住職法話

住職法話 「いかに生き、いかに死ぬか」

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第31回

(平成25年10月1日)
 前回のこの項仏教の伝統を受け継ぐ インドの風習などについて述べましたが、今回は日本の仏教に多大の影響を与えた玄奘三蔵のシルクロードについて述べます。

X.仏教に見る祈りと教え -仏教を今に生かす「いかに生きるか」の考察-

X−26. 仏教の伝来

薬師寺
薬師寺 興福寺
興福寺

 日本に仏教が伝来したのは、538年との説が一般的のようで、聖徳太子(574〜622年)によって仏教は我が国に深く広まったとされています。そして日本仏教に大きな影響を与えたのが中国(当時の唐)の僧・玄奘三蔵と言われています。
往復16年かけて天竺(インド)から唐に仏教原典を持ち帰り、それを翻訳した玄奘三蔵。そして遣唐使として日本から唐に渡った道昭(ドウショウ)が玄奘三蔵に直接学んで帰国しました。その後、道昭の弟子であった行基によって大乗仏教は日本に広まったとされています。
その教えは法相宗の薬師寺・興福寺につながっています。この様に玄奘三蔵は日本仏教に多大の影響を与えたのです。そこで苦難を乗り越え、天竺まで旅した玄奘三蔵を振り返ってみたいと思います。

X−27. 玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)

玄奘三蔵
玄奘三蔵(画像クリックで全体画像)

 玄奘三蔵(602〜664年)は、唐時代の僧侶で尊称は三蔵法師と呼ばれます。
 『西遊記』の三蔵法師が、実在した玄奘三蔵をモデルにしていることはよく知られています(昔、夏目雅子扮するテレビドラマ「西遊記」が懐かしく思い出されます)。
 さて、中国国内で幼少の頃から仏教を学んだ玄奘は、13歳で出家した後、仏教の研鑽に励むも国内での限界を感じ、真の経典の原典に触れたいとの思いを持つようになったということです。


X−28. 玄奘三蔵いよいよ天竺(インド)へ@

西安の西門
西安の西門(シルクロードのスタート地)
城壁の上
城壁の上(画像クリックで大きな画像)

 玄奘27歳の時、唐王朝にインド(天竺)への出国を願い出したものの許可されず、国禁をおかして遥か天竺をめざしての旅立ちを決意し、629年に陸路でシルクロードの起点である長安(現西安)から天竺に向ったのです。
私は、この西門に立った時、「三蔵法師はここから旅立ったんだ…!」との感慨を覚えたものです。 。

X−29. 玄奘三蔵いよいよ天竺へ A

おみやげ屋さん
敦煌・莫高窟

  現在、世界文化遺産で有名な敦煌・莫高窟の周辺を玄奘は通って西へ西へ。先々は広大な砂漠地帯ですが、この辺りも既に砂漠の一角となっています。

X−30. 玄奘三蔵いよいよ天竺へ B

敦煌の鳴沙山・月牙泉
敦煌の鳴沙山・月牙泉

 砂漠地帯にある数少ないオアシスの一つ、敦厚の鳴沙山にある月牙泉です。小さな湖水ですが、写真でも分かるように緑が確認できます。

X−31. 玄奘三蔵いよいよ天竺へ C

玉門関
玉門関

玉門関(ぎょくもんかん)は敦煌の北西約90kmにあります。シルクロードの重要な関所の一つでした。唐の時代はこの関所から外に出ることを禁じられていたため、不法出国者の玄奘は正面からこの関所を通ることが出来ず、闇夜に乗じて出国したと言われています。
 ちなみに、玉門関は写真の通り、一帯が砂漠地の中に位置しています。

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