住職法話

住職法話 「いかに生き、いかに死ぬか」

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第68回

(平成28年11月1日)
U. 緩和ケア医療に学ぶ生と死

 今回は、前回に続き遺族ケアについての二回目として聖ヶ丘病院ホスピス長三枝好幸先生の講演を中心に述べます。

U-71. 遺族ケア  〜三枝好幸先生の講演から〜 E

ハウステンボス

 ご遺族の想いは、最期まで抗ガン剤を中心とした治療が功を奏さず、無我夢中の痛みの中で患者さんが死を迎えた場合と、痛みから解放されその人らしい人格を経て死を迎えた場合の心境は大きく異なります。前者の場合のご遺族は「死を迎えるのはこのような痛みの中で」とも感じており、緩和医療の内実を知らないことが大きく影響しています。反対に緩和医療の末、お亡くなりになった場合の多くは「痛い痛いと言わずに、逝ったネ」と。

U-72. 遺族ケア  〜三枝好幸先生の講演から〜 F


 「大切な人を亡くした悲しみが消えることはなくとも、こころが和らぐことが可能」としてのB「やれるだけのことはやった」と遺族が感じることが出来ること。このことは当然のことながら「A より良く生きられた」との実感ともかなり共通するものです。つまり見送る遺族として患者さんにどのような手当・手だて・手助け・支え・寄り添うことが出来たかどうかと言うことです。

U-73. 遺族ケア  〜三枝好幸先生の講演から〜 G

 「『死の受容』とは『あきらめる』ことではなく、病気が治ることは難しいと認識しつつも、『生きることをあきらめない』ということ」との三枝先生のお話を紹介しましたが、「生きることをあきらめさせない」ために、家族としてどのような働きかけをしたかどうかも問われることになります。以前にも述べましたが、実現可能なホンのチョットシタこと。「孫が来週帰ってくる」、「間もなく大好きな庭の花が咲く、枕元に持ってくるから」、「子供のスポーツ大会もうすぐ、ビデオ撮ってくるから」等々。こうして、「やれるだけのことはやった」という実感は、死亡という現実を迎えてもあまり暗いものではありません。親戚・友人・知人等々にそして住職である私にも「死」、「死に至る経過」、「患者と自分達はどのように過ごしてきたか」等を、正対してしっかりお話しをします。ご遺族自身、ご自分に同じように語りかけているのです。

U-74. 遺族ケア  〜三枝好幸先生の講演から〜 H

 三枝先生は「ホスピス緩和ケアにおける今後の課題」として、「行政は緩和ケア病棟は『症状がコントロールしたら在宅に、死期が迫ったら看取りのために入院』と考えているのではないか、緩和ケア病棟医療は、医療という枠を越え、患者さん・家族と共に残された時間をどう生きるかを共に考えお手伝いするところです」と。

U-75. 遺族ケア  〜三枝好幸先生の講演から〜 I

 また、先生は「急性期の病院で『抗ガン剤の治療は終わりました』ということで退院を迫られ、行くところ無く緩和ケア病棟を勧められる現実」を問題にされました。さらに「国は約8%のガン在宅死を40%まで引き上げる構想を持っているが、実際にはガン難民とならないか心配」とも述べておられます。医療費削減の方向の行き先が心配されるのです。
 この様に緩和ケア病棟・医療が抱える大きな問題があります。現に、山形県立中央病院にも同じような実態がありますし、緩和ケア病棟を開設し10数年の月日が流れましたが、他院からの紹介がまだまだ少ない状況は余り変わりません。今後の大きな課題と言えます。この件に関しては別の機会に述べることとします。

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