住職法話

住職法話 「いかに生き、いかに死ぬか」

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第44回

(平成26年11月1日)
V.有限の人生そして「死」を意識して

 この項の前回は「人生80年」の中、長い間働いて定年を迎えた場合の、「第二の人生」への切り替えについて、私の例を中心にその前半を述べました。
 今回はその後半です。

V−41.退職時の生き方 〜第二の人生への切り替え〜 私の場合 C

総本山智積院金堂
総本山智積院金堂

 前半で述べましたように退職前から本山修行の準備をしながら平成16年3月に定年退職となりました。 その後一ヶ月の間をおいて5月に本山への登嶺(本山にのぼること)となりました。 この修行は「練行(れんんぎょう)」と言い、約二週間に亘って早朝(いや深夜)の2時起床で修行に励むというものです。  尚、登嶺が5月になったのは練行の日程は本山で決定するもので、修行僧が自分の都合で出来るものではなく、指定された最も早いのが5月ということからです。

V−42.退職時の生き方 〜第二の人生への切り替え〜 私の場合 D

花壇

 この様にして退職半年前から本山修行の準備をした結果、何とか無事に修行を終え、僧侶として最初のしかも最大の山を乗り切ることが出来たのでした。 この修行を土台にその年の秋に御詠歌講(御詠歌を練習するグループ)を立ち上げ、数年後には二度にわたる本山修行を修めることが出来ました。

V−43.退職時の生き方 〜第二の人生への切り替え〜 私の場合 E

弘法大師修行僧

 ご詠歌についても兄弟子の大きな影響があります。病院の現職時代に「これからはご詠歌が必要となる。 最低の資格でもよいから練習して資格(教えるための)をとっておいた方が良い」との進言で、「準師範」という資格を講習会で妻と一緒に取っていました。 しかし資格取得後、ほとんど練習らしいこともせず「退職して暇ができたら」の気持ちでいたのです。

V−44.退職時の生き方 〜第二の人生への切り替え〜 私の場合 F

花

 5月の練行も無事終わり一息ついた段階で、「ご詠歌をこのままにしていてはいつまでも立ち行かない、秋をメドに講員さんを募集しよう」と決意しました。 立ち上げを先に決めたため、教える一応の資格はあっても実力は全くないため、兄弟子を中心に教えを請うことと宗派で指導者を育成している講習会に参加してにわか作りの勉強を始めました。
 宗派の講習会は東京で開催されます。そのたびに山形新幹線の日帰りで励みました。檀家の人々に「秋にはご詠歌講を立ち上げる」と宣言してしまったため、私も必死だったのです。

V−45.退職時の生き方 〜第二の人生への切り替え〜 私の場合G

観音様

 何とかご詠歌の初歩を覚えた段階で檀家さんを中心にご詠歌講への加入を呼びかけました。結果、私の予想を超えて30人規模となりました。「密厳流遍照講圓應寺支部」の立ち上げです。
 ご詠歌についてはホームページの基本画面「ご詠歌」の項で述べていますのでそちらをご覧いただきたいと思いますので、ここでは詳述しませんが、講を立ち上げて一年半後(平成18年4月)に33年毎に行われる「圓應寺観音ご開帳」祭礼の際には「圓應寺観音ご詠歌」を奉詠することができました。
 その後も東日本大震災関係法要(ホームページ「臨時法話参照」)をはじめ、ことある毎に奉詠していただくようになりました。又、密厳流の全国大会、東北北海道大会などにも積極的に参加しております。
 現在は私の宗教活動、寺の運営にとってなくてはならない貴重な存在となっています。第二の人生のスタートに当たり、このご詠歌講についてもあまり間をおかず、思い切って立ち上げたことが結果として良かったのではないかと思っています。
 次回のこの講では、苦手な歩行をクリアした早朝ウォーキングについて述べます。

 現在、曲がりなりにも僧侶としての役割を果すことが出来ているのは、退職時の準備と心構えだったのではないかと思っています。
 この様な体験からも、第二の人生への切り替えは、退職して間をおかず、準備を含め即移行することが必要なのではないかと思っています。

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