住職法話

住職法話 「いかに生き、いかに死ぬか」

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第14回

(平成24年5月1日)
 前回のこの項に引き続いて、「『いのち』とは何か 何故尊いのか」について述べます。先月22日に【臨時法話】として「東日本大震災一周忌慰霊並びに復興祈願法要」について発信しました。今回の内容は、 「いのち」を考える上で、大震災を避けて通ることが出来ませんので、その一部と重複するところがあります。

V−8.「いのち」とは何か なぜ尊いのか D

 私達日本人にとって、この一年間ほど「いのち」について考えさせられた年はなかったのではないでしょうか。平成23年3月11日、それまで人生を謳歌し、青春を謳歌していた東北三県の多くの人々は、14時46分のアノ瞬間と大津波により、行方不明の方を含めて二万人近くの人が犠牲となりました。

V−9.「いのち」とは何か なぜ尊いのか E

 「人生80年」の長寿大国に住む私達は、今日があって明日が来る、明日が来れば当然明後日が来るという錯覚の中で生きているのではないでしょうか。 しかし、あの大震災によって「約束された明日の命はない」ことを強烈に思い知らされました。 「生きたかった!もっと生きたかった‥‥」。しかし多くの人々が犠牲となりました。私達はその人々の思いを受けて生き続けることが求められます。

V−10. 「いのち」とは何か なぜ尊いのか F

 昨年は、大自然の脅威にさらされた年でもありました。1月26日の九州・新燃岳の52年ぶりの噴火。海外では5月12日、ヨーロッパ最大のエトナ火山(イタリア)の噴火がありました。

V−11. 「いのち」とは何か なぜ尊いのか G

 昨年9月12日には、台風12号の記録的豪雨によって、 和歌山と奈良県に土砂崩れダム等によって集落の孤立が続出してしまいました。その他にも東日本大震災の余震又は、その関連による地震が多発しています。そうです、自然はいつも美しく、感動的であり、私達人間に生活の恵みを与えてくれるとは限りません。時には牙をむいて脅威となる存在でもあるのです。人間の力、叡智の及ばない大自然があるのです。現代社会は、自然に立ち向かいそれを征服するのが人間であり、そこに幸せがある‥‥との価値観に陥ってはいないでしょうか。亡くなった方々、被害を受けた多くの方々そして被災地に祈りを捧げると共に、一日も早く平安な日々が来ることを祈念するものです。併せて私達人間の力と叡智が及ばない世界にも心を込めて祈ることこそ、今必要なのではないではないでしょうか。

V−12. 「いのち」とは何か なぜ尊いのか H

例年の圓應寺観音様祭礼日例年の圓應寺観音様祭礼日

 今年は大雪と寒さのため、桜の開花は大分遅れております。住職を務めるここ山形市の圓應寺にも立派な一本桜があります。毎年、4月18日は圓應寺観音様の祭礼日です。例年、この祭り日に合わせたように開花し、提灯の明かりに映し出される桜を満喫できるのですが、今年は残念ながら蕾状態の祭りとなりました(4月18日記)。
 さて、この美しい桜、「花のいのちは短くて‥‥」

V−13. 「いのち」とは何か なぜ尊いのか I

桜の絨毯の圓應寺境内

 あっという間に散り桜の状態に。そうです! 「人生80年」もあっという間ですし、ましてや「約束された明日のいのち」はないのです。私達は改めて今日という一日、今という一時を大事に生きることが求められているのではないでしょうか。

この項の次回も「『いのち』とは何か なぜ尊いのか」について述べたいと思います。

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