いかに生き、いかに死ぬか

圓應寺 住職法話

住職法話 第99回

有限の人生そして死を意識して
【「いのち」の考察】105~110

「「終末期医療」等について考える」

 前回は、私がズット気になっていた詩と歌 「手紙~親愛なる子供達へ」を紹介しました。今回はこの項で前々回まで7回に亘って述べた「終末期医療」等に関する私の考えと相容れない意見が発表され、論議を呼んでいますので、この内容を紹介すると共に、再度私の意見を述べたいと思います。

Ⅲ-105 再度「終末期医療」等について考える

圓應寺の夜桜

 7回に亘った(第59回・2016年2月~89回・2018年8月)「終末期医療」は、その他に「尊厳死」「延命治療」「安楽死」とその「法制化」等について述べました。その中で「(患者)本人の意志」が最も大切であることを力説しました。ところが、私の考え方と相容れない考えが文芸誌「文学界」(2019年1月号)に発表され、何かと話題になっています。この話題は朝日新聞(同年2月11日付)でも取り上げられ論議が拡大しているようなのです。
 そこで「文芸界」の内容を紹介すると共に朝日新聞の記事も踏まえて、私の考えを改めて述べたいと思います。

Ⅲ-106 再度「終末期医療」等について考える ~落合氏と古市氏の対談概要~

 「文学界」に「『平成』が終わり、『魔法元年』が始まる」と題して、「もうすぐ平成が終わる。次に来るのは、どんな時代か?『現代の魔法使い』の異名をとるメディアアーチスト・落合陽一氏」と、小説『平成くん、さようなら』を発表した、社会学者・古市憲寿氏。『平成育ち』のトップランナー二人」の対談として掲載されたものです。両氏は平成の時代を振り返ると共に来たるべき次の時代への展望を語る中で「超高齢化社会の未来図」として出された意見です。

 次に、その考え(意見)の概要を対談的に紹介します。
 国家経済の財政的危機を背景に、それを解決する方策として次のような対談が掲載されました。

落合氏「インフレを起こすか、歳出をめちゃくちゃ減らすか、」
古市氏「お金がないから社会保障費を削るというのは簡単ではない。この国は圧倒的に高齢者が多い。日本が民主主義国家である以上、社会保障費を大幅にカットできるか、かなり悲観的」
落合氏「今の後期高齢者にそれを納得させるのは難しくても、これから後期高齢者になる層──今の65歳から74歳の層──にどれだけ納得していただけるかが一つのキーになるんじゃないか、と。今の長期政権であればそれが実現できるんじゃないかと」
古市氏「財務省の友だちと検討したことがあるんだけど、別に高齢者の医療費を全部削る必要はないらしい。お金がかかっているのは終末期医療、特に最後の1ヶ月。『最後の1ヶ月間の延命治療はやめませんか?』と提案すればいい。胃ろうを作ったり、ベッドでただ眠ったり、その一ヶ月は必要ないんじゃないんですか、と。順番を追って説明すれば大したことない話のはずなんだけど、なかなか話が前に進まない。安楽死の話しもそう。政治家や官僚は安楽死の話をしたがらない」
落合氏「安楽死の話をすると、高齢者の票を失うと思っているんですかね?」
古市氏「本当はそんなことないと思うんだよね。今の60代や70代は自分の親世代の介護ですごく苦労しているんだよね。もしかしたら安楽死に肯定的かも知れない。」
落合氏「終末期医療の延命治療を保険適用外にするだけで話が終わるような気がするんですけどね。たとえば、災害時のトリアージで、黒いタグを取り付けられると治療してもらえないでしょう。それと同じように、あといくばくかで死んでしまうほど重度の段階になった人も同様に考える、治療をしてもらえない──というのはさすがに問題なので、保険の対象外にすれば解決するんじゃないか。延命治療をして欲しいひとは自分でお金を払えばいいし、子供世代が延命を望むなら子供世代が払えばいい。災害時に関してはもう納得いただいているわけだから、国がそう決めてしまえば実現できそうな気もするけれど。今の政権は強そうだし。」
古市氏「長期的には『高齢者じゃなくて現役世代に対する予防医療にお金を使おう』という流れになっていくはずなんだけど、目の前に高齢者がものすごい数いるわけだよね。政治家もお医者さんも、何千万人いる高齢者を無視したくない」
落合氏「高齢者の延命治療は自費で払うことにすれば、社会保障費をカットしつつ~」
古市氏「多くの高齢者は無意識に『国家の寿命と自分の寿命、どっちが先に尽きるか』というレースをしていて、おそらく自分の寿命が先に尽きるから、この国を変えようと思わない」