
圓應寺 住職法話
住職法話 第173回
緩和ケア医療に学ぶ生と死
【生と死の考察】185〜190
「親友の死について 「諷誦文」」
前回のこの項では、友人と檀家さんの中で印象に残る方の死としての10回目で、半世紀に亘ってお付き合いをしてきた親友の死について(前半)述べました。今回はその後半として、霊前で述べた「諷誦文(ふじゅのもん→一般の引導文)」を中心に述べます。
Ⅱ-185 「諷誦文」 ①

名古屋のご自宅の霊前には奥さんの他、「諷誦文」で述べるように、かつて学童保育を一緒に作り上げた仲間の2家族、3人も同席され、心から精一杯の読経をさせて頂きました。奥様の了解を頂きましたので、ご霊前で唱えた「諷誦文」の要旨を次に掲載します。
【諷誦文】
今謹んで送らなん精霊は俗名SM殿八十有三歳の夢さめて肉身正に北邙一片の煙と消えなんか。生涯を省みて感慨誠に深からん。
居士、岩手県釜石にて出生、工芸技術高校にて学ぶと共に野球活動。卒後、大企業の○○会社に就職、当地・名古屋に居を構える。良縁あって妻・H子殿と婚姻。二児を訓育する。
思えばSさん、昭和50年、貴方の長男の小学校への入学に当たり、学童保育づくり運動が貴方と私の初めての出会いでした。運動立ち上げに当たり、名古屋市営住宅・○○荘の貴方のご自宅を尋ね「一緒に運動を!」の呼びかけに、貴方は快く室内に招き入れ、歓迎して頂いたあの日のことを鮮明に覚えています。
以後、あなたと共にk・H・Tさんを中心に作り運動の輪を広げることに。地域区政協力委員長等の一部の妨害があったものの、Tさんご自宅を第一歩に自由が丘学童保育を立ち上げました。その後、名古屋市有地住宅街に新規建設を目指し、地域の住民投票を実施、見事大多数の同意を得て、市が建設に着手。開設記念として当時の名古屋大学名誉教授・哲学者の真下信一先生を迎え、盛大な式典を開催しました。
Ⅱ-186 「諷誦文」 ②

私は保護者会々長、あなたは会計担当として常に運営の中核にあり続けました。加えてことある毎に、特に男四人は昼夜を問わず相集い、学保運営の相談。いや、相談に止まらず互いに大好きな宴会、そして麻雀教室に発展。その会場は常に貴方のあの市営住宅でした。当時のご自宅は部屋数も少なく狭い中で、夜遅くまで興ずることが常であり、その傍らでは奥さんが幼子のAちゃんを抱いて眠ってしまうことも。貴方には麻雀の指導・教授を受けただけでなく、ご家族全員に多大のご迷惑をかけながら、一方で学童保育指導員のHちゃんを中心に、類い希な立派な学童保育を作り上げることが出来たのです。
互いの表も裏も知り尽くし、家族ぐるみのお付き合いをさせていただきました。昭和54年、私は寺の跡継ぎとして名古屋を離れました。しかし互いの付き合いは途切れることはありませんでした。その後私が名古屋を訪れた時の宿泊は常に貴方の家・正にここに泊めていただきました。一方で貴方の出身が岩手・釜石ということもあり、実家に帰ったときはいつも山形によっていただき、妻・子供一同を含めて旧交を温めることが出来ました。
Ⅱ-187 「諷誦文」 ③

そうです。貴方とのお付き合いは半世紀になるのです。昨年11月2日には、貴方の家族全員で山形に寄っていただき、双方の家族で大宴会をやりましたネ。一挙に50年前の想いにふけることが出来た貴重な機会となりました。あの時貴方は「タルイシさん、山形は今回が最後に・・・」と。
あれから僅か7ヶ月です。こんなに早く別れが来るとは貴方も私も、そしてご家族全員が思ってもいなかったことです。先月、貴方へ「私も大腸ポリープで入院手術の予定」とメールしたところその返信でご自身も肺炎と、小腸手術で入院したこと、体力が落ちて酸素吸入をしていること。そして私に対して「手術の成功を祈っています」との気遣いをいただきました。
Sさん!体力が落ちているとはいえ、少なくとも、今日6月28日には、退院した貴方とここで対面できるはずでした。まさかお別れの読経の場になるとは・・・。Sさん!私は貴方のことを心に刻み、決して忘れることなく永久に持ち続けることを誓うとともに、ここに心をこめて貴方を密厳浄土に送るべく、今、霊前に功徳甚深の妙典を読誦し、供養の鉦をならし、宗祖大師に帰命す。願わくはそのみ手に導かれ、そのみ胸に抱かれ給え。永久に安住の浄土に生まれて仏天に生を受け、大安楽の浄刹に安住を得給え。
Ⅱ-188 想いを胸に・・・山形に

お参りをさせて頂き、用意して頂いた昼食をとる間もなく、一緒ににお参りに参列したTさんに最寄りの地下鉄駅に送って頂き、名古屋を後にしたのでした。帰路の車中約5時間は、学童保育の作り運動は勿論、宴会、麻雀教室に止まらず、家族一緒の海水浴、冬はスキーに興じた半世紀前の想いが次々と浮かび上がる追悼列車となりました。
これまでの私をつくり上げてきた最大の友、心より感謝しつつ忘れることなく、浄土で安寧に過ごされることを祈り続けるものです。
Ⅱ-189 一周忌に

その後、亡くなって一年が経った一周忌にあわせて昨年(24年)6月、再度S氏のご自宅を訪問しました。亡くなったのは夏至に当たる6月21日でしたが、私の都合で数日遅れのお参りになってしまいました。年回忌の法要は、日にちが早くなるのは良しとするものの、「仏さん(故人)が待っている!一日でも遅れるのはダメ」といつも檀家さんを指導している私です。S氏にすまない想いを抱きながら読経させていただきました。仏前には、奥様の他、当時の学童保育作り仲間も同席、半世紀前に想いを馳せながらS氏の想い出に花が咲いたのでした。合掌
Ⅱ-190 スマホに今も残るSさんからのメール

お亡くなる前月、メールのやりとりをして、結果として最後になったSさんからのメールが、未だ私のスマホに残っています。その頂いたメールです。
「お便りありがとうございます。埀石さんもそれなりにいろいろありますネ。今後は酒の飲み過ぎに注意して下さい。○○君、おめでとう!県大会の地区予選とは言え中々できないもの、選手は大いに自信がついたことでしょう(注 私の長男が高校野球の監督、野球大好きなSさんに地区予選の模様を伝えたのでした)。夏の大会(甲子園予選)が楽しみですネ。私の方は昨年11月中旬に○○で2週間入院するなど体力が落ち、ガタやせです。今は家の中での移動でも息切れがして酸素吸入しています。手術の成功を祈っています(注 私の大腸ポリープ除去術に)。」
どうも・・・なかなか消去できないのです・・・。