いかに生き、いかに死ぬか

圓應寺 住職法話

住職法話 第148回

緩和ケア医療に学ぶ生と死
【生と死の考察】157~163

「幼なじみ親友Aの「死の準備」と葬儀」

 前回までのこの項では、友人と檀家さんの中で印象に残る方の死について6回に亘って考えました。今回は、その7回目です。

Ⅱ-157 幼なじみ親友Aの「死の準備」と葬儀

 A(男性)と私は小・中学の同級生、檀家の長男で寺の近隣宅という間柄。幼少時代からよくよく遊んだ仲です。私どもの子供時代は、寺の境内が近所の餓鬼ども(ガキドモ=子ども達当時はこんな言葉遣いをしていました)の格好な遊び場で、チャンバラごっこ、かくれんぼ、石蹴り等々を楽しんだものです。そしてその日によってはAのご自宅に上がり込みはしゃぎ回って遊び、おいしいおやつまで頂いたことも度々でした。又、A宅には高齢の爺さんがいて、夕方早くからお風呂を沸かしていた関係もあり、爺さんの後、Aと共に何人かで入浴(正確には風呂遊び?)もした正に裸づきあいの友だったのです。

 大学はAが関東、私は名古屋と離ればなれになったものの、どういうわけか二人とも何年か経って山形に帰郷したのでした(私の経歴は冒頭の履歴を参照ください)。Aは大学卒後、地元山形の旅行会社に就職するも、その後全国区の旅行社に移り関東地方に。暫くして山形の隣県に移動し、居を構えて今日に至っていました。長男のため、檀家の当主として先祖を守っており、先祖の年回忌法要時の来寺はもとより、小・中学の同級会・同窓会には欠かすこことなく山形に帰って来るという郷土愛あふれる人であり、私ともその度に旧交を温め合う仲でした。

 しかし、山形に居ないという現実から、20年ほど前に山形いる弟に檀家と墓守を託し、直接の檀家ではなくなりました。しかし寺での法要には欠かさず参列、会う度に互いに元気を確認していたのです。ところが令和元年、年回忌法要時に「大腸ガンの手術をした。やっと回復して今日参加できた」と。ビックリしたものの「先ずは一安心」と挨拶を交わしたのでした。

Ⅱ-158 幼なじみ親友Aの「死の準備」と葬儀

 ところが、それから2年が経過した令和3(2021)年7月下旬、山形にいるAの実姉夫婦が来寺。「弟の病状が思わしくなく、余命一ヶ月の宣告を受けた。これを受けて関東在住のAの長女から『葬式は是非、圓應寺さんにお願いしたい。これは父の希望でもあり、そのお願いに圓應寺さんに行って頼んで欲しい』という依頼があり、お伺いした」とのこと。病状の急な悪化に驚いてしまったが、更に姉は、「実は弟が直接圓應寺さんに伺って、自身の葬式をお願いする予定でいたのですが、病状が進行して山形まで来るのが難しくなったこともあり、私が伺った」と。

Ⅱ-159 幼なじみ親友Aの「死の準備」と葬儀

 更に、姉は続けます。「実は長女が、関東地方に墓地を購入済みです。埋葬はそちらに」と。これを聴いて「私が葬儀を引き受けることは難しい」と返事したのです。というのは、関東の墓地が境内墓地の場合は、その寺の檀家になっているはずだからです。万が一、そちらの寺からキチンとした依頼があれば引き受けることは可能ですが、その寺を差し置いて私が導師を務めることは出来ません。この旨説明し、依頼をお返ししたのでした。

 その2日後、Aの奥さんから次のような電話が入りました。「娘が求めた墓地は、公園墓地で檀家になっているわけではない。夫は来月のお盆中、圓應寺さんに伺って直接お葬式をお願いする予定でいたが、つい先日、病状が悪化して『余命一ヶ月』の診断を受け、困難になってしまった。本人も強く望んでいますので、是非葬式は圓應寺さんにお願いしたい」ということでした。これを受け、「分かりました。その際はそちらに伺います」と約束したのでした。

Ⅱ-160 幼なじみ親友Aの「死の準備」と葬儀

 更にその翌日、奥さんより再度の電話。「夫が是非直接会って自分の葬式をお願いしたいと言っている。『大事なことは電話ではダメ』という考えで」。続いて直接Aが電話口に出て「オレもそろそろ覚悟を決めないといかんようで。オレの葬式宜しく頼む!。自分で車を運転して行くつもりだったが、チョット無理のよう。家族の運転で8月5日に圓應寺に行ってキチンと頼むので宜しく!」と強い意志を示したのでした。その声はいつもの彼と変わらず、病人とは思えない元気さを感じさせるものでした。「無理して山形に来なくとも、もしもの時はオレが出来ることは責任持ってやるので安心して!」と返しましたが、山形に来るという強い意志は変わらず、来寺を待つことになったのです。

 ところが、7月30日奥様から「状態が悪化して、5日山形へは行けない。本人が一番がっかりしているが、その節は宜しくお願いします」との電話。私は、即「それでは明日午前中に私がそちらに行きます。Aにも伝えて下さい」と告げたのでした。

Ⅱ-161 幼なじみ親友Aの「死の準備」と葬儀

 翌日の7月31日、朝イチで出かけようとした正にその時、奥様から「今朝、夫が『救急車を呼んで!』ということで、救急入院しました。呼吸が苦しく‥‥」と。病状は予想以上に急速に悪化していたのです。新型コロナ禍にあって病院に面会に行くことは叶わず、「どうぞお大事に‥‥その時は責任もってしっかり対応しますので」と。

 翌8月1日、午前に「先生から『腎臓機能が低下しており長くない』と言われました」との奥様から。そして午後の夕方近く「いま、亡くなりました‥‥」との電話が入ったのです。余りにも早い死の知らせに驚きいっぱいで、奥さんに掛ける言葉がありませんでした。

 繰り返しになりますが、幼なじみの親友が亡くなる‥‥私自身の心にある何かが一部崩れ落ちるような感覚を持ったのでした。翌日の2日ご自宅を訪問し枕経をお唱えした後、納棺のお参りをさせて頂きました。その上で葬儀で唱える諷誦文(フジュノモン・引導文的な)と戒名の参考にするため、ご家族に、私の知らない彼の詳しい生活を聴き確認しました。葬儀会館との調整もあって葬儀を4日に設定しました。ご家族は「くれぐれも宜しく!」とともに、「主人が『タルイシは酒が大好き』ということで地酒を用意していた」と、彼が用意したお酒を頂いてしまいました。。

Ⅱ-162 幼なじみ親友Aの「死の準備」と葬儀

 葬儀日は、彼が山形に来て私に直接導師を依頼するはずだった5日の前日でした。「余命一ヶ月」の診断より余りにも早く、ご家族や医療者の予想を超えたご逝去になってしまいました。葬儀の中で私は次のような「諷誦文」を万感を込めて読み上げました。奥様の同意を頂いておりますのでその一部を紹介します。

 ・・・・ 居士、ここからはあえて「君」と呼ぶことを許して頂きます
想えば君と私は、幼少期から小・中学にかけて地域で、学校で、よくよく付き合いの仲が深く、君の家は当・圓應寺近くにあり、私は良く遊びに出かけた。君の家庭には頑固を絵に描いたような爺さんと父親、真逆の優しい母親、君自慢の美しい姉さん、そして君の采配に良く従った二人の弟。
 その生活は今でも手に取るようによみがえる。時には食事を頂き、玄関先の小屋で、一緒に風呂にも。そして当時の子供の遊び場・寺の境内でセミ取り、ビー玉、メンコ遊びの中にいた正に幼なじみを絵に描いた仲。あのぬくもりを忘れることは出来ない。
 君は、山形を離れても小学校の同級会、中学同窓会には必ず出席。正に郷土愛なり。晩年、悠々自適も更に去る七月二十日、CT検査によって「余命一ヶ月」の診断となる。
 その後、君は命の限界を覚り、今月のお盆には、山形・圓應寺に出向き、幼なじみの私に直接会って自身の導師を依頼する旨の決意。
 しかし病状は進み、自身の運転での山形入りは叶わず、家族とともに明日、八月五日に来寺することを約束。私と電話で「オレもそろそろ覚悟しないといかんようになった。是非お前に葬式をやって欲しいと思っている。しかしこういうことは電話ではなく、直接会って頼むことにする」と。
 君の気丈さ、真面目さそのものが最期までこのような言葉に。「私に出来ることは何でもやるから、安心して!」と返した言葉。しかしその後、七月三十日、奥様から「病状が進み、五日には行けない状態」との連絡を頂き、「それでは明日、私が会いに行く!彼にも伝えて!」と返答。
 されど翌日の三十一日、寺を出発直前、奥様から「今朝、呼吸困難、本人の希望もあって救急搬送、入院に」との電話を頂く。しかし「A!」、君と直接会うことは叶わなかったものの、君の意向は先日の電話で直接確認。救急入院の翌日、去る八月一日、突如として不快の状を表し、余りにも早く黄泉の旅路に趣くことに。
 居士、私は君との約束通り、責任を持って密厳浄土に送るべく、今、霊前に功徳甚深の妙典を読誦し、供養の鉦をならし、宗祖大師に帰命す。願わくはそのみ手に導かれ、そのみ胸に抱かれ給え。永久に安住の浄土に生まれて仏天に生を受け、大安楽の浄刹に安住を得給え。
令和三年八月四日
真言宗智山派大慈山
圓應寺導師
権中僧正啓芳
敬白

 葬儀が終了し、奥様から「大変有り難うございました。本当にタルイシさんにお願いして良かった!コロナ禍で会場に来られなかった人が沢山いたが、皆さんに聴いて頂けなかったのが残念です。でも主人が一番喜んでいると思います」との言葉を頂き、帰路についたのでした。

Ⅱ-163 「がん患者10年後死亡率53.3%」 ~2023年3月16日国立がん研究センター発表~

 A氏もこの病で亡くなりましたが、二人に一人はがんで死亡する時代です。2023年3月16日国立がん研究センターより「がん患者10年後死亡率」を中心とした調査結果が発表されました(同研究センターの「がん5年生存率」調査結果について、20年3月のこの項で「臨時掲載として」紹介しましたので参照ください)。

 それによると、2010年にがんと診断された患者約34万人の10年生存率が、53・3%であったということです。尚、今回から、より実態に近い算出方法に変更したため、前回調査とは比較できないものの、同センターは「生存率が改善している傾向は変わらない」としています。

 この調査は、全国のがん診療連携拠点病院などが参加する「院内がん登録」の大規模データを集計したものです。がんの種類別では次の通りです。

 生存率が高い順に

・甲状腺乳頭ろ胞がん 91.0%
・前立腺がん     84.3%
・乳がん(女性)   83.1%
・子宮体がん     79.3%
・子宮頸がん     68.1%
・腎臓がん      65.7%
・喉頭がん      58.8%
・大腸がん      57.9%
・胃がん       57.6%
・卵巣がん      51.9%
・膀胱がん      50.1%
・腎盂尿管がん    33.9%
・非小細胞肺がん   30.8%
・胆のうがん     21.6%
・肝細胞がん     20.4%
・肝内胆管がん    12.0%
・小細胞肺がん     5.8%
・膵臓がん       5.4%

 尚、ご存じのように「がん」は、ステージ1~4のどの段階で発見されたかによって生存率は多きく異なります。この表示した確率はそれぞれの種類の全体の数字を表しています。皆さん!できる限りの早期発見早期治療に努めましょう!

 前回までの調査は、がん以外の病気や事故などによる死亡の影響を補正した「相対生存率」で集計していました。しかしこの方法は実態より高めになりやすいと言われているようです。このため今回からは、純粋にがんのみが死因となる場合を推定した「純生存率(ネット・サバイバル)」で算出。国際的にも広く使われる指標で、次回以降もこの方法を用いる予定とのことです。