住職法話

住職法話 「いかに生き、いかに死ぬか」

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第73回

(平成29年4月1日)
U. 緩和ケア医療に学ぶ生と死

 前回のこの項では、遺族ケアについての2回目として聖ヶ丘病院ホスピス長三枝好幸先生の講演を中心に述べましたが、今回は、これまでの流れを一時中断して、2016年10月22日開催された「東北緩和ケア研究会」で私が発表した「いかに生きいかに死ぬか 〜緩和ケア医療に学ぶ 生活に生かす仏教〜」について述べます。
 この研究会は、東北六県を巡り毎年開催され、昨年は当・山形市で開催されました。その事務局をかつて勤務した山形県立中央病院緩和ケア病棟スタッフが担当し、その病棟医長の先生からの勧めが有り、意を決して発表することにしたのでした。
 かつては様々な研究会・学会などで発表したものですが、まさかこの歳でこの様な機会を頂くとは思ってもいませんでした。人生最後の発表ということになったのです。

U-76. 発表の基本

圓應寺永代供養塔 2016年10月建立

 最近「臨床宗教師」の必要性が叫ばれ、宗教家に対して全国の大学で教育機会を持たれるようになりましたが、私の場合はこれとは真逆の立場。つまり長く病院の医療福祉相談員として勤務し、特に緩和医療の学習、緩和ケア病棟の立ち上げと立案そして実際に緩和ケア病棟で勤務した上で、住職専任として現在に至っています。このような経歴から緩和医療に多くのことを学び、住職としての活動を支えるものとなりました。したがって発表内容は、次ページのテーマに掲げたように「緩和ケア医療に学ぶ 生活に生かす仏教」となりました。
 発表ではパワーポイントを使わせていただきました。以下2回に亘って、その画面を使いながら発表内容を紹介することとします。
 尚、ここに紹介する内容は、緩和ケア医療の専門家の方々に発表したものを一般の方々向けに一部手直し補筆したものです。ご了解ください。

U-77. 経歴と緩和ケア医療との出会い


 愛知県の日本福祉大卒後、愛知県で13年間精神科の単科病院でPSW(精神科ソーシャルワーカー、精神科医療福祉相談員)として勤務。先代住職(私の父)が死亡したため、昭和54年、住職の跡継ぎとして生家である山形市の寺に戻ることに。同時に25年間に亘り山形県立中央病院MSW(医療ソーシャルワーカー、医療福祉相談員)として勤務。その間、 緩和ケア医療の院内任意学習5年間で新しい医療の考え方を学ぶ。その後新病院移転新築に当たり、県当局に緩和ケア病棟設立を院内スタッフと共に働きかけ、新病院構想に組み込まれることに。設立に当たり、緩和ケア病棟運営要綱作成責任者として病棟運営のソフト面を担当。退職までの3年間は、実際に緩和ケア病棟で勤務(一般病棟と兼務)した後、2004(平成16)年定年退職。住職専任となりました。

U-78. MSWとして緩和ケア病棟の実際に学ぶ @

(緩和ケア病室から公園を望む)

 緩和ケア病棟に入る条件の一つに「余命3〜6ヶ月」という目安があります。このような縛りは他の一般病棟には勿論ありません。ここにこの病棟と患者さんが持つ特殊な環境があるのです。
 人生の終焉まで数ヶ月、いや数週間もしかすると数日という患者さんにとって、その日その日が実に新鮮であり、今自分が生きていることを実感するのです。病室を訪問すると「トイレに行けた!」との嬉しい叫びを良く耳にします。緩和ケア病棟に入る前までの入院生活は上も下も管つき状態(いわゆる「マカロニ状態」)で治療を受けていた患者さんが結構多いのです。その患者さんが病室内のトイレで自分で出来たことに大きな喜びを持つのです。又、「今日も生きていた!」と顔を合わせるなりニコニコと叫ぶ患者さんがいるのです。

U-79.MSWとして緩和ケア病棟の実際に学ぶ A

(緩和ケア病棟の病室)

 このように余命3〜6ヶ月と宣告された患者さんは、今まで出来なかったトイレを自分でやれたことに喜び、そして今朝も目覚め「今日も生きている」という喜びを実感するのです。健常者にとって自分でトイレし、夜床につくときは翌朝いつものように目覚めることを前提としています(いやそれを意識すらしません)。患者さんは正に当たり前のことに喜び、感激すらするのです。しかしその患者さんも確実に死を迎えるという事実に私は向き合ってきました。「人は自分の死を前にして生を知る」というどなたかの言葉がありますが。私はこの様な患者さんの病棟での日常生活から大きな大きなものを学んだと思っています。つまり、余命何ヶ月に迫ってから、生きている喜びと実感を持つことではなく、普通に生きている時から今日という一日を大切に生きるということを自覚し、日常生活に生かすことの必要を学んだのです。この学びこそが、現在の僧侶としての活動の礎になったのでした。

U-80. 退職そして「死」を語る坊主に @

本尊・地蔵菩薩

 2004(平成16)年、定年退職して住職専任となりました。早いもので今から13年前(2017年現在)のことになります。緩和ケア病棟をはじめMSWとして勤務していた頃の日本社会の「死」に対する考え方は、医療の場ではガンの告知の必要性や緩和ケア医療の全国的な進展もあって「死」を避けない傾向が出てきていましたが、学校教育の場や僧侶の世界にあっても「頑張って生きる」などという「生きる」という観点ばかりが強調され、人はいつかは死ぬという「死」の観点を意識的に避けるか抜け落ちてしまっている時代でした。
 私の体験ですが、退職して種々の講演に招かれ、演題テーマを「いかに生きいかに死ぬか」と申し出ますと「『いかに生き』はいいんですが、『いかに死ぬか』は外して頂けませんか」という主催者側からの要請が何回かあったほどです。
 当時の僧侶の世界で様々な勉強会に出ても「生」と「死」が表裏一体として日々の生活を見つめるという観点からの講演や論文は私の知る限りあまり目にすることはありませんでした。

U-81. 退職そして「死」を語る坊主に A

永代供養墓 2016.10建立

 この様な状況下にあって、退職後は積極的に「人は死ぬ」という法話を日常的に行うことと、依頼された講演は全て「いかに生きいかに死ぬか」というテーマで今日まで行ってきました。幸いにも檀家さんにあっては「住職は長年病院勤務」ということが知れ渡っていましたし、檀家さんが勤務病院に入院した時は必ず病室を尋ねていましたので、私が語る「死」は、宗教からの切り口だけではなく、医療からの切り口も含めてのもので、意外とスムーズに受け入れられたのかも知れません。
 法話の内容については、亡くなって葬儀を終えた七日参り等を通して、故人の生き方を例に取り、遺族である生者に「いかに生きいかに死ぬか」を通して、遺族へのグリーフケア(悲歎から立ち直るための支援)の一助になるよう努めているところです。

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