いかに生き、いかに死ぬか

圓應寺 住職法話

住職法話 第183回

緩和ケア医療に学ぶ生と死
【生と死の考察】197〜203

「大腸ポリープ除去のための入院体験 ②」

前回のこの項では、私自身の大腸ポリープ除去のための入院体験について、ポリープ発見から除去術までの経過と想いを述べました。今回はその後半です。中々の苦労ありきでした。

Ⅱ-197 入院3日目(7月6日) その①

除去術の翌日、治療上の予定は何もありません。ひたすら点滴を受けるだけです。但しこの日までは室内だけの歩行です。朝、職員の方に頼んで売店から新聞とボトル茶を買って頂きました。多忙のなか誠に申し訳ない思いでした。

そんな中、かつて一緒に仕事をさせて頂いたS先生(入院した2023年7月には副院長になられていました)がひょっこり部屋を尋ねて来られました。入院患者の名簿を見て私の入院を知ったとのことでした。

先生から病院を取り巻く情勢・環境・人材等々、私の現職時代とは大違いであること。その上、新型コロナの影響は厳しく、医療機関と共に、職員の一人一人が大きな影響を受けたことをお聞きしました。又、昔を懐かしむ話にも花が咲きましたが、現在の医療機関のご苦労を改めて痛感してしまいました(具体性に欠けますがお許しください)。

お風呂!入院日の4日早朝に入って以来、入浴はおろかシャワーも浴びていません。そのためスタッフの方が熱いタオルを持って来室。しっかり拭き掃除?をしてくれました。その際、大変申し訳なかったのですが、背中にかゆみ止めの薬を塗って頂きました(これも持病の一つ)。孫の手を用意してきたのですが、うまくいきません。余分なことまでお願いして恐縮千万です。

さて、暇です、暇なのです。何もすることが無いのです。妻と子供達から「入院中はゆっくり休養して来て」と言われ、私自身も日頃の多忙と疲れを癒やす良い機会とも考えていました。このゆっくりをベースにして、貯まった様々な資料を持ち込みパソコン作業を少しはやろうと準備したのでした。ところがです。暇を十分に堪能すべくベットに横になるも長続きしないのです。テレビでは大リーグのエンゼルルス大谷翔平の放映、今や国民的いや世界の大スターになり、私も大ファンの一人です。それこそゆっくり楽しもうと思ったのですが、パドレスとの三連戦の最終日、この三連戦今日も含めてヒット無し。それまではホームラン連発の絶好調だったんだが。大谷も人の子、こんなこともあるのかと思いつつもガッカリしてしまいました。その後もテレビを見ようとしたのですが興味に合わず、これも長続きしません。

どうも私は根っからの貧乏性のようなのです(この言葉は最近あまり使われなくなったように思いますが、若い頃の当地では日常的な言葉でした)。何かしていないと落ち着かないのです。暇を楽しむ心の余裕が無いのかも知れません。常に何かしていないと落ち着かないのです。ということで、先の資料を取り出しパソコン作業をしたのですが、前述の通り(時間がありすぎてか)集中出来ないのです。そこで、再度今回の入院顛末を綴ってみることにしたのです。この作業で漸く落ち着いた感じになったのでした。

Ⅱ-198 入院3日目(7月6日) その②

ついに見破られてしまった!これまでも特に必要な場合を除き、現病院に在職していたことやかつての身分を明かさないようにしていました。今回もその姿勢で入院、特に入院中世話になる病棟スタッフには一言も発しないようにしていたのです。それは以前にも述べたことですが、私が現職時代、「オレはこの病院で○○をしていた者だ」「本庁で○○部長職にあった」「病院局でこの病院を指導監督していた」、中には「○○の議員(だった)」等々。聴きもしていないことを自ら、それも自慢げに語るのです。私を含め聞かされ役のスタッフにとって余りいい気分ではありませんでした。

そのような事情から特に病棟では素性を何も語らなかったのですが、この日看護して頂いたAさんから「失礼ですが、ひょっとしてタルイシさんて以前病院に居たことある?・・・・?」の質問。私の顔をじっと見つめると共に私の名字だけではではなく、名前も再確認しているのです。「・・・・(しばらく間をおいて)ハイ、前に勤めていました。スイマセン」と。「やっぱりそうだったんだ、目を見て感じたのと名前も確認して以前居たタルイシさんかと。その節はお世話になりました」と。現在はツルツルの坊主頭だが、現職時代は黒々の頭髪。イメージががらりと変わっている上、退職して20年。加えて何十年という歳の差、良く思い出して頂いたことに驚きそして感激してしまいました。直接、元職員か否かの質問に対して嘘まで言う必要はなく、正直に応えさせて頂きました。

