いかに生き、いかに死ぬか

圓應寺 住職法話

住職法話 第174回

有限の人生そして死を意識して
【「いのち」の考察】192〜196

「ガン末期そして終活を考える 2」

 前回は、2024年の一年間、本堂での年回忌法要時に、参拝者の方々にお話しした(説法?)内容の1回目を掲載しました。尚、前回はこの内容を2回に亘って述べるとしましたが、3回に亘って述べることにします。今回はその2回目です。又、前回も述べましたが本堂の語りでは、プロジェクターを使い、スクリーンに映像を映し出し、ポインターを使いながら話を進めています。(掲載している画像は本堂の画像そのままです)

Ⅲ-192 医療の変遷 ①

緩和ケア病室から公園を眺める(山形県立中央病院)

 私が山形県立中央病院に勤め始めたのは40数年前の1979(昭和54)年です。その頃の医療現場では「病気の治療は先生(主治医)に全てお任せしますので、どうかどうか宜しくお願い致します!」という病院又は医師からの上から目線の時代でした。手術をするかしないかも含め、ほとんどが医師の判断で医療が進められたのです。又、ガンの告知は絶対にしないという時代でもありました。しかし患者さんは、治療過程の中で「先生も家族も『ガンじゃない!元気出して!』と言うが、どうもガンのようだ。自分はガンなんだ」と思い考え始めるのです。容体は次第に悪化し、患者さんと家族そして医師(看護師を含めた医療者)との間に”嘘”を挟んだまま、患者さんが亡くなっていく時代が続いたのでした。

Ⅲ-193 医療の変遷 ②

緩和ケア病棟の中庭

 その後、患者さん自身の自己決定が次第に重視されるようになり、病状と治療方針の説明が求められるようになり、患者さんとの相談の上、治療が進められるようになりました。そして1990(平成2)年~2000年頃にかけてガンを告知する時代にもなりました。今では一方的に「あなたはガンです」などと告知・説明と言うより義務的宣言のような形で告知してしまい、別の意味で問題になっていることもあるようなのですが・・・・。

Ⅲ-194 緩和医療はガンの告知と同時に

食堂からの中庭

 緩和医療は、ガンの告知と同時に始まるという考えが、半ば常識になっているのが現状かと思います。つまりガンの治療は、ガンそのものの治療と痛みの緩和を統合した医療が求められる時代になったのです。

 一方で「ガン」と診断された患者さんの10年後の生存率が、最新の調査(国立がん研究センターなどの研究班、2020年11月)で58.3%と発表され、10年生存率は改善傾向にあります。これは早期発見に欠かせない検診が少しずつ進み、早期治療に繋がっている傾向の表れなのではないでしょうか。

Ⅲ-195 寿命が延びてもお迎えは必ず ①

家族控え・宿泊室

 さて、私達日本人の平均寿命はどんどん延びて、今や世界一と言っても過言ではありません。しかしだからこそその中にある問題があるのです。

 振り返ってみると昭和25年、当時の男性平均寿命は55歳、定年は50歳でした。「人生50年」と長く言われた時代でした。この時代は定年になると間もなく(5年)お迎えがやってる時代でもありました。したがって定年を迎えた人にとっては自分の死が身近にある時代でもあったのです。ところが現代の平均寿命は男子81歳、女子87歳となり、「人生100年」と声高に言われる時代になりました。近年の定年は60から65歳に延長傾向にありますが、その定年からお迎えが来るまではかなりの長い期間があるのです。ややもすると死がぼやけてしまう危険性すらあるのです。

Ⅲ-196 寿命が延びてもお迎えは必ず ②

自炊も出来ます

 日本社会にとって65歳以降の老後をいかに生きるかが大きな課題となっています。何かを成し遂げる、学ぶ、趣味を楽しむ等々人生を積極的に創造的に生きる中で、終活が叫ばれて久しくなりました。そうです!寿命はいくら延びても「お迎え」は必ずやって来るのです。そのことその時をどのように迎えるのかについても、どう生きるかの中に含めて考えることが必要なのです。私が課題としている「いかに生きいかに死ぬか」と同じ意味合いを持つ課題なのです。

 その上で、この項の初めに述べた、日本人の死を語る場合死因第一位のガンを外しては語れないとして、特にガンの末期に焦点を当てることとしました。そうですガンで死ぬことを考えることが必要なのです。具体的には、ガンの終末期にどのような医療を選択するかを考えておくことです。