圓應寺 住職法話
住職法話 第154回
有限の人生そして死を意識して
【「いのち」の考察】169-174
「「在宅ひとり人死」の考え方」
明けましておめでとうございます。皆様と共に新しい年を迎えることが出来たことに感謝です。さて、前回のこの項では、終活の一環として作成した「自分史」の一端を紹介しました。今回は、東京大学名誉教授・上野千鶴子氏の「在宅ひとり人死」の考え方を取り上げ、私なりに検証してみたいと思います。今回はその前半として先生の考え方を中心に紹介します。
尚、上野千鶴子氏については、2020年5月のこのホームページで、2019年東京大学学部入学式での氏の祝辞(社会的不公正と男女差別、歴史と生育環境等について鋭い問題提起をしたことによって話題)を紹介すると共に、氏の考えに私自身共鳴したことを掲載しました。このように先生の考えには大変賛同し尊敬している私です。その上で、今回は先生の提唱する「在宅ひとり人死」について考えます。
Ⅲ-169 超長寿社会の中で
平均寿命女性87歳、男性81歳。世界の1,2位を争う正に超長寿社会の日本。しかし寿命がいくら延びたとしても「死」は必ずやってきます。その準備課題として終活の必要が叫ばれています。これらの内容についてはこれまでも度々触れてきたところです。
この課題の一つであり、社会問題にもなっている「孤独死」について、尊敬する上野先生は「孤独死」ではなく「在宅一人死」と名付けると共に、それを推奨する考え方を「在宅ひとり死のススメ」(文春新書)として発表されました。その本の帯には「さよなら、『孤独死』。これからは、『幸せな在宅ひとり死』へ。~『私には家族がいませんので基本、ひとりで暮らしています。現在72歳。このまま人生の下り坂をくだり要介護認定を受け、ひとり静かに死んで。ある日、亡くなっているのを発見されたらそれを【孤独死】とは、呼ばれたくない。それが本書の執筆動機です』~上野千鶴子」とあります。
この本と2021年4月22日に、NHKラジオ深夜便で放送された内容を基に「在宅ひとり死(のススメ)」について考えます。
Ⅲ-170 「おひとりさま」の急増
「在宅ひとり死のススメ」 によると、
①高齢者の子供との同居率
2000年 49.1%
2017年 30.9% に低下
②高齢者世帯の独居率
2007年 15.7%
2019年 27%と急増 (高齢者の)夫婦世帯率33%
この統計から、先生は「夫婦世帯は死別離別による独居世帯予備軍だと考えれば、近い将来、独居世帯は半分以上になるでしょう」と。 その上で先生は「(近年)大きく変化したのは夫婦のいずれかに死に別れても、世帯分離を維持したまま、中途同居を選択しないひとたちが増えた、ということです。『親をひとりで置いておくなんて』と責められる子供からの『おかあさん、一緒に暮らさない?』という申し出を『悪魔のささやき』と私は呼びました。いまや、こうした『悪魔のささやき』を口にしてくれる子供はいなくなりましたし、それを受け入れる親も少なくなりました。~中略~なぜって? その方が親も幸せ子も幸せ、ということを、お互いに学んだからです。その背後にある大きな原因は、高齢者の一人暮らしに対する偏見がなくなったこと、とわたしは考えています。高齢者のひとりぐらしも悪くない、やってみると存外よいもの、ということがわかったからです」と。
Ⅲ-171 在宅ひとり死のススメ
先生は更に続け、大阪府の耳鼻咽喉科医師・辻川覚志氏のアンケート調査データーを紹介。それによると、
①独居高齢者の生活満足度が一番高いこと
②二人世帯は生活満足度が最低になること
③三人世帯はやや上昇
④四人以上になると独居高齢者とほぼ並ぶ水準になること
これを受けて先生は「(二人の)夫婦世帯は別名『空の巣』期とも呼ばれて、子育てを終わった目標喪失のカップルが顔を見合わせる危機の時期。異文化が激突する夫婦世帯では、お互いの生活満足度が低いのも、想像にかたくありません」と。
但し、先生は辻川氏の調査対象は、中流のお年寄り、医院に自分の足で受診に来る比較的健康な高齢者が多いための結果であること。国などの大量調査による独居高齢者と同居高齢者の生活満足度比較では、独居の方が低くなること。これは独居高齢者の貧困率が高く、社会的孤立も高い傾向があるからと述べています。
Ⅲ-172 満足のいく老後の三条件
更に上野先生は、先の辻川氏の結論である「満足のいく老後の姿を追いかけたら、結論は、なんと独居に行き着いたのです。老後の生活満足度を決定づけるものは、慣れ親しんだ土地における真に信頼のおける友(親戚)と勝手気ままな暮らしでありました」を受けて、
①慣れ親しんだ家から離れない
②金持ちより人持ち
③他人に遠慮しないですむ自律した暮らし
‥‥が「満足のいく老後の三条件」であることを確認したのです。
Ⅲ-173 最期は病院でもなく,施設でもなく、自宅で
前項「満足のいく老後の三条件」の、「①慣れ親しんだ家から離れない」ということは、当然ですが、 最期は病院でもなく,施設でもなく、自宅で迎えるということになります。介護保険制度を利用することによってケアマネージャーに繋がり、状態に応じてヘルパー、訪問看護師、訪問医の利用も可能となり、病院や施設に入ることなく、自宅で最期を迎えることを先生は推奨しています。
その理由として「病院がガマン出来るのはいずれ出て行く希望があるから」、「病院は死なす場所ではなく生かす場所」であり、施設については「入ったが最後、死ぬまで出られない」こと、加えて集団生活の場所で個人的自由が制約されることを挙げています。又、費用についても病院が最も高く、施設、自宅の順で低下することを挙げています。
Ⅲ-174 「ある朝ヘルパーさんが来たら死んでいた。それでいい」
更に先生は、病院と施設について次のように述べています。「病院は人間関係を全部切り離して非日常になる場所。『病院内孤独死』なんて言う方もいます。介護施設だって、これまでのなじみを全部断ち切っていくわけです。施設入居は自分の意思より家族が決定することが多いようですが、『家に帰りたい』とご本人がおっしゃるのは、本当に切ない望みだろうなと思いますね。~中略~(私は)このままひとりで暮らして年をとり、足腰が立たなくなったら要介護認定を受け、やがて寝たきりになったら訪問介護や訪問医療を利用する。ある朝ヘルパーさんが来たら死んでいた。それでいいじゃない」、「私の最近のキーワードは、『機嫌良く』なんです。私も認知症になるかもしれません。でも機嫌良く日々を暮らして、少しずつ下り坂を下りていってボケたらいいじゃないか」と。