さて、体調は順調です。夕方以降、排便が2回あり、最初の排便を看護師さんが確認して「大丈夫です!」と。明日からは院内移動が出来るようになり、朝イチで売店に新聞を買いに行くこと、そして課題である持参資料のパソコン化に少しは取り組みたいと思ったのでした。

Ⅱ-199 入院4日目(7月7日) その①

昨晩の睡眠も浅いものでしたが、その前の晩よりは眠られた感じでまずまずの状態で朝を迎えました。看護師さんの検温と血圧測定の後、いよいよ病室から出て2階の売店まで新聞買いに。点滴のスタンドを押しながらゆっくりゆっくり部屋を出ました。ふらつくことはないのですが、少し宙に浮いているような、そして足に力が入っていないような感じです。毎朝のウオーキングとスロージョキングの脚とは少し違う感覚でした。それでも疲れたような感覚は全くなく、無事に往復出来ました。

もう一つの楽しみは食事です。朝からOKということで首を長くして待ったのですが定時を過ぎてもなかなか配膳がありません。ひょっとして忘れられたのかと心配して廊下に出ましたが、配膳車がありません。どういうわけか30分以上遅れて配膳になりました。「よっしゃ!待ちに待ったメシだぁ!」と思わず声を出してしまったところ、看護師さん「余り期待しないで、重湯です」と。急いで箸を出し、ご飯の食器蓋を開けたところ正にお粥、それもご飯粒の姿形は一切無し、お粥と言ってもご飯の汁だけなのです。次に味噌汁のお椀蓋を開けました。茶色に濁っており底が見えない味噌汁です。ところが中には豆腐のかけら一つ無いのです。確かに味噌汁なのですが・・。

ご飯(お粥)をすすり、味噌汁をすすりました。チョットぬるかったものの、「旨い!」の一言。いつもであればそんなに旨いものではないと思うのですが、それなりに旨いのです。一口二口頂いたあたりで気付きました。急いで出した箸は一切要らなかったのです。食事は食べるのではなく、飲み込むものだっのでした。ゆっくり頂いた後は最後の品「リンゴジュース」を飲んで完食となりました。

食べ終わってお盆にあったメニューカードを見ると「低残渣重湯食」とあり、①重湯重②みそスープ③アップルジュース(100㎖)とありました。低残渣食(ていざんさしょく)とは、「胃腸に負担をかけないように調整した食事のこと」です(これは後で調べました)。それに①の重湯の最も重いクラスということでしょうか。②は味噌汁ではなく、スープ以外何も無しのみそのスープだったのです。なるほどなるほど納得でした。大いに味わい配膳車に返却し、ごちそうさまでした!

その後、回診があり、かねての予定通り「9日退院の予定」と告げられました。先ずは順調です。

昼食です。基本的に朝食と同じですが、①重湯重②すましスープ③ラフランスのゼリーの三種でやはり箸は不要でした。そして夕食は①三分粥②みそスープ③洋風茶碗蒸④おろし桃⑤ジュース野菜、2品増えました!

Ⅱ-200 入院4日目(7月7日) その②

夕食前の15時過ぎ、寺の世話人の奥様死亡の突然連絡・・・どうするんだ!しばらく考える・・・、今日は7日金曜日。一般的には2日後の9日(退院日)に葬儀となるが、その日は葬儀をしない「友引」に当たり、葬儀は10日以降になる・・・。ということで、お腹に圧力がかかる読経は出来ないものの導師として最小限の役割を果たそうと考えたのです。その準備と対応のためには出来れば一日早い退院をお願いすることにしたのでした。結果、お許しが出て、急遽一日早い退院になったのです。余り例の無い突然の申し出にスタッフも戸惑ったかと申し訳ない思いでした。

この死亡連絡の後は、妻、喪主、助法頂く法類寺院(寺として親戚関係にある寺院)との連絡調整の電話が数時間続きました。後で記録を見ると葬儀関係の電話連絡が合計30件でした。電話かけまくりの数時間だったのです。私の日常は朝早く起き晩は早寝が習慣ということで、個室を選択していましたので、幸いにも他の患者さんに迷惑かけることなく電話できたのでした。

Ⅱ-201 退院日(7月8日、入院5日目予定より一日早い退院日)

朝食、最後の病院食です。「低残渣3分湯食」として①三分粥150小盛②みそスープ③豆腐あんかけ④梅びしお⑤乳酸菌飲料(ヤクルト)65㎖退院に当たり主治医の先生から最後の診察と説明がありました。これまでは順調であることを踏まえ、退院後の外来日を決めた後、「組織検査の結果はガンではありませんでした」との説明を頂きました。頭に少しは引っかかっていた最後の心配が吹っ飛んだ感じでした。

その上で、退院後の食事関係などについて改めて説明がありました。その中で一番気がかりだったのは大好きなアルコールをいつから飲むことが出来るのかということです。先生に「手術後2週間我慢すればいいですか?」と尋ねたところ、「ウーン・・一ヶ月ということにしているんですが・・・剥離した跡に潰瘍が出来るものですから」と。「分かりました!一ヶ月断酒します」と宣言しました。

重いスーツケースを引いて退院しましたが、アルコールの件はあるものの心は軽やかそのものでした。主治医の先生をはじめスタッフの皆さん、大変お世話になりました。有り難うざいました!。病院玄関前に待機中のタクシーで帰宅しましたが、運転手さんに事情を話し、スーツケースの扱いは全て運転手さんが対応して頂きました。こちらさんにも有り難うございました!このようにして無事帰宅することが出来たのです。

Ⅱ-202 退院後(8日以降) その①

我が家に無事戻りさすがにホッとしましが、いきなり日常に戻ることは出来ません。先ずは食事です。お粥を中心に味噌汁と豆腐など消化が良いものだけです。この内容を11日まで続けた後、ご飯と少しずつ普通のおかずに戻したのです。しかし暫くは全身に力が入らず、弱々の状態。最終的に体重は3キロほど減ってしまいました。でも、食べられることは効果的です。退院して5日経った13日には大分回復して、この記録を書く元気が出たのです。

食事内容については、私の大好きな刺激物や漬け物、海産物などはダメです。その他、入浴、重いものを持つこと、ジョギングなども取りやめています。翌日の14日、退院後の初外来で先生に良く聴いて確認したいと思いました。

問題はアルコール(お酒)です。先生に一ヶ月の断酒を宣言しましたので、解禁日を8月5日と定め、それを目標に我慢し頑張りました(何とつまらない食事、日常か!)。退院して6日目の、14日。初の外来受診。先生も笑顔で迎えてくれました。改めて病巣がきれいに取れたこと、組織検査の結果ガンではなかったことを映像を見ながら説明頂きました。但し、小さなポリープが3個あるので、これまで通りかかりつけ医で定期的に検査を受けるよう指示がありました。感謝とお礼の言葉をしっかり述べ、病院を後にしました。有り難うございました!。

皆さん!、くどいようですがかかりつけの医院を持つこと、そして定期検診は大切ですネ。一般的には胃袋は年一回の検査、大腸の方は2年に一回としたものですが、私の場合は持病有りということで大腸も毎年の検査です。その結果、見つかったポリープでした。一年遅れていたらそれこそ「開腹外科手術」となったかも知れませんし、ガン化していたかも知れません。80代に入った私、正に入院そして死亡適齢期を自覚、自覚!

Ⅱ-203 退院後(8日以降) その②

さてさてお酒です。アルコールを33日間完全に断つのは、飲酒後はじめてのことです。幸いにして手足の震えなどの禁断症状は一切出ませんでした(これも両親に感謝)。このように大きな決意をもって33日間に挑むことになったわけですが、この決意を確実にするため、「8月5日解禁日まで断酒!」を多くの人々に宣言したのです。いわば外を固めることによって断酒せざるを得ない環境に自分を置いたのでした。こうすることによって崩れてしまいそうな決意をより確実なものにしたのでした。夏場というこの時期にあってテレビでは冷たい生ビールのコマーシャルが流れる中、解禁日を指折り数えながらついに8月5日を迎えたのです。最初に350㎖の冷たい缶ビール、続いて大好きな大吟醸の冷酒と続きました。ところがです、どれほど旨いだろうと期待わくわくして飲んだ冷酒。それほど旨くないのです。「エッ?」「何?」「どうして?」と少々驚きの声を上げてしまいました。隣に居た妻が怪訝な顔でのぞき込むのです。「そんなはずはない、もっと旨いはずだ!」と、追加するも同じなのです。長い間酒を止めてしまった後遺症で酒のうまさが分からなくなってしまったのではないかと心配したほどでした。解禁日当日は、妻が酒の肴を揃えて祝い酒となったものの、拍子抜けの解禁日と祝い酒となってしまいました。

何故酒の旨さが分からなくなったのでしょうか?私はその道の専門家ではありませんのでよく分かりませんが、一ヶ月の断酒によって身体からアルコールが完全に抜けたことによる反動なのでしょうか。初めてお酒を口にした時と同じようなことになったのかも知れません。確かに初めて口にしたお酒を「旨い!」と言って飲んだ記憶は無いのです。

しかし、私の味覚も体調も大丈夫でした。翌日、翌々日と杯を重ねるうちに、その旨さが戻ってきたのです。今や旨い旨いの本来の姿に戻り完全な日常に戻ることが出来ました。良かった良かった!

ちなみに、ある調査によるとお酒に強い遺伝子タイプの人は「東北エリア」に多いとのことで、1位青森県、2位沖縄県、3位岩手県、4位秋田県そして5位が山形県なのだそうです。私はこの素晴らしい(?)タイプの中にいるようです。親とご先祖、そして天に向かって「有り難う!」