いかに生き、いかに死ぬか

圓應寺 住職法話

住職法話 第164回

有限の人生そして死を意識して
【「いのち」の考察】180~185

「墓じまい ~墓や供養 進む多様化~」

前回は、東京大学名誉教授・上野千鶴子氏の「在宅ひとり人死」の考え方を取り上げ、私なりに検証してみました。今回は、人口減少と進む高齢化社会。特に3年に及ぶコロナ禍の中で、遺骨埋葬の多様化、墓終いそして法要と葬儀の変容が顕著になりました。この状況をまとめ、検討したいと思います。

Ⅲ-180 「墓じまい ~墓や供養 進む多様化~」

青葉まつり
(総本山智積院「イラスト集」より転載不可以下同じ)

 2023年12月26日付朝日新聞に「墓じまい』過去最多コロナ禍影響?」との記事が載りました。それによりますと、墓じまいが「2022年度、全国で15万1076件(前年度比3万2101件増)に上り、過去最多になったことがわった。少子高齢化や核家族化に加え新型コロナの影響で墓参りがしにくい時期があったことや、樹木葬や散骨など改葬後の選択肢が増えたことが背景にあるようだ」と。又「管理する人がいなくなった『無縁墓』を行政が撤去したケースは、全国で3414件だった」ということです。

 一方、2024.1.14付山形新聞では「墓や供養進む多様化」と題して「樹木葬に海洋散骨墓じまいなど、墓や供養の在り方が変容している。レンタルできる墓から、デジタル技術を活用した仮想空間『メタバース』上の霊園まで」とその多様化を紹介すると共に、「高齢化が進み、先祖代々継承する墓はいずれ立ちゆかなくなる」と、一人の住職の考えを紹介し、期限付きのレンタル墓とロッカー式なども紹介しました。

 このように埋葬と弔いの在り方は多様化しているのですが、この傾向は今後もずつと続くものなのでしょうか。墓と寺院は不要へと続くものではないと思うのですが・・・。

Ⅲ-181 「お墓は、故人との繋がりを意識する目に見えない心の教育の場所」 ~僧侶でジャーナリストの鵜飼秀徳氏~ ①

 2024年1月13日NHKラジオ深夜便「明日への言葉」のコーナーで「これまでのお墓これからのお墓」と題して、僧侶でジャーナリストの鵜飼秀徳氏の見解が放送されました。氏によりますと、「近年は葬儀をせず直ぐ火葬をする直葬と家族葬が都市部ではほとんどの葬儀形態になっている」こと。「埋葬の仕方は仏教以外の宗教では土葬が一般的だが、仏教はお釈迦様が火葬で埋葬したため、火葬しての埋葬」が一般的で、「日本の現状は99.9%が火葬」であることが説明されました。このような中で、永代供養として墓を持たない埋葬方式が話題になって来ていることを取り上げ、多くの人々の関心が永代供養の埋葬方式に傾いているかのようなとらえ方があるが、必ずしもそうではないとして次のような若者の認識と墓の持つ意味合いを説明したのです。

Ⅲ-182 「お墓は、故人との繋がりを意識する目に見えない心の教育の場所」 ~僧侶でジャーナリストの鵜飼秀徳氏~ ②

 鵜飼秀徳氏は東京の大学で教鞭を執っており、その大学生にお墓について「お墓を守っていきたい?」「お墓は大切だと思う?」とアンケートしたところ8割超の学生が「大切だと思う」と回答したとのことです。氏は「考え方によってお墓は負の遺産でもあるかも知れないものの、お墓は情操教育の場、若い人のとむらいの心は希薄化と思われるが、必ずしもそうではない。手を合わせて日々反省、お世話になった故人との繋がりを意識する、目に見えない心の教育の場所」であることを提起しました。

 氏の説明に改めてお墓の持っている意味を住職の私も考えさせられました。最後に氏は「寺は集いの場であること。地域社会のものであり、住職のものではない」ことを指摘し、寺の存続に期待を示したのでした。私自身、寺の敷居を出来るだけ低くし、集いの場を考えているのですが・・・・まだまだです。

Ⅲ-183 「岐路に立つこれからの『お葬式』ー死者と共に生きてゆくー」(浄土宗総合研究所公開シンポジウム)

 表記題名で、2023年2月に開催された内容を23年4月号「月刊住職」(興山舎)が伝えました。新型コロナ禍で葬儀の在り方が激変しましたが、それをどのように捉え、今後どのように考えていくか、重要な中身を含んでいます。その内容を紹介すると共に検証し、今後の在り方を考えたいと思います。

 同研究所長・今岡達雄氏の「注目しているのは、死者の権利、死者が人権を持った一つの存在であることを確定するのがお葬式の非常に大きな役割」との問題提起を紹介。その上で、同誌は「ひところはオンライン葬儀ということまで言われたが、昨年にはほぼ対面に戻ったという状態。ただし、中身はというと、以前に戻ったとはいいがたい。一般葬から家族葬へ」「現代社会は死者と生者の勢力争いになっていて、とりわけコロナ禍で生者側の論理が強くなってしまったのではないか」との発言を紹介し、「お葬式こそが死者の声を聞き、死者と共に生きてゆく儀式なのではないか」との発言を紹介しました。極めつきは墓終い、永代供養、樹木葬などによって「『先祖にならない死者』が増えている」との指摘です。私たちは脈々と繋がってきた人類史上の結果として今を生きています。そうですご先祖があればこその私たちなのです。

Ⅲ-184 私は・・・①

 私は以前にも葬式の簡略化、特に参加者が葬式に参列せず、開式前に「事前焼香」する方式に疑念を持っていることを述べました。その上で、コロナが5類に移行してからの葬式は、出来るだけ一般参加者にも葬式に参加して頂く従来のやり方を執るるようにしています。やはり「生者側の論理が強くなってしまった」ように思うのです。但し、よくよく考えてみますと、故人と関係がある参拝者ご自身にとっても、葬式に参列して心から故人をお見送りすることは必要なのではないでしょうか。そしてそのお見送りは故人にとっても(ご遺族にとっても)大変有り難いことなのです。このような考えから会場の大きさや予想される参列者の人数を考え、可能な限り従来の方式で行うことをご遺族に提案しています。このようにして葬式を従来のやり方で執り行い、ご遺族からは「皆さんに参列して頂いて良かった。○○(故人)も喜んでくれたと思います」との感想を頂いています。

Ⅲ-185 私は・・・②

 又、前項で紹介した「先祖にならない死者」について、次のような対応をしています。当寺にも「永代供養塔・永代供養墓」を設置したことはこれまでも述べてきました。その申込み相談で、後継者がいるにも拘わらず「子供達に迷惑をかけたくない」との思いで来寺される方がおります。その際は、お話をよく伺った上で、出来ればご自身の菩提寺(無ければ本家の菩提寺)に墓を設けることを勧めています。

「子供達に迷惑をかけたくない」と考える人が多くなってきていると思いますが、苦労して一生懸命育てた子どもに弔って頂き、親(ご先祖)に想いを馳せて貰うことも大切な親子関係ではないかと思うのですが、如何でしょうか。

 最後に、余分なことかも知れませんが、葬儀社におかれても、「事前焼香」当たり前の対応ではなく、葬式の在り方をご遺族とよく相談、検討頂く必要があるのではないかと思っています。