住職法話

住職法話 「いかに生き、いかに死ぬか」

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第99回

(令和元年6月1日)
V. 有限の人生そして「死」を意識して

前回は、私がズット気になっていた詩と歌 「手紙〜親愛なる子供達へ」を紹介しました。今回はこの項で前々回まで7回に亘って述べた「終末期医療」等に関する私の考えと相容れない意見が発表され、論議を呼んでいますので、この内容を紹介すると共に、再度私の意見を述べたいと思います。

V-105 再度「終末期医療」等について考える

圓應寺の夜桜

 7回に亘った(第59回・2016年2月〜89回・2018年8月)「終末期医療」は、その他に「尊厳死」「延命治療」「安楽死」とその「法制化」等について述べました。その中で「(患者)本人の意志」が最も大切であることを力説しました。ところが、私の考え方と相容れない考えが文芸誌「文学界」(2019年1月号)に発表され、何かと話題になっています。この話題は朝日新聞(同年2月11日付)でも取り上げられ論議が拡大しているようなのです。
 そこで「文芸界」の内容を紹介すると共に朝日新聞の記事も踏まえて、私の考えを改めて述べたいと思います。

V-106 再度「終末期医療」等について考える 〜落合氏と古市氏の対談概要〜

「文学界」に「『平成』が終わり、『魔法元年』が始まる」と題して、「もうすぐ平成が終わる。次に来るのは、どんな時代か?『現代の魔法使い』の異名をとるメディアアーチスト・落合陽一氏」と、小説『平成くん、さようなら』を発表した、社会学者・古市憲寿氏。『平成育ち』のトップランナー二人」の対談として掲載されたものです。両氏は平成の時代を振り返ると共に来たるべき次の時代への展望を語る中で「超高齢化社会の未来図」として出された意見です。

 次に、その考え(意見)の概要を対談的に紹介します。
 国家経済の財政的危機を背景に、それを解決する方策として次のような対談が掲載されました。
落合氏
「インフレを起こすか、歳出をめちゃくちゃ減らすか、」
古市氏
「お金がないから社会保障費を削るというのは簡単ではない。この国は圧倒的に高齢者が多い。日本が民主主義国家である以上、社会保障費を大幅にカットできるか、かなり悲観的」
落合氏
「今の後期高齢者にそれを納得させるのは難しくても、これから後期高齢者になる層──今の65歳から74歳の層──にどれだけ納得していただけるかが一つのキーになるんじゃないか、と。今の長期政権であればそれが実現できるんじゃないかと」
古市氏
「財務省の友だちと検討したことがあるんだけど、別に高齢者の医療費を全部削る必要はないらしい。お金がかかっているのは終末期医療、特に最後の1ヶ月。『最後の1ヶ月間の延命治療はやめませんか?』と提案すればいい。胃ろうを作ったり、ベッドでただ眠ったり、その一ヶ月は必要ないんじゃないんですか、と。順番を追って説明すれば大したことない話のはずなんだけど、なかなか話が前に進まない。安楽死の話しもそう。政治家や官僚は安楽死の話をしたがらない」
落合氏
「安楽死の話をすると、高齢者の票を失うと思っているんですかね?」
古市氏
「本当はそんなことないと思うんだよね。今の60代や70代は自分の親世代の介護ですごく苦労しているんだよね。もしかしたら安楽死に肯定的かも知れない。」
落合氏
「終末期医療の延命治療を保険適用外にするだけで話が終わるような気がするんですけどね。たとえば、災害時のトリアージで、黒いタグを取り付けられると治療してもらえないでしょう。それと同じように、あといくばくかで死んでしまうほど重度の段階になった人も同様に考える、治療をしてもらえない──というのはさすがに問題なので、保険の対象外にすれば解決するんじゃないか。延命治療をして欲しいひとは自分でお金を払えばいいし、子供世代が延命を望むなら子供世代が払えばいい。災害時に関してはもう納得いただいているわけだから、国がそう決めてしまえば実現できそうな気もするけれど。今の政権は強そうだし。」
古市氏
「長期的には『高齢者じゃなくて現役世代に対する予防医療にお金を使おう』という流れになっていくはずなんだけど、目の前に高齢者がものすごい数いるわけだよね。政治家もお医者さんも、何千万人いる高齢者を無視したくない」
落合氏
「高齢者の延命治療は自費で払うことにすれば、社会保障費をカットしつつ〜」
古市氏
「多くの高齢者は無意識に『国家の寿命と自分の寿命、どっちが先に尽きるか』というレースをしていて、おそらく自分の寿命が先に尽きるから、この国を変えようと思わない」

V-107 再度「終末期医療」等について考える 〜朝日新聞の記事〜

圓應寺の冬景色

 「文学界」の両氏の対談に対して朝日新聞は、「終末期医療とコスト 対談に波紋 『お金がかかる最後の1ヶ月 延命治療やめませんか?』」と題して「命が『従』に違和感・安易な回答求める風潮」との見出しの下、高橋健次郎氏の名入りで「若手論客の対談が、ネットなどで波紋を広げました。財政危機の中で終末期医療にはお金がかかっているとの認識があったようですが、実際はどうなのでしょう。また、人生の最後を『コスト』で語ることを、どのように考えたらよいのでしょうか」との問題を投げかけた上で、大綱次のような記事を掲載しました。
 古市氏の「胃ろうを作ったりの1ヶ月は必要ないんじゃないですか、と。順番を追って説明すれば大したことない話のはず」。そして落合氏の「終末期医療の延命治療を保険適用外にするだけで話が終わるような気がするんですけどね。」とのやり取りに対して、ネット上では「人間を『数』か『コスト』としか見ていない」との批判的意見を掲載。
 又、「お金が『主』で命が『従』という考え方ではないか。違和感があった」との女性意見を紹介をした上で、ジャーナリスト・江川紹子さんの体験をもとにした「『最後の1ケ月』はあくまで結果。前もって分からない」との意見を紹介。さらに「『終末期』と『お金』が結びつけられる背景には、江川さんの『コスト』や『生産性』など経済活動に関わる言葉で物事を評価する見方が浸透していることがある。命の切り捨てにつながる」との意見を掲載しました。
 又、「亡くなる1ヶ月前の医療費『全体の3%程度』」との見出しを付けて、政府の社会保障国民会議で委員を務めた権丈善一慶応大学教授の「亡くなる1ヶ月前の医療費は、全体の3%程度。急に亡くなる人も含まれるので、実際はもっと少ない。厚生労働省が07年にまとめたガイドラインでは、本人の意志に基づくことを基本に、医療チームや家族も加わり治療方針を判断するとした。昨年3月に改定されたガイドラインでは、認知症や病気の進行で意志を確認できないこともあるため、前もって繰り返し話し合いを重ねることを推奨している」との見解を紹介しています。
 尚、この記事によると「落合氏はその後、『延命治療を保険適用外に』の発言などについて『反省し撤回』を表明した」と言うことです。
 但し、落合氏の発言撤回は、原本を読む限り、うっかり口が滑ったと言うようなたまたま発言、うっかりミスと言ったものではなく、確信に満ちた氏自身の考えに基づいた発言と私は読んでいます。

V-108 再度「終末期医療」等について考える 〜私の考え@〜

 皆さんは、落合氏と古市氏の対談内容にどのような考えをお持ちでしょうか。次に私の考えを述べることにします。この項の冒頭で「私の考えと相容れない意見が発表」と述べた通り、両氏の考えに私は「一つの考え方」としても了解できるものではありません。
 私の考えは、朝日新聞掲載内容に近いものですが、その記事を踏まえた上でなおのこと、次の意見を持っています。
 我が国の財政は、国民一人当たり一千万円を超える借金を抱え、一般の家庭や会社に置き換えると破産状態と言っても過言ではありません。しかも「財政再建」を叫んではいますが、その借金はますます増える情勢です。そんな中、「全世代型社会保障(の充実)」と「財政再建」のためとして、今年(2019年)10月から消費税が8%から10%に引き上げられようとしています。
 この大きな課題の中で、両氏の主張は財政再建の主役として「社会保障のカット」を取り上げ、その中でも医療保険、特に高齢者の終末期医療について、古市氏の「最後の1ヶ月間の延命治療はやめませんか?」との提案、落合氏の「終末期医療の延命治療を保険適用外にするだけで話が終わるような気がするんですけどね」の考えには反対と言うほかありません。
 それは、朝日新聞掲載の「亡くなる1ヶ月前の医療費は全体の3%程度」であり、決して医療保険財政の安定化、社会保障全体と国家財政の改善にはなりません。私は、両氏の討論は医療保険(ひいては国家財政)の安定化を主軸にしたものではなく、その安定化に名を借りた「命」の取引、差別を感ずるのです。
 各氏が指摘しているとおり「最後の1ヶ月は予測がつかない」のです。その上で、7回に亘って述べた延命治療等についての考えは、あくまでも「(患者)本人自身の考えを基本に」が最大の柱になっています。この考え方は紹介した全ガイドラインにも共通した外すことの出来ない基本中の基本なのです。

V-109 再度「終末期医療」等について考える 〜私の考えA〜

 次に「終末期医療の延命治療を保険適用外に。延命治療をして欲しいひとは自分でお金を払えばいいし、子供世代が延命を望むなら子供世代が払えばいい」との考え方についてです。
 命はお金で買うものなのでしょうか?保険から外すということは金持ちしか医療を受けられないことを意味します。かつて結核の治療の劇的改善薬としてペニシリンが登場した時代に、当初は保険適用(国民皆保険ではなかったが)ではなく、金持ちしかその治療を受けることが出来ませんでした。漸く保険適用になって初めてペニシリンが本当の劇的治療薬になり得たのでした。この様に医療は、国民一人一人の必要に応じて受けることが出来る社会になることが極めて重要なのです。
 落合氏は自身の考えを補充するため災害時のトリアージで治療してもらえない事態を取り上げ、「災害時に関してはもう(国民に)納得いただいている」ことを上げていますが、このトリアージは正に天と地がひっくり返ったような大災害時での対応です。この場合は、多くの被災者を前に、医療スタッフも治療薬と医療機器も極めて限られる中での言わば緊急対処法です。延命治療・最後の1か月への対応と同列・同次元のものでは決してありません。
 氏のトリアージに例を引いて「保険適用外」を実施する可能性について「国がそう決めてしまえば実現できそうな気もするけれど。今の政権は強そうだし」と述べているのも気になる考え方です。「○○総理一強時代」を意識しているのでしょうか。政治的にしかも強引に決めるような内容ではないはずです。少なくとも厚労省のガイドラインでも本人の考えが基本と述べているのですから。

V-110 再度「終末期医療」等について考える 〜私の考えB〜

 最後に安楽死についてです。この件について古市氏は「政治家や官僚は安楽死の話をしたがらない」、落合氏はこれに応えて「安楽死の話をすると、高齢者の票を失うと思っているんですかね?」と論じています。
 私の7回連続の項で述べてきましたように、尊厳死と違い安楽死は自らの死を積極的に選択する意味合いを持ちます。この意味合いは、積極的に選択させる外圧の危険性をはらむことにもなります。命の尊さを考えるとき、医療者が、たとえ本人が望んだ死(安楽死)であったとしても、積極的に死の手伝いをするというのはやはり問題です。だからこそ「高齢者の票を失う」という単純なあるいは政治力学上の問題ではないと私は思っています。もっともっと命の尊厳を大切にして貰いたいと思うのです。
 以上が私の考えですが、皆様は如何でしょうか?

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