いかに生き、いかに死ぬか

圓應寺 住職法話

住職法話 第123回

緩和ケア医療に学ぶ生と死
【生と死の考察】128-135

「入院体験を通して考えたこと」

前回のこの項では、檀家さんの中で印象に残る方の死についての考えを一時中断し、国立がん研究センターによる遺族に対する「終末期の療養生活に関する実態調査」結果について考えました。今回は元に戻って、檀家さんの中で印象に残る方の死について述べる予定でいましたが、今回は、私自身が今年の1月、ある病気を患い人生初の本格的入院(一週間ほどでしたが)を経験しました。この項のタイトルにある「緩和ケア医療」と直接の関係はありませんが、ある意味で良い経験をしましたので、この入院体験を通して考えたことを2回に亘って述べます。

Ⅲ-128 夜、突然の目覚め

グランドキャニオン

 1月末の木曜の夜。寝入ってから間もなくの10時頃でした。腹部の痛さと苦しさで目が覚めたのです。直ぐトイレに入ったのでが、肝心の便が出したいのに出ないのです。便座にいたのですが腹はますます痛みと苦しさを増します。息苦しさに加え、一瞬ですが、失神しそうな状態にまで。20分ほど経過したでしょうか、結構立派な便がそれなりの量が出ました。それと共にそれまで続いていた痛みと苦しみはかなり軽減したのです。再度寝床に入ってぐっすり‥‥。ところが4時間ほど経過した翌金曜日の2時頃、又々、同じ症状で目覚めたのです。そして昨夜同様、出したい便が出ないのです。一回目の便座では失神寸前まで行きましたが、この時はそこまでは行かず、やはり20分ほどで今度は軟便が出たのでした。ただ、そこでチョット気になることがありました。その軟便に多くはありませんが血がついていたのです。

 いつもは3時半前に離床して読経とウオーキングが日課なのですが、この日の朝は腹部の痛みと苦しさでいつもの日課に離床する元気はありませんでした。しばらくはそのまま休んでいたのですが、太陽も昇って明るくなった時間帯に漸く起き出したのです。

 妻にお粥を作って貰い、食べたのですが、茶碗三分の一を残してしまいました。8時過ぎ再度の便通、今度は便の量はあまりなく、血液が目に入ったのでした。体温を計ると37.1度。私の平熱は低く「おや?」。そこではじめていつも定期的に受診している消化器内科医院に急遽受診することにしたのでした。

Ⅲ-129 かかりつけ医への受診

 私には持病として「大腸憩室症」があります。一般的な大腸ポリープは腸の内側にできますが、憩室は外側に出る風船状のものです。これによって大腸の動きが過敏になり、便通異常をきたします。この持病が見つかったのは山形県立中央病院を退職して間もなくの頃で、かれこれ15年ほどになります。と言うことで定期的に開業医の消化器内科の先生にお世話になり、投薬と大腸カメラで検査して頂いていたのです。

 診察の結果、点滴と投薬があり「おそらく憩室に炎症」という診断でした。点滴に1時間半ほどを要したため自分の予想時間を越えていましたがやれやれとの思いで帰宅し、トイレに入ったところ、又血便です。体温は37.7度に上昇、しかしその後は昼食に朝同様のお粥を少し食べ、頂いた薬を飲んでゴロンとしていました。

 16時頃、又トイレです。今度は明らかに血の塊のようなものだけが出て来ました。体温は38度、お腹の痛みはひどくないものの、重苦しさが増してきた感じ。「これはチョットおかしいのでは‥‥?」ここで再度の受診を考え、先の医院に電話したところ直ぐの来院をとの要請を受け、早速受診をしたのでした。診察は肛門に指を入れて触診。結果「かなりの血液」。これを受け急遽大腸内視鏡検査となりました。

Ⅲ-130 大腸カメラの結果

 内視鏡(カメラ)検査の場合は、カメラの映像が患者にも見えるよう、モニターカメラが設置されています。私は食い入るように見つめたものです。カメラが入って直ぐ、赤々とした血液が滞留していました。血液が着いていないところの腸の粘膜は、ピンク又は赤みをおびた状態で、定期検査で見ているモニター画像に比べ実に鮮やかで美しいものでした。そしてカメラは少しずつ奥に進んだのですが、見ようによっては血液がしたたり落ちているような状態です。先生は出血の場所を丁寧に探したのですが、今回の内視鏡は突然のことで、いつものように下剤を飲んでいないこともあり、一定のところまでしかカメラを入れることは出来ませんでした。

 結果、先生は「場所は確認できませんでしたが、おそらく憩室に炎症があり、そこからの出血と思う。県中(元在職した山形県立中央病院)に行ってください。多分入院になると思います」と。「ぇっ!?今からですか?」「そうです、今からです。すぐ病院と連絡を取りますので、紹介状を持って救命外来に」と。

 ビックリ仰天です。直ぐ妻に電し、一端自宅に寄ることにしました。幸いなことに自宅は開業医の先生の所まで、車で5~6分、県中には15分以内の条件にありますが、大慌てです。自宅では20~30分の間に、当面必要なものをかき集め、夕方、山形市も大雪の状態でこんこんと雪が降り、車の運転に支障を来すほどの中、18時頃、妻同伴の下病院救急外来に着いたのでした。

Ⅲ-131 山形県立中央病院(県中)・救命外来へ

 幸いにも連絡体制が整っており、スムーズに診療が始まりました。救急外来では、紹介状を見ながらの問診です。ことの経過を妻同席の状態で説明しました。その説明を救急担当の比較的若い医師が矢のような速さでパソコンに打ち込みます。私が在籍していた頃は、コンピューター導入間もなくの頃で、若い医師を除いては打ち込み操作にかなり苦労していたものです。又、当時の救命外来とは態勢が大きく替わりました。特に救命外来担当医師は比較にならないほどの人数になっています。現在の基幹病院の一端を示すものでしょうか。

 ということで、初診を担当して頂いた医師は全く存じ上げない先生でしたが、先ず日常飲んでいる薬の点検です。「お薬手帳持ってきましたか?」「はい持ってきました」と返事し荷物を確認したのですが、無いのです。薬と手帳は絶対に持って行かないと行けないと思い、バックに入れたつもりだったのですが‥。やはり捜しても無いのです。仕方なく持ってきた薬を袋ごと全部(複数の開業医に通院して沢山あります)先生に渡したのでした。

 肛門からの触指検査(触診)で下血を確認して持続点滴、造影剤によるCT検査、胸部レントゲンそして心電図検査と続きました。これを受けて、初診の先生に消化器内科の先生が加わり、「検査の結果、憩室炎ではなく虚血性大腸炎と思われます。大腸に行く一部の血液の流れが悪くなり、内壁が剥がれることによる出血と思われます。憩室の影響があるかも知れませんが、原因は良く分かっていません。但し、絶食と安静により、大腸内壁が自然回復してきます。1~2週間入院して頂いて」との診断が出たのです。

Ⅲ-132 入院へ

 入院が決まり、病棟に移動です。その移動、車椅子です。病院までは元気に(?)歩いていたのですが、車椅子の対応に「(歩いて行けるのに‥‥でも)オレは入院患者か」とそれなりの自覚(?)を持ったものでした。

 こうして上階の入院病棟まで妻も一緒に行ったのですが、病棟の入り口で、看護師さんに「スミマセン、奥様はここまでで中には入れません。新型コロナ対策で入院の時だけはご家族にここまで来て頂いていますが、今後は病院一階の受付までで、ここまで来て頂くことは出来ません。宜しくお願い致します」と。一応の覚悟はしていたものの現実です。病棟の入り口での別れです。「では!今生の別れになるかも知れない!後のこといろいろ頼む!」と、笑いながらのしばしの別れの挨拶をしたのでした。

Ⅲ-133 入院生活と治療①

 このような経過を経て、病室に入ったのは夜9時半頃だったでしょうか。夜も遅く簡単な入院治療と部屋の説明があり、後は日常薬を飲んで寝るだけ‥‥と思ったのですが、救命外来で先生に渡したくすりが戻っており、そこから夜の薬を取り出そうとしたのですが、何と!開業医別に一つの袋にまとめて入れておいた薬が、1種類別に県中の薬袋に入ってるではないですか。「こりゃ困った?」、別々では何処の開業医の先生が処方したものなのか分からないのです。そればかりか朝、昼、晩の区別すら分からないのです。多分,外来の先生が一つ一つ確認し、整理したのではないでしょうか。

 記憶を辿って自分なりの整理を始めたのですが、多くの薬で中には色も形も良く似かよったものがあり、中々区別がつきません。そうなのです!私は自分が飲んでいる薬の名前を覚えていないのです。最後の手段!たまたまコロナ禍の中で時間があり、意を決してガラケイから一番簡単なスマホに切り替えたのです。慣れない中それを使って調べ、漸く床に入ったのは23時頃でした。「お薬手帳」の忘れによって余分な作業をかけてしまった外来の先生に止まらず、直接自分にも降りかかってきたのです。

Ⅲ-134 入院生活と治療②

 一夜明けて入院2日目の土曜日です。昨晩は当然ですが、連日の飲酒は一切無しで床に入ったものの、アルコール無しでもそれなりに眠ることが出来ました。症状は腹部の重苦しさと午前と午後に少量ですが、血便(血の塊)がありましたが痛みは感じませんでした。点滴は相変わらず24時間、「入院治療」とは言っても、その点滴と安静だけです。

 このようにある意味のんびりした入院「生活」ですが、その生活上うっかりミスでいろいろ不便なことに気付き出したのです。先ずスリッパ、雪の中を来たため、長靴ではありませんが雪道用の短靴を履いて来たのです。当然室内履きが必要なのですが、これが第一のウッカリです。二つ目は入浴時の石けん、三つ目は頭と顔のひげ剃り用のクリーム、そして四つ目は入浴用洗面器を持ってくるのを忘れてしまったのです。短靴を履いて室内と病棟を歩くのはとてもとても。入浴時の石けんと洗面器は考えてみれば病棟に備えがあるわけはなく、特にコロナ下にあっては感染防止のためあり得ないことなのでした。シェービングクリームについては、毎日の剃髪には欠かせない私にとっては絶対に必要なものなのです。特に私の頭髪は堅く、電気カミソリの刃はどんなに良いものでも一ヶ月は持たないのです。この僧侶としての必需品も忘れてしまったのでした(剃髪用のカミソリは持参していたのですが)。土曜の午後、妻に届けて貰って一難去りましたが、土曜日は剃髪と顔剃りなしで過ごしたのでした。

Ⅲ-135 入院生活と治療③

 入院3日目です。主治医の先生は日曜日にもかかわらず診察に来てくれました。最近は勤務医の過酷な労働条件、特に時間外労働の多さが社会問題にもなっていますが、その現実を目の当たりした思いでした。ただ、その時の私は「有り難うございます」とお礼を申し上げてはいるのですが‥‥。先生にはお茶などの水分と一部を除いた日常薬(先生の点検で一部の薬の内服が止められました)以外は、一切服用禁止であることを再度確認されました。又、この日の下血は、朝少量の塊状のものが1回だけでしたが、お腹の感じは、重苦しさと膨満感があり、ガスがあるようなのですが、一日中出ないのです。しかし診察後先生から「明日の昼から栄養補給のため粉を溶かして飲むものを出します」という方針を示されました。「アッ、それでも一歩前に進んだんだ」との思いでした。

 病棟には、お風呂があり、都合の良い時間を予約して、30分間利用できます。ここで剃髪を含め、ゆっくり入浴出来るのです。但し、私は前腕(肘から下の腕)に針刺して24時間点滴中なのです。点滴したまま‥入浴?と思いきや、看護師さんが来室して点滴を一時ストップし、腕に近いところの管の繋ぎ目を外し、そこに止め栓のようなものを差し込むのです。あっという間に点滴用スタンドから解放されました。お陰で風呂場に行ってパジャマとシャツを難なく脱ぐことが出来たのです。こんな方法は昔からあったのかなぁなどと思いながら、今度は針刺しの前腕一杯にビニールで創られた専用のカバーをかけて、入浴準備完了です。このようにして日常同様、毎日剃髪と入浴が出来るようになったのでした。