いかに生き、いかに死ぬか

圓應寺 住職法話

住職法話 第168回

緩和ケア医療に学ぶ生と死
【生と死の考察】180〜184

「親友の死について」

 前回のこの項では、友人と檀家さんの中で印象に残る方の死について述べました。今回はその10回目で、半世紀に亘ってお付き合いをしてきた親友の死についての前半です。

Ⅱ-180 半世紀に亘る親友の死

グランドキャニオン

 私の名古屋時代。私の経歴については、これまで何回か記してきましたが、名古屋市にあった(現在は、愛知県知多郡美浜町)日本福祉大学を卒業後、当時の愛知県立城山病院(現・愛知県精神医療センター)にPSW(精神科医療ソーシャルワーカー)として就職、寺と当・埀石家の事情で昭和54年に退職するまでの13年間に及んだ親友・S氏。その親友が2023年6月21日、満82歳で亡くなりました。名古屋の友とは言え、私が名古屋を離れ、当・山形に戻ってからも親しく付き合い、コロナ禍の3年間を除いては毎年顔を合わせてきた大の親友なのです。これまでこの項で述べてきましたように、やはり大切な方々が次々と亡くなってしまう悲しい年代に、私もなったということを突きつけられた想いを深くしたのでした。

Ⅱ-181 半世紀に亘る友

 S氏との付き合いについては、霊前で述べた「諷誦文」(この項の次回に記載)で述べますが、子供の「鍵っ子」を避けるため、新しい学童保育を一緒に作り上げた頃からの正に半世紀に亘る付き合いだったのです。亡くなる前の年(2022年)、S氏は、体調がイマイチの中、「最後の旅行・山形」として家族そろって山形に来てくれまた。それまでも何回か来たのですが、「最後の旅行」の覚悟からかご夫婦と共に長男と嫁いだ娘を含めた四人の、家族ぐるみの来形は初めてのことでした。迎えた私の方も妻と三人の子供(全員名古屋生まれ)と孫の全員体制でお迎えし、新型コロナが少し落ち着き、第Ⅴ類に移行した中、全員で歓迎会を催したのでした。その宴会の席上、S氏は少しばかりお酒が入って「タルイシさん!オレにはたくさんの友人がいるが、心からの親友はタルイシさんだとつくづく思う、有り難う!」と私の手を握って打ち明けるように話してくれました。勿論、私も同じ思いであり、手を握り返したのでした。

Ⅱ-182 家族ぐるみのお付き合い

 その歓迎会では、私の長女とS氏の長男が親しく語り合っていました。二人は同じ年齢(学年)で、学童保育で3年間一緒に育った仲ででした。二人は名古屋を去って実に45年ぶりだったのです。しかし当時の想いは強烈で、ここにも再会の花が咲いていました。ここに私の長男(学童保育1年間)も入り、ますます盛り上がっていました。一方で野球大好きのS氏は私の長男に野球話を持ちかけ、ここでも盛り上がり、会は大盛況だったのです。

 ★友人・知人・親友と言っても、当人同士の仲が良いという場合がほとんどではないでしょうか。ところがS氏との仲は、互いの妻そして子供達を含めた正に家族ぐるみの仲なのです。このような関係はむしろ珍しいのではないでしょうか。したがってS氏の死は、私の子供達を含めた家族の大きな悲しみでもありました。

Ⅱ-183 突然、お見舞いがお参りに

 翌年(2023年)6月1日、S氏の奥さんから「主人が主治医に自身の病状について直接聴いたところ『余命3ヶ月と言われた。このことは誰にも言わないこと、但しタルイシさんにだけは知らせておいて欲しい』と言われた」との電話を頂きました。病状は予想以上に進行していたのです。その後、「6月21に、一端自宅退院する予定」との連絡を頂き、その一週間後の28日にお見舞いに行くことを約束したのでした。ところが発熱の症状が出現、6月21日という最も昼が長い夏至の日に先を急ぐかのように亡くなってしまったのです。これを受けてお見舞いをお参りに変えて、予定した28に名古屋を往復することにしたのでした。私自身の入院予定(「内視鏡的大腸粘膜下層剥離術」、要するに大腸ポリープ摘出術)もあり、名古屋滞在3時間という弾丸往復となりました。奥様とじっくり語り合う間もなく、お参りのみさせて頂いたというような“再会”となってしまいまい、心残りを後にして帰って来たのでした。

Ⅱ-184 続く名古屋・友人の訃報

 この原稿を作成中(昨年、2024年12月)、名古屋から友人・Y氏の突然の訃報が入りました。Y氏は先に記した当時の城山病院で奥様と共に看護師を長く務め、私と同年齢で一緒に仕事した仲でした。しかし付き合いは職場だけではなく、住まいも近く、お子さんも私の子供に近い年齢でもあったところから、先に述べた学童保育に入所した家族でもありました。このような関係から、私が名古屋に出かけたときはいつも再会を楽しみにしていた友人だったのです。

 この稿の最初に述べましたが、「大切な方々が次々と亡くなってしまう悲しい年代に私もなったということを突きつけられた想い」です。以前にも述べましたが、久しぶりに小中高時代の同期生に会うと「○○が死んだ、入院した」などの話が最初に出てしまいます。自覚、自覚して日々を活きたいと・・・。