住職法話

住職法話 「いかに生き、いかに死ぬか」

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第103回

(令和元年10月1日)
U.緩和ケア医療に学ぶ生と死

 さて、前回のこの項では、檀家さんの中で印象に残る方の死について述べましたが、今回はその続きで2回目です。

U−109 印象に残る檀家さんの死 B− 〜H子さんの寂しい…死〜

アメリカ・グランドキャニオン

 ある日、H子さんの「後見人」である社会福祉法人団体の職員さんから「突然、H子さんが亡くなりました。取り敢えずお知らせします。葬式などについては追ってご相談します」との電話が入りました。
 H子さんは長いことマンションの一人暮らしでスナックを経営していましたが、20年ほど前に一人息子が舞い戻って二人住まいしながら店を経営し、ようやく落ち着いた生活となりました。私も病院勤務の現職時代に友人達と何度も店を訪れ、カラオケに興じながら美味しいお酒を頂きました。
 ところがその息子は7年ほど前、急死してしまったのです。その後、心の支えを失った形で徐々に認知症が進み、店の運営も出来なくなり、手放してマンション内で一人のだけの内的生活となってしまいました。H子さんの友人が心配して来寺し、相談になりました。結果、友人の尽力で後見人を建てることになり、家裁の裁定である社会福祉法人に後見人が決定されたのでした。

U−110 印象に残る檀家さんの死 B− 〜H子さんの寂しい…死〜

 Hさんは複雑な生育をたどりましたが、若い時代は当寺近くに住んでおり日常的に寺との関わりを持っていました。私はH子さんのことを「○○チャン」と、H子さんは私のことを「けいほうチャン」と呼び合う中で、ご自宅で遊んだこともあり、檀家と言うよりごく親しい人といった方でした。
 改めてH子さんは、当寺の檀家さんです。墓地には何体ものご先祖が眠っており、寺檀関係で寺の運営関係費に当てる「護持費」等の経費を檀家さんに納めていただいています。その納入依頼書をご自宅に郵送すると数年前から後見人の方が寺に持参するようになり、その方からH子さんの近況を伺う形になっていました。「要介護の状態になったものの、認知症状は少しずつ進んでいるが身体の方はそれなりに元気でいる」と。

U−111 印象に残る檀家さんの死 B− 〜H子さんの寂しい…死〜

 この時点でチョットした問題がありました。H子さんは先述の通り一人暮らしです。このままの状態では何時かは「無縁墓」になってしまいます。この様な事情を抱えた方はH子さん宅だけでなく、檀家さんの中に何軒か散見され、2016年に「永代供養塔」と「永代供養墓」を建立しました。その上で墓石の撤去・解体と遺骨の改葬について後見人と家裁の間で協議頂くよう依頼しておりました。しかしその結論が出る前に、H子さんは亡くなってしまったのです。
 但し、後見人の方に私は、「○○チャンは、これまでの付き合いから自分の葬儀は私、圓應寺に。墓石の撤去や遺骨改葬も当寺に委ねることに間違いありません」と自信を持って申し上げておりました。

U−112 印象に残る檀家さんの死 B− 〜H子さんの寂しい…死〜

 約一ヶ月後、後見人から「遺産の整理などがほぼ完了し、家裁の決定も出ましたので葬式と墓石の撤去、改葬を」との電話が入りました。
 数日後、当寺で葬式を執り行いました。私は、自分一人でも行うつもりでしたが、後見人の団体から担当者ともう一人の職員が参加されました。若い頃からの付き合いを想い起こしながら授けた戒名、そして諷誦文(フジュノモン、一般で言う引導文)を唱え、しっかりとした葬儀を終えました。

U−113 印象に残る檀家さんの死 B− 〜H子さんの寂しい…死〜

当寺永代供養墓

 H子さんのスナック時代は、客が引けをとらず、いつも賑わいを見せ座れないほどでした。歌がうまく私も一緒にカラオケを楽しんだものでした。一方でH子さんは友達と年に何回は海外旅行を楽しんでもいたのでした…。
葬儀が終わって、新しく造った「永代供養墓」に埋葬しました。埋葬に立ち会う人はなく、戒名を銘板に刻み供養墓に表示し、私一人で戒名を唱えながらの埋葬となりました。
 H子チャンの人生、最期は実に寂しいものでしたが、住職の私は、しっかりとお参りを続けると共に、H子チャンを忘れないことが責務と思っています。ご冥福を心から祈るものです。

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