いかに生き、いかに死ぬか

圓應寺 住職法話

住職法話 第30回

日々の生活の質をいかに高めるか
【生活の質の考察】23~25

「自殺と自死 1」

Ⅳ-23.自死(自殺)者の人数等について

ナイアガラの滝

詳しくは2012年8月1日付の「日本社会の現状」で述べましたが、その概要は、

  1. 2011年まで自死(自殺)者が14年連続で3万人を越える人数(12年は27,766人)であったこと
  2. 自死の原因として、うつ病、人身体の病気、多重債務、その他負債、統合失調症、生活苦、その他の精神疾患の順ですが、一つの原因と言うより、複数の原因が重なっている場合が多いように思われます
  3. 圧倒的に男性の自死が多いことです。

 自死者3万人(平成24年は3万人を下回りました)の背後には、その10倍に当たる自死未遂・自死企図者がいると言われています。その人びとにどのように対応し、自死を防ぐかが問われています。

Ⅳ-24.「自殺」と「自死」について①

カナデアンロッキー

 具体的内容にはいる前に最近言われ出した「自殺」を改め「自死」という言葉について考えたいと思います。この言葉は、前にも述べましたが、「孤独死」ではなく「孤立死」という言い方が使われ出したことと一脈通ずるところがあります。
 さて、「自殺」と言う言葉ですが、「殺」という言葉は非常に強く印象的にも良くありません。とくにご遺族にとつては家族を失った苦しみに加え、「殺」の響きがより一層苦しめるという考えから「自死」に切り替えようとするものです。但し、国や公的機関は現在のところ「自殺」で統一されているようです。

Ⅳ-25.「自殺」と「自死」について②

 私もこの「自死」には賛成です。但し、余りこの問題を聲高に叫ぶことには少々疑問もあります。学問的、理論的、教育的にはその通りなのですが、私の経験から考えますと亡くなって暫くは、ご遺族にとっては身内を失った悲しみが余りにも大で「自殺」でも「自死」でもとりあえずは余り問題ではないように思えるからです。
 私の経験は、山形県立中央病院医療福祉相談員時のものです。したがって懸命な治療及ばず、家族をはじめとする関係者の願い届かず、亡くなってしまった患者さん。または、長くて数ヶ月もしくは「自殺」(当時は「自死」という言葉はありませんでした)を図り、数日間の入院治療で救命できたご家族・本人との関係から受ける印象から来ています。したがって身内を亡くしてある程度冷静になった時期のものではありません。長い目で見るとやはり「自殺」ではなく「自死」の方が良と思います。
 しかしこの言葉の使い分けを強調しすぎることについては、理論・理屈過ぎる響きを感じ、少々違和感を持つものです。

 次回のこの項では、私が山形県立中央病院で医療福祉相談員として経験した「自死」(未遂を含めて)について述べたいと思います。