いかに生き、いかに死ぬか

圓應寺 住職法話

住職法話 第145回

日々の生活の質をいかに高めるか
【生活の質の考察】157〜161

「コロナ禍におけるある檀家さんの葬儀」

 前回は、全国高校野球選手権大会で栄冠を勝ち取った仙台育英高校、特に監督の優勝インタビューを取り上げました。又、今はやりの(?)我が家のコロナ感染についても触れましたが、今回は(以前にも少し取り上げましたが)コロナ禍におけるある檀家さんの葬儀について述べます。

Ⅳ-157 コロナ禍におけるある檀家(A子)さんの葬儀 ①

 はじめにA子さんと寺の繋がりについて紹介します。A子さんは、長年に亘り当圓應寺のご詠歌グループの一員でしたが、残念ながら新型コロナ禍の最中、86歳でお亡くなりになりました。A子さんは私がご詠歌講(ご詠歌教室、正式には「蜜厳流遍照講山形村山教区圓應寺支部」)を設立した平成16(2004)年10月当初から、体調を崩して退会した平成29(2017)年11月まで13年間、一緒にご詠歌を勉強し楽しんで来た仲間の一員でした。月2回の練習日には余程のことが無い限り欠席することなく、圓應寺観音祭礼、檀家総会時の先祖代々供養には、講員の一員としてご詠歌を奉納。又、隔年に開催される「蜜厳流遍照講東北・北海道大会」にも参加されました。

Ⅳ-158 コロナ禍におけるある檀家(A子)さんの葬儀 ②

 一方、A子さんは、手先が実に器用な方でした。練習は2時間なのですが、中間に茶菓子を頂きながらの休憩時間(新型コロナ禍で現在は1時間の練習のみですが、間もなく元に戻す予定)を設けているのですが、その際の「箸置き」として、30人分を折り紙で作成。実に見事な逸品に一同感動したものです。又、観音堂にはきれいに織り上げた千羽鶴