いかに生き、いかに死ぬか

圓應寺 住職法話

住職法話 第18回

緩和ケア医療に学ぶ生と死
【生と死の考察】15~21

「緩和ケア病棟での“生活” 山形県立中央病院緩和ケア病棟例2」

 今回のこの項では、前回に続いて緩和ケア病棟での“生活”について述べます。“生活”としたのは前回も述べましたが、患者さん自身のQOLを重視し、その人らしい“生活”をおくっていただくことを重視する病棟だからです。以下、その「生活」について今回も山形県立中央病院緩和ケア病棟を例に述べます。

Ⅱ-15.「入院生活」の特徴 ~死の受容の苦しみ~

 緩和ケア病棟に入る患者さんは、入棟の条件を理解・納得して入院します(第8回の「Ⅱ-7病棟に入るための条件」参照)。したがって、「積極的治療のあきらめ」「死の準備」「死の覚悟」等について一定の覚悟を持って入院することになります。
 しかし、私達人間はそんなに単純な生きものではありません。いくら頭で考え、準備・覚悟はしたつもりでも全員が全員迷い無く、落ち着いての入院生活となるとは限りません。「ガンとの戦いが終わった‥‥ 治ることをあきらめて本当に良かったのか‥‥?」「本当に緩和ケア病棟で良かったのか?」等の懐疑心。言わば「死の受容の苦しみ」とでも言うべき心境になる方もおります。

総本山智積院

Ⅱ-16.「入院生活」の特徴 ~心の痛みへの対応  患者さんに寄り添う~

 緩和ケア病棟は、単に身体的痛みを緩和する病棟ではありません。心の痛みにも対応するのです。前回にも述べましたが、医師、看護師、医療福祉相談員等の職員の他、ボランティアを含めて患者さんの心に耳を傾けます。ベッドサイドでじっくりお付き合いをしたり、談話室で食事、お茶を飲みながら、時にはテレビを見ながらそして車いすで院内外を散歩しながら患者さんに寄り添います。患者さんの心に近づくには、先ずは患者さんとともにいる事が最も大事なことなのです。

境内のサボテン

Ⅱ-17.入院生活」の特徴 ~心の痛みへの対応  患者さんのサポート~

 多くの患者さんは(死を前にして)さみしく孤独です。患者さんの支えには一緒にいることが第一歩なのです。ともにいることで少しずつ患者さんから心の痛みを聴くことが出来るようになります。「これまでの治療を止めて本当に緩和で良かったのだろうか?」と患者さん。「緩和を選んだ時の気持ちは?」「長い間ガンと闘ってきたが、抗ガン剤も放射線治療も限界と言われ‥‥自分も限界かと」「長い間ご苦労されてきたんですね」「ホント長い間。きつい痛みもあったし‥‥ここに来て痛みも和らいだしやっぱり緩和に来て良かったんだネ」「○○さんはこの病棟に来たときより体が楽になったように見えるヨ。この病棟に来て良かったと思うヨ」。等々の会話。決してこちらの考えや価値観を主張したり押しつけてはいけません。決定するのは患者さんです。私達は傾聴しそのサポートに徹します。そして患者さんが選択・決定したこと(時)には、それを支えることが大切なのです。

総本山智積院

Ⅱ-18.「入院生活」の特徴 ~ 患者さんの悩み ~

境内のサボテン

「死期が近い場合心配や不安に感じること」と題して、日本ホスピス・緩和ケア研究振興財団が、全国の20~89歳の男女1078人に、05年アンケート調査(複数回答)を実施しました。

その結果は次の通りです。

第1位病気が悪化するにつれ、痛みや苦しみがあるのではないか  66%
第2位家族や親友と別れなければならないこと 45%
第3位残された家族が精神的に立ち直れるかということ 43%
第4位自分のやりたいことがやれずじまいになること、やり残したことがあること 41%
第5位残された家族が経済的に困るのではないかということ 30%

 以上ですが、「痛みや苦しみ」の心配がダントツです。この意味でも緩和ケア医療の重要性が伝わってきます。又、その他の4項目もじっくり患者さんに寄り添い、傾聴し、手だてがあることについては、援助することになります。

Ⅱ-19.「入院生活」の特徴 ~ 患者さんの課題 ~

 スタッフや家族の対応だけでなく、患者さんご自身にも考えていただきたいことがあります。
 「死生学」の哲学者・上智大学名誉教授のアルフォンス・デーケン先生は、患者さん本人が「死に直面した時の6つの課題」として次の事項を上げておられます。

  1. 手放す心 ~執着心を断つ
  2. 許しと和解
  3. 感謝の表明
  4. 「さよなら」を告げる
  5. 遺言状の作成
  6. 自分なりの葬儀方法を考え周囲に伝えておく

 先生は根っからのキリスト教徒ですが、私達仏教徒そして仏教の教えにも相通じるものではないでしょうか。

デーケン先生と私 2008/4/26

Ⅱ-20.「入院生活」の特徴 ~ 動揺が大きい患者さん ~

 最期を迎える患者さんの状態はその人その人で様々ですが、意外にも社会的地位が高い方に心の動揺が大きいような気がします。学校の先生、医師、僧侶(社会的地位が高い?)の方々は、「立派に死ぬ」ことの意識を何処かに持っているのかも知れません。元気な時の職業的意識が邪魔してしまい、痛いときは「痛い」、さみしい時は「さみしい」、聴いて欲しいときは「聴いて!」となかなか心を開きにくいのかも知れません。私は直接経験がありませんが、弁護士や著名な政治家の方々にもこの傾向があると聞いたことがあります。私自身は、正直なところどうなるか分かりませんが、「痛い!」「助けて!」と言いたいものです。

境内のツツジと最上札所観音石像

Ⅱ-21.「入院生活」の特徴 ~ 日常的宗教心を持った患者さん ~

 菩提寺での法要などの祈り、一般の神社仏閣へのお参り等々はどなたでも経験があると思います。但し、「日常的宗教心」となると残念ながら少ないのではないかと思います。「日常的宗教心」とは、自宅の仏壇前での読経・御詠歌、近くの神社仏閣への参拝等をほぼ毎日、つまり日常的に宗教的実践をしている方は「日常的宗教心」を持っていると言えるのではないかと思います。

総本山智積院・金堂

 患者さんの中には、檀家さん向けのお経本を持って入院している方がおります。四六時中ではなくとも、時にお経本を開いて読経しているのです。当圓應寺の檀家さんも何人か入院しましたが、その中の一人はお経本をいつもベッドのスミに置き、朝と暇な時間帯に読経していました。私が病室を訪ねるとチョット恥ずかしそうな顔をしていましたが、小声で一緒に読経したこともありました。病状が進み読経がつらくなると、私達の真言宗智山派のご「宝号」(他宗派ですと「南無阿弥陀仏」等)である「南無大師遍照金剛」を心静かにお唱えしているのです。仏の心境に近づいたのか、その落ち着きに私の方の心が和むのを覚えたものです。宗教が異なるクリスチャンの方にも同じような方がおられました。
 宗教と宗教心、しかも日常的宗教心が、ガン末期の患者さんにとって大きな支えとなっている姿を、何人かに見ることが出来ました。ここに私達僧侶の日常的宗教活動の必要性と大切さを教えられました。
 私の宗教活動の原点の一つがここにあります。