①つらくなく穏やかに死ぬことが出来たか ②より良く生きられたか ③やり残したことがなかったか」の三点を上げ、遺族にとって、「①穏やかに亡くなった ②より良く生きられた ③やれるだけのことはやった」と思えることが大切と述べられました。これらのことを踏まえ先生は「ケアの対象は患者さんだけでなく家族も」と。

Ⅱ-68. 遺族ケア  ~三枝好幸先生の講演から~ ③

 さらに先生は、緩和ケア医療でよく使われる言葉、「死の受容」についても述べられました。先生は「『死の受容』とは『あきらめる』ことではなく、病気が治ることは難しいと認識しつつも、『生きることをあきらめない』ということ。そのことが『その人らしく生き抜く』ことに繋がり、結果的に『より良く生きられた』と感じることが出来れば、大切な人を亡くした悲しみが消えることはなくとも、和らぐことは可能」と述べております。

Ⅱ-69. 遺族ケア  ~三枝好幸先生の講演から~ ④

 三枝先生の①穏やかに亡くなった ②より良く生きられた ③やれるだけのことはやった という遺族の想いについては、僧侶としての立場からも実感できるものです。日常的に大切な人を亡くした檀家の方々に接しておりますが、枕経~入棺(納棺)~火葬(山形では火葬後に葬儀が一般)~葬儀~初七日‥‥四十九日と続く経緯の中で、ご遺族の心の持ちようがこの①~③の内容によってかなり異なるのです。①については、亡くなった直後から入棺に到る時点で亡くなり方が大きく影響します。特にガン医療とは離れますが、事故死や突然死の場合、①にとどまらず②、③全体に大きな悲しみとして遺り、当然のことながら「死の受容」は容易ではありません。

Ⅱ-70. 遺族ケア  ~三枝好幸先生の講演から~ ⑤

 ガン医療の場合に戻ります。まず、①についてです。死亡の連絡を受け、先ずは枕経と葬儀の準備のために(多くは)ご自宅に伺います。ご遺族にご挨拶の後、ご遺体に掛けられた白布を取り、お顔を拝見しながら「○○さん‥‥住職だヨ‥‥」と掌を合わせます。この時です。ご遺族から「住職さん、ほんとうに穏やかに」、「苦しまず」、「眠るように」との説明があるのです。反対に最期まで苦しみの状態で亡くなった場合のご遺族は、余り語ろうとはしません。いや語る事が出来ないのかも知れません。次に②についてです。多くの場合、患者さんがガンの告知を受けた後「より良く生きられた」かどうかが強い印象として遺ります。元気な時期にどう生きたかではなく、患者さんとともにご遺族も「より良く生きられたか」の想いが強くなります。それは弱者・孤独・病人としての患者さんと元気・健康・看取り者の関係から来るのではないでしょうか。