いかに生き、いかに死ぬか

圓應寺 住職法話

住職法話 第163回

緩和ケア医療に学ぶ生と死
【生と死の考察】176~177

「当・圓應寺史上最高齢者の死亡について」

 この項では、友人と檀家さんの中で印象に残る方の死について考え、前回は妻を亡くした夫「もう一度人生があれば、もう一回母ちゃんと一緒になりたい!」 と”宣言した”N氏を中心に考えました。今回はその9回目として当・圓應寺史上最高齢者の死亡について考えます。

Ⅱ-176  当・圓應寺史上最高齢者の死亡

グランドキャニオン

 当寺は1356年、室山時代の創設です。今年で668年の歴史を持ちますが、この度当寺としての最高齢者・享年105歳の方(女性)の葬儀を執り行いました。長い長い歴史の中で105歳まで生き抜いた檀家さんの葬儀でした。近年、当寺でも100歳を超える方が数人おられましたが、その方達の最高齢を越えてこの新記録となったのでした。
 ご承知の通り、我が国の平均寿命は世界最高峰にあり、100歳を超える人口も年々増えて現在9万人を越え、過去最多の95,119人(2024年9月17日厚労省)となっています。 この傾向は身近にも長寿者がおられる事で実感できるようにもなって来ました。ただ、繰り返しになりますが、105歳は当寺史上最高齢なのです。

Ⅱ-177  葬儀参列者に「いかに生きいかに死ぬか」の説法

 この葬儀の中での諷誦文(この項の最後のページ参照)で当寺最高齢者を称えあげたのですが、葬儀後に少し時間を頂いて参拝者の方々に次のような説法(?)をさせて頂きました。私は限りある人生を『いかに生きいかに死ぬか』との問いをいつも皆様に投げかけています。年々我が国の平均寿命が延び、世界最高峰の国になっています。その上、100歳以上の人口も毎年増え続け、現在は9万人を越え、正に『人生100年時代』を迎えております。
 しかししかしです皆さん!平均寿命がいくら延びでも、100歳を超える人がどんなに多くなろうとも、必ず『お迎え』 は来るのです。したがって人生に限りがあるという大原則を再度確認し、その限りある人生を『いかに生きいかに死ぬか』のテーマを持ち続けていきたいと思っています。少しでも長く『いのち』という 時間を持ち続け、その時間を自分のため(「自利行」)そして自分以外の人々のため(利他行)にも使った生き方が求められています。その生き方は『自利利他行』と称されますが、この二つが見事に実現して『自利利他円満』となり正に菩薩行、菩薩としての生き方になるのです。皆さん今日のT子さんの105年に亘る生き方を胸に、日々を大切に生きていきたいものです」と。

Ⅱ-178  長寿、その人生で一家を支える

 そのT子さんは、単に105歳の長寿、当寺最高齢ということだけではありませんでした。20年ほど前に他界した夫をよくよく支え、家庭を守ってきたのでした。その夫・Zは、神仏信仰篤かった一方、異色とも言える独自性・独行性を持った個性的な方でもありました。その夫を強い芯と優しさを以て支え、家庭の和を保ち続けたのです。ご家族曰く「T子さんがいなかったら家庭がもたなかつた」と。T子は正に家族の柱として生き続けた人生なのでした。

Ⅱ-179 読み上げた諷誦文(ふじゅのもん) 

以下は、葬儀当日読み上げた諷誦文(ふじゅのもん=引導文)の一部です。

大姉 俗名○○○○殿  享年百有五歳
百有五歳の夢さめて肉身正に北邙一片の煙と消えなんか。生涯を省みて感慨誠に深からん。
大姉 大正八年○月○日、天童市○○・C家、父・Y、母・A殿の五女として生を受く。

県立第二女学高卒後、二十二歳にして、平成十六年に他界したZ氏と婚姻。以後、初めての農業に身を捧げ、田畑の土作業からリヤカーを引いて市内での行商に精を出す。

内に在っては大姉、一男二女を訓育。その質性、誠に温厚にて強い芯を持ち、夫・Z氏の異色とも言える独自性・独行性をその強い芯と優しさを以て支え、家庭の和を身をもって保ち続ける。正に一家の柱として徹し続けた人生なり。

一方、大姉は手先の器用さを以って押し絵を手がけ、羽子板や色紙に押したその絵はプロそのものの実力。和裁は九十歳を超えてもなお、針と糸を駆使して仕立て直しをするほどの 実力を持ち続ける。

大姉、夫亡き後も元気に生活。百歳を前にした平成三十年にはその白寿の祝いに、山形市長が来宅。その長寿と元気の祝福を受ける。大姉、その後も元気に日々を過ごし、家事 手伝いにも参加。 デイサービスを利用するも家族の温かい支援に恵まれ、このコロナ禍にあって施設入所に至らず、自宅で食事を変わりなくとり続ける。

一門、その健在を祈る中、一週間前より水分補給ままならい事態になるも大きな変化はなく、去る四月三十日午前、家族・親戚の多くが元気づけに集まったその日の午後、皆の顔に満足したかのように、突然黄泉の旅路に趣くことに。

大姉、当山・圓應寺創建千三百五十六年、室町時代から続く六百六十八年に及ぶ歴史の中で最長寿の人生を全うする。 今、霊前に功徳甚深の妙典を読誦し、供養の鉦をならし、宗祖大師に帰命す。願わくはそのみ手に導かれ、そのみ胸に抱かれ給え。永久に安住の浄土に生まれて仏天に生を受け、大安楽の浄刹に安住を得給え。