住職法話

住職法話 「いかに生き、いかに死ぬか」

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第21回

(平成24年12月1日)
 前回のこの項では、お釈迦様が悟りを開き、弟子達に初めての説教をしたこと。そして80歳で亡くなるまで布教を続けたことを紹介しましたが、今回はその続きとお釈迦様の入滅などについて紹介します。

X.仏教に見る祈りと教え -仏教を今に生かす「いかに生きるか」の考察-

Xー16.十六羅漢

十六羅漢お釈迦様と十六羅漢(圓應寺所蔵)

 羅漢さまとは「修行して尊敬できる人」「悟りを開いた人(僧)」のことを言います。その中でお釈迦さまの特に優れた16人の弟子を「十六羅漢」と呼んでいます。

 これに対して「五百羅漢」は、お釈迦様の言葉を経典に記すため、初めて参集した500人のことを指します。

Xー17.お釈迦様の入滅

涅槃図
お釈迦様の涅槃図(圓應寺所蔵)

 35才で悟りを開き、布教伝道を続けて45年、お釈迦様は80歳の高齢に。 その80才のお釈迦さまが、ご自身の寿命を覚りつつ、ラージャグリハ(王舎城)の霊鷲山から生まれ故郷のカピラヴァストゥに向かいます。その途中、信者の賄いを食して激しい下痢におそわれ、お釈迦さまはクシナガラの地に。このクシナガラでお釈迦様は80歳の生涯を閉じるのです。紀元前383年(頃?)の2月15日、サーラ樹(沙羅双樹)の二本の間に、頭を北に向けて顔を西向きに入滅(死亡)されました。入滅された時は、弟子や信者だけでなく、図のように多くの動物も駆けつけ、その死を悲しんだとされています。

 尚、地方によって異なることもありますが人が亡くなった場合、北枕にして安置するのは、このお釈迦様の入滅状況から来ています。又、「沙羅双樹」を参考に四華花(しかばな 「四華」とも言います)が添えられます。

Xー18.お釈迦様の入滅 〜お釈迦様の最期の言葉〜

釈迦の入滅お釈迦様の涅槃図 拡大図

 お釈迦様は、弟子のアーナンダ達に「ではビクたちよ、汝たちに告げる。もろもろの現象は移ろいゆく。 怠らず努めるがよい」との最期の言葉を遺したと言われています。

 「諸々の現象は移ろいゆく」(無常だから→限りある命だからこそ)、「怠らず努めるがよい」(努め励みなさい)との、いかに生きるべきかという「実践的な」教え(私流には「いかに生きるか」)を説いたことによって、仏教は長い歴史を持つ宗教となったのではないでしょうか。

Xー19.お釈迦様の入滅 〜分骨と三大法会〜

涅槃像
タイ国のワット・ポー(涅槃寺)の釈迦涅槃像 全長46メートルの巨大像

 お釈迦さまの遺体は荼毘(火葬)に付され、遺骨はマガダ国王や釈迦族などの8つの部族に分けられ、供養されました。その後、遺骨はインドを初めて統一した王で、仏教に帰依し守護したアショーカ王がさらに分け、八万四千の仏塔が建てられたと伝えられています。

お釈迦様の入滅を偲び、日本では2月15日に「常楽会(涅槃会)」の法要が行われます。その他誕生の4月8日に「仏生会(花祭り)」、悟りを開いた12月8日には「成道会」の法要が営まれ、この法要をお釈迦様に関する三大法会と呼んでいます。

この写真はタイ仏教(上座仏教)の涅槃像です。日本仏教(大乗仏教)でみる涅槃像(図)とはひと味異なるようです。

Xー20.お釈迦様の入滅 〜「平家物語」〜

 平家物語の有名な一説「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を顕す」にある「盛者必衰」は、前記18項の最期の言葉「諸々の現象は移ろいゆく」ことを示していますし、「沙羅双樹」は同項のサーラ樹2本を指しています。つまり平家物語のこの一説は、お釈迦様入滅の言い伝えを意識しているものなのです。

何処までも続くインド大地
タイ国のワット・ポー(涅槃寺)の釈迦涅槃像 正面からの写真

 次回のこの項では、仏教の伝統を受け継ぐ インドの風習などについて述べます。

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