圓應寺 住職法話
住職法話 第165回
有限の人生そして死を意識して
【「いのち」の考察】176~180
「「人は自然の一部『老い』もいとおしい」について」
前回のこの項では、NKKラジオ深夜便で放送された高齢者の生き方について示唆に飛んだ三人の内容の第2回目として、東京大学名誉教授の秋山弘子先生の「私終いの極意」を紹介し、私の考えを併せて述べました。今回は第3回(最終回)として、2022年7月に放送された(月刊誌「ラジオ深夜便」2022年11月号にも掲載)生命誌研究者・中村桂子先生の「人は自然の一部『老い』もいとおしい」について紹介し、考えます。
Ⅳ-176 中村先生 ① ~「老いを愛づる」~
先生は「老いを愛(メ)づる生命誌からのメッセージ」という本を2022年3月に出版しました。そのタイトルについて「『老いる』ということを生きることの一場面として捉え、年令を重ねたがゆえに得られたことを大事にしたいという気持ちが流れています。小さなことを大切にして丁寧に生きていけば、どんな年齢にもその年齢なりのよさ、楽しさがあるのではないでしょうか」という意味合いで名付けたということです。ラジオ深夜便とこの本を通して先生の「愛づる」生き方を紹介し考えたいと思います。
先ず、先生専門の「生命誌」とはどのようなことなのでしょうか。「生き物がどう生きているかを科学的な知見も含めて見つめ、その歴史や生き方を考えること、もちろんそこには人間も含まれます」という基本に立ち、「私たちは年を取ることを、出来ないことが増える嫌なもののように捉えがちです。でもよく考えてみると、年を重ねるのは大事なことですし、「愛づる」という気持ちで老いることを大事にしたい」ということです。
Ⅳ-177 中村先生 ② ~「老いを愛づる」~
「老いの愛で方」の具体例として、「ありのままの白髪が心地いい」として、次のように述べています。先生は白髪で永年ヘアマニキュアで黒々に染めていたそうですが、「とても面倒なんですよ。一時的に真っ黒になっても、また生えてくるのは白髪ですから、交じるとかえって気になります」とのことでしたが、あることを機会に、ヘアマニキュアをやめて半年ほどかけて白髪にした結果、「気持ちが楽になって落ち着いて、とてもいいのです。『これが本当の私よ』と前向きな気分になりました。しかも時間もお金もかからなくなってこんなにいいことないと思っています」ということです。
Ⅳ-178 中村先生 ③ーⅰ ~「老いを愛づる」~
「自然からいただいて」生きる。
「食べることをはじめ、人間が生きていくには他の命を犠牲にして暮らしていかざるを得ないのです。そのとき、命を『とる』のではなく、『いただく』と考えられたらいいと思います。私たちは食事の前に、『いたたきます』と言いますが、とてもいい日本語ですね。誰の気持ちの中にも『自然からいろいろなものをいただいて生きているんだ』という感覚が備わっているのだと思います」と。現代は機械に囲まれた生活、そして切り身の魚しか見たことがない中で「命を感じにくくなっている」からこそ「いただきます」の生き方が大切であると。
最後に先生は、「周りにいる多くの生き物を見つめ、自分中心にならず、『どの生き物も生きていることがすごいんだ』と思いながら暮らしていく。~中略~それがこれからの地球での生き方ではないかと私は思っています」と。先生のどんな生き物も宇宙の仲間、当然ながら私たち人間もその中に入るとした考え、それが「生命誌」なのです。
Ⅳ-179 中村先生 ③ーⅱ ~「老いを愛づる」~
「自然からいただいて」生きることについて、私は葬儀の後に続く四十九日までの七日参り(初七日~四十九日まで原則として毎週、ご遺族に来寺頂きお参りをします)時に、何故七日参りがあるかについて次のように説明しています。
「私達人間という生きものは、見方によっては大変殺生な生きものです。私達が命の糧として毎日頂いているご飯、このご飯つまりお米は、稲という植物(生きもの)が自分の子孫を残そうと種もみを作ったものを、私達は言わばむしり取って食料にしているのです。ましてや魚を食べた、肉を食べた等ということは、正に命そのものを食べて自分の命にしているのです。このように殺生なのが人間です。お亡くなりになった方が、どんなに人格者であろうが、社会的地位が高い人であろうが関係ありません。人としての存在を考えたとき、四十九日に無事、三途の川を渡って密厳浄土(極楽浄土)の世界に行くことが出来るように、担当の仏様(初七日担当・不動明王、二七日・釈迦如来・・・・四十九日・薬師瑠璃光如来)にお願いするのが、毎週の七日参りです」と。そうです、「周りにいる多くの生き物を見つめ、自分中心にならず、『どの生き物も生きていることがすごいんだ』と思いながら暮らして」行きましょう。
Ⅳ-180 中村先生 ④ ~「老いを愛づる」~
先生は又、完璧でなくとも「これでいいのだ」という思いでいることを上げておられます。先生は自然が好きで庭のある家で暮らしているそうですが、「毎日のように落ち葉を掃かなければいけません。雨に濡れて地面にはりついたりすると、完全にきれいにするのはなかなか大変です。以前は一枚残らず掃いていたのですが、年とともに『ちょっとしんどいな』と思うようになりました。それで、『少し残っているのもまた自然よ』と思うようにしました」と。漫画「天才ばかぼん」のパパが言っているように「これでいいのだ」と。
そうですね、全てのことに100%主義は精神的に緊張し疲れてしまいます。ことによっては80%程度で「これでいいのだ」とのゆとりが必要なのかも知れませんネ。