住職法話

住職法話 「いかに生き、いかに死ぬか」

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第39回

(平成26年6月1日)
V.有限の人生そして「死」を意識して

 この項の前回は海外で出会った大自然の感動と目がご不自由な方からいただいた感動を紹介しました。
 今回は「人生80年」の中、長い間働いて定年を迎えた場合の、「第二の人生」への切り替えについて、私の例を中心に2回にわたって述べます。

V−36.「超高齢社会における生涯学習のあり方に関する検討会」の提言

文科省

 2012年2月、文科省有識者会議の検討会から標記の提言がなされました。その要旨は、

@
「50年後には高齢者一人を現役世代1.3人で支えることが予測される」こと
A
「現代の日本では死の実感が、生活、意識、医療教育など社会の様々な面で抜け落ち、『死』と向き合う経験が減少している」こと
B
「死と向き合うことで生きる意味を見いだし、今、生きているこの一瞬を大切にすることが出来る」こと
C
「第二、第三の人生設計を行う上で、人生の締めくくり方のための学びも必要である」こと

 以上のように多死社会を迎える中で、これまでのように「死はデリケートな問題……として避けて通る訳にはいかない」というものでした。現代社会の生と死の課題について、国として初めて明確な問題意識を投げかけたように思います。

V−37.退職時の生き方 〜第二の人生への切り替え〜

花壇

 「死を意識してこそ今(今日一日)を大切に生きることが出来る」についは、これまでも述べてきました。そこでこの問題意識に照らして、第二の人生への踏みだしについて考えてみたいと思います。長年働き定年を迎えた人にとって、

  • @ これからは毎日が日曜日だ!
  • A 慌てることはない、人生80年時間はたっぷりある
  • B 半年か一年、ゆっくりしてそれから何をするか考えよう

 との話を耳にしますし、このような考えになりやすいことも頷けます。しかし、私たちは一度楽をしてしまうと元に戻すのはものすごい努力が必要になるのです。それまで続けた仕事中心の日常生活。これは何十年と続いた習慣です。習慣化すれば余り努力は必要ないことについては以前述べたとおりです。
 しかし一度楽をしてしまい、新たに習慣化するにはものすごい努力が必要となってくるのです。歳を重ねますとこの努力について行けない身体的精神的状態にもなり、ますます大変になってしまいます。ましてや第二の仕事となると‥‥。

V−38.退職時の生き方 〜第二の人生への切り替え〜 私の場合@

弘法大師修行僧
弘法大師修行僧

 ご案内のように、私は38年間精神科単科の病院と総合病院で「医療福祉相談員」として勤務した一方で、山形に帰ってからは「住職」の任も持っていました。いわゆる「二足のわらじ」を履いていたわけです。
 平成16年3月、定年退職となり、以後住職に専念することとなりました。しかしそれまでの二足のわらじの住職としての実力は誠に貧弱この上ない状態でした。そのためいつかは本山でしっかり修行(勉強)をしなければと思っていました。そうです「いつかは本山で」と思っていたのです。
 しかし実際は、退職後すぐ本山に行ったのです。結果、この時の切り替えがわたしの場合は実にスムーズに出来、今振り返ってみると「あの時すぐ行ってよかった」というのが実感です。
 半年か一年待って休んでからでは厳しい(私にとって)修行には二の足を踏んだかもしれません。

V−39.退職時の生き方 〜第二の人生への切り替え〜 私の場合A

花

 このようにスムーズに切り替えが出来たのは次の二点によるものと考えています。その第一は、僧侶としての兄弟子の「これまでは本山修行に行きたくとも行けなかったが、やっとその時期が来る。歳をとればとるほど修行はきつくなる。退職したら間を置かずに」という助言です。 日常的に指導・教授を頂いてきた兄弟子の助言は強く私の心に響いたのです。
 第二はその年度の退職予定者に対して行われた「第二の人生をいかに迎えるか」という講習です。
 この講習は退職の半年前、平成15年の秋に行われました。席上、ライフスタイルを考える専門家は「退職後の人生を退職後に考えてはダメ! 皆さん今この時期から考え準備を!」「退職して一服してからというのはダメです。それでは間に合わないし殆どうまくいきません」という内容でしてた。付き合いで講習会に出席したようなものでしたが、「なるほどなるほど」と。

V−40.退職時の生き方 〜第二の人生への切り替え〜 私の場合B

観音様

 このような助言と指導があり、退職の前年の秋から本山修行の準備をはじめした。本山での修行は出かけるまでの準備が大変でした。それまでの私にとっては読んだことのないお経・教典。本山に行く前にある程度は読めるようにしておかねばなりません。
 勿論、日中は大切な仕事がありますので、朝の5時から本堂での読経(予習)です。毎日1時間から1時間半ほどの準備を重ねました。これまた不思議なもので、習慣となると秋から冬の季節は真っ暗ですが、余り気にすることもなく続けることが出来るようになったのです。

この項の次回は、この項の後半として私の場合の実際を振り返る予定です。

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