いかに生き、いかに死ぬか

圓應寺 住職法話

住職法話 第146回

仏教に見る祈りと教え
【仏教を今に生かす「いかに生きるか」の考察】

164-168

「「六波羅蜜」ついて」

 この項の前回は、仏になるための実践である「六波羅蜜」ついて述べました。今回はその2回目です。

Ⅴ-164 「六波羅蜜」とは‥‥⑥

五七日 地蔵菩薩

1.布施波羅蜜

③ 無畏施(無財の七施)・・・c

ⅷ 聴施(ちょうせ)人の話、思い、悩みを良く聴くこと。

 大変僭越ではありますが、前回まで述べた七施の他に、私はもう一つ「ⅷ番目」として「聴施」を加えたいと思うのですが、如何でしょうか?

 人の話を良く聴くことについては、私の職歴から培ってきたものと思っています。名古屋時代は精神科病院、山形に戻ってからは総合病院の医療福祉相談員として、患者さんをはじめ、家族や関係者の話を良く聴くことが仕事を進める上で最も大切なことだったのです。この姿勢を肝に銘じて住職としての職務を果たすように心がけています。とかく住職には説法など自らが発することに特技を持つイメージを持ちがちですが、どうしてどうして住職の職務を全うするには檀信徒の方々をはじめ多くの人々の話をよく聴くことが絶対要件と思っています。その意味で前職での経験は大変有り難いと思っています。この項目を入れての「八施」、まだまだ十分ではありませんが、日頃から良く聴くように努めているところです。

 そう言えば誰とは言いませんが、ある著名な政治家が記者会見で、「私の特技は『人の話をよく聞く』ということだ」と述べていましたが‥‥果たして?

Ⅴ-165 「六波羅蜜」とは ⑦ ‥‥「布施」について

 さて、この項目「布施波羅蜜」の「布施」についてチョット考えてみます。字面(じづら)は、「布」を「ほどこす」とあります。これはどういうことでしょうか。初期仏教時代、僧侶は托鉢によって食料などの他に、布の提供(布施)を受けていたのです。当時、布は極めて貴重な品だったと言われています。人々は、自身が持っている(あるいは編んで作った)小さな布を提供したことから「布施」と呼ばれるようになったと言われています。

 ところで、この写真を見て下さい。紫衣の上に身につけている物を「割切(かっせつ)」と言います。皆様もこのような僧侶姿を思い起こすことが出来るのではないでしょうか。この割切ですが、よく見ると何枚かの「布」を縫い合わせた形になっています。これはどうしてなのでしょうか。

 昔、インド仏教が盛んだった頃のことです。民衆はその大切な布(多分に小さい布)を坊さんに手渡した(つまりお布施として)のです。坊さんはその貴重な布をつなぎ合わせることによって衣を作ったというのです。それが、今日の法衣の一種である「割切」の起源・・・・という説を伺いました。「布を施す」ことから「布施」ということになったということなのです。

Ⅴ-166 「六波羅蜜」とは ⑧ ‥‥持戒波羅蜜 a

六七日 弥勒菩薩

2.持戒波羅蜜

 仏から与えられた戒(いまし)めを守ることです。悪業の心を退治し、心の迷いを去り、戒を守ることです。更にこれらの教えを守り、身を慎むことを律と言い、合わせて戒律と言います。その代表的な戒めに「十戒」が有ります。宗派によって「十戒」の名と内容が少し異なりますが、当圓應寺の真言宗智山派の例を次に紹介します。当派では「十善戒」と呼び、次ぎの10項目です。

① 不殺生(ふせっしょう)むやみに生き物を傷つけない。
② 不偸盗(ふちゅうとう)ものを盗まない。
③ 不邪淫(ふじゃいん)男女の道を乱さない。
④ 不妄語(ふもうご)嘘をつかない。
⑤ 不綺語(ふきご)無意味なおしゃべりをしない。

Ⅴ-167 「六波羅蜜」とは ⑨ ‥‥持戒波羅蜜 b

百か日 観世音菩薩

2.持戒波羅蜜

⑥ 不悪口(ふあっく)乱暴な言葉を使わない。
⑦ 不両舌(ふりょうぜつ)筋の通らないことを言わない。
⑧ 不慳貪(ふけんどん)欲深いことをしない。
⑨ 不瞋恚(ふしんに)耐え忍んで怒らない。
⑩ 不邪見(ふじゃけん)まちがった考えをしない。

 以上が、真言宗智山派の「十善戒」、つまり「十戒」ですが、この教えは経典「真言宗智山派勤行法則」にあり、各種法要、御詠歌教室の冒頭で皆さんと一緒にお唱えしているもので、檀信徒の皆さんにとっても非常に身近なものとなっています。この10項目、考えてみれば人として生きていく上で極めて当たり前の内容です。尚、上記①②③の内容は、身体の行い(身 しん)。④⑤⑥⑦は言葉の行い(口 く)。⑧⑨⑩は心の行い(意 い)で、合わせて「身口意 しんくい」となります。総じて「我昔より造る所の諸々の悪業は 皆無始の貪瞋癡(トンジンチ)に由る身語(口)意 (シンゴイ)より生ずる所なり 一切我今皆懺悔(イッサイワレイマミナサンゲ)したてまつる」 と、この「懺悔の文(サンゲノモン)」をお唱えするのです。

Ⅴ-168 「六波羅蜜」とは ⑩ ‥‥布施波羅蜜、持戒波羅蜜につづく、4つの波羅蜜(忍辱波羅蜜、精進波羅蜜、禅定波羅蜜、智慧波羅蜜)

一周忌 勢至菩薩

3.忍辱(ニンニク)波羅蜜

 耐え忍ぶことです。現代はキレ易い社会とも言われています。自分の意に沿わないことに腹を立てたり、怒ったり、場合によっては暴力沙汰になったりすることもあります。「忍辱」は「寛容」ということでもあります。お釈迦様は、悟りに到る修行中の様々な妨害や弟子達の離反に対して、腹を立てたり怒ったりしたことはないと伝えられ、正に「忍辱」「寛容」の人だったのです。私自身をを含めてなかなかお釈迦様のようにはいきませんが、しっかり意識して生きたいものです。

4.精進波羅蜜

 ひたむきな気持ちで努力することです。別名、毘梨耶波羅蜜(びりやはらみつ)と言い、煩悩や怠惰な心を断ち、身心を精励し、他の五波羅蜜を修行することです。仏道を修めるには勿論のこと、日常の生活にもなくてはならない徳です。

5.禅定波羅蜜

 精神を常に安定させることで落ち込むことなく、自分を冷静に見つめることす。別名、禅波羅蜜(ぜんはらみつ)と言います。「禅」とは「静かな心」、「不動の心」という意味、「定」は心が落ち着いて動揺しない状態を意味します。

6.智慧波羅蜜

 別名、般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)とも言います。これまでの五つの波羅蜜を実行し、愚痴の心を対冶(退治)し、迷いを断ち、真理を悟るこを意味します。

 以上、六波羅蜜の実践は、これまでも述べましたが、四十九日の川渡りのみに必要なのではなく、人としての行いとともに仏になるための実践なのです。私自身を振り返りますと、この六波羅蜜をしっかり実践している自信はありませんが、意として日常の生活を送りたいと思っているのですが・・・・。