いかに生き、いかに死ぬか

圓應寺 住職法話

住職法話 第61回

仏教に見る祈りと教え
【仏教を今に生かす「いかに生きるか」の考察】

61~64

「弘法大師・空海 現在の青龍寺」

 前回のこの項では、空海が密教の大家・恵果和尚からの密教伝授と再度の私の訪問記を中心に述べましたが、今回は現在の青龍寺についてです。

Ⅴ-61 自筆の「南無大師遍上金剛」を頂く 

 2回目の青龍寺参拝時に、住職の寛旭師より特別な接待を受けた上、自筆の「南無大師遍上金剛」を頂くことに。
 ところでその寛旭住職は、以前にも触れたように西安の西約300キロ、甘粛省天水市の農村に生まれました。仏教徒だった両親の影響を受けて、14歳の時に西安興教寺に入り、修行。以後、浙江省の仏教学院で学び、普陀山普済寺で修行。2008年7月からは青竜寺に加え、西安の古寺・大興善寺の住職も兼ねるようになった方です。

Ⅴ-62 圓應寺に掲げる「南無大師遍照金剛」 

 達筆ではありませんが(大変失礼)、長年見れば見るほど実に味のある字なのです。
 現在、大切な記念として当圓應寺の本堂に掲げています。本堂に良く馴染みとけ合っている 「南無大師遍照金剛」です。

Ⅴ-63 整備された青龍寺 ①

 初めて参拝した1998(平成10)年から8年後、最初の状況からは考えられないほど「観光地化」しているのに驚きました。
 現地ではすっかり有名寺院となり、中国の習慣では有名なところ、景観の良いところで結婚記念写真を撮る風習があるとのことで、私が行った時には数組のカップルが来山、プロのカメラマンによる撮影が行われていました。

Ⅴ-64 整備された青龍寺 ②

 近年の青龍寺への交通便は飛躍的に発展しているようです。近くまで地下鉄が延び、そこからバスの便があるそうですし、更には工事中の地下鉄が開通すると「青龍寺」駅に直接行くことが出来るとのことです。今後は現地の観光地としてますます賑わうことになるのではないでしょうか。
 中国における密教は845年の仏教弾圧で滅ぼされ、青竜寺も廃寺となってしまいましたが、1984年日中の協力によって、跡地に恵果・空海記念堂が建てられました。そして1997年、記念堂は青竜寺となり、寛旭師が再建を進め、真言宗など日本の仏教界との交流も続けてきたのです。寛旭住職の努力によってますますの発展が期待されます。