いかに生き、いかに死ぬか

圓應寺 住職法話

住職法話 第125回

日々の生活の質をいかに高めるか
【生活の質の考察】135-139

「様変わりする新型コロナ禍の葬儀と法要」

 前回までのこの項では、妻の自動車運転免許更新と妻の踏ん張りと題して、うっかり、迷走、頑張り、踏ん張りのどたばた劇についてとその結末について述べました。今回は、2020年12月1日付のホームページ。Ⅰ日本社会の現状の125項「新型コロナ禍の気になる傾向」の、⑨「葬儀や年回忌法要の様変わりについては機会を見て改めて」と保留していましたが、今回はこの葬儀や年回忌法要の新型コロナによる様変わりについて述べます。

境内の鉢花

Ⅳ-135 様変わりする新型コロナ禍の葬儀と法要 ① 

 日本中がコロナ禍に見舞われ、実生活に深刻な影響が出始めたのは、2020年3月頃からだったでしょうか。当寺でもこの間、何人かの葬儀を執り行いましたが、その方法と内容がコロナ前と大きく様変わりしてしまいました。

 先ず、会葬者の人数が著しく減少しました。大凡の感覚ですが、半分か三分の一程になったのではないでしょうか。しかも会葬者のご焼香は、葬儀前の30分~1時間前に、葬儀会場の遺影の前で行い、遺族が近くに立ち並んで会葬お礼のご挨拶を申し上げるというスタイルに変わり、会場の都合で、玄関を入ったところでの焼香の場合もあるのです。このような焼香は全国的傾向のようですが、果たして葬儀に参加した焼香と言えるのでしょうか。参加した人の中には、「あんな形だけの焼香なら、ご自宅に伺って焼香した方が良かった」と残念に思う人がいる一方で、「短時間で済んで良かった」と真逆に考える方もいると聞きます。

 今年(2021年)6月17日付、山形新聞の「やましんサロン」に「葬儀の様式変化 寂しく」と題して遠藤貞氏が次のように述べています。「新型コロナウイルスは、葬儀の様式まで変えてしまいました。これまでの葬儀ですと、遺族、親族、故人と縁やゆかりのあった方々が、荘厳な空気が漂う中、皆で別れを惜しみつつお見送りをしたものでした。‥略‥。コロナ禍の中、葬儀の内容は一変し、近親者と一般の方々の焼香が時間で区分され、葬儀は近親者(家族葬)のみ、一般の方は焼香のみとなり、以前のように故人との思い出や回想にふける時間はなくなってしまいました。コロナ禍とはいえ、簡略すぎて故人に対して申し訳ないような寂しい思いに駆られます」と。僧侶としても全く同感です。これからの大きな課題なのです。

Ⅳ-136 様変わりする新型コロナ禍の葬儀と法要 ②

 近年、当圓應寺の葬儀もその殆どが葬儀社の会場になりました。葬儀社の方からは「今の時代ですから『三密』を避けて式の『事前焼香』で如何でしょうか?」との提案を頂きますが、私は、三密をを避けることは当然のことと思いますが、ご遺族に会葬者の大凡の人数を確認してから、その提案に返答することにしています。前述したように会葬者が激減しており、20~30人程の葬儀が多くなっているのです。この人数が予想される場合は、会場全体を使って椅子を並べると1メートル以上の感覚を優に空けることが出来るのです。その上で、会場の扉を開け放って、三密対策が取れることが確認できる場合は、会葬者の方々に通常通り葬儀に参加いただき、その中で焼香をお願いすることにしております。

 事前焼香では余りにも故人と遺族に気の毒です。又、本当に葬儀でお別れしたという実感を持って頂くためにもこのようなやり方をしてきました。

Ⅳ-137 様変わりする新型コロナ禍の葬儀と法要 ③ 

さて、様変わりした内容に戻ります。会葬者減少の一環ですが、亡くなった方の身内の方でも特に関東方面の方の参加者は激減です。関東の方と当山形のご遺族の思いは複雑です。「こんなコロナ情勢だが、参加してもいい?」「悪いけど山形に来てくれるナ!周りの人に迷惑かかると困るので」等々です。

 山形では葬儀に続いて「取り越し五・七日法要」を営み、その後お斎(オトキ、故人を偲んでの会食)の席を設けるのが一般的です。しかしお弁当にする場合もありますが、お斎は殆どなくなりました。

Ⅳ-138 様変わりする新型コロナ禍の葬儀と法要 ④ 

 様変わりは、まだあります。会葬者が少ないことと連動していると思いますが、葬儀に携わる僧侶は、圧倒的に導師(住職)一人の葬儀になったことです。コロナ禍の前までは、勿論一人の場合もありましたが、導師の他、伴僧が一人か二人つく場合が結構ありました。正に様変わりです。この傾向は当圓應寺に特有ではなく、少なくとも山形では一般的になっているのです。勿論ですが、導師一人でも葬儀をきちんと執り行うことが出来ます。しかしこの傾向が長く続くようなことになりますと困った事態を招くことになるのです。葬儀は僧侶にとって読経を中心とする法要の学習と実践の場でもあるのです。他の僧侶の読経、葬儀の進め方と作法、諷誦文(ふじゅのもん、引導文)の読み上げ方と内容等々、常に学び研鑽を積む場でもあるのです。

 修行の場で上手に読経が出来たとしとても、実際の葬儀を執り行うことは出来ません。修行と共にこのような場の経験の積み重ねによって、一人僧侶の場合でもキチンと葬儀を執り行えるように育つのです。

 厳しい生活が続く中、葬儀に関わる費用の問題を含め、今後の大きな課題です。

Ⅳ-139 様変わりする新型コロナ禍の葬儀と法要 ⑤

 新型コロナ禍の影響は葬儀のあり方に止まらず、一般の年回忌法要にも及んでいます。その最大の影響は、やはり参拝者の大幅減少です。葬儀同様、以前の半数か三分の一程度になっているのではないかと思います。お参りの参加者は喪主を含めた家族だけという法要が増えているのです。家族であっても関東方面からの参加者は葬儀同様殆どいません。又、法要後のお斎は、2020年3月以来、一軒もありません。私の方からも檀家さんに提案して中止にしています。お斎は、先祖(仏様)にお供えするお食事を、法要参加者も一緒に頂き供養するという意味があります。したがって昔は、檀家の仏壇のある部屋(仏間)で仏壇に手を合わせながらお供え品と同じ物を頂いたものです。近年のお斎の会場も様変わりしましたが、このような意味合いを含めて一周忌、三回忌などではお斎は当たり前だったのです。檀家さんには「コロナが収束したらその時点でお斎を考えましょう」としています。

 新型コロナ禍後の葬儀、法要の様変わりを当寺を例に述べましたが、このような変化は当然ですが当寺に限るものではなく、全国的傾向と言えるのではないかと思います。このような多くの様変わりがコロナ収束後、もとに戻るという保証はありません。寺院としても対応をしっかり考えて行かなければなりません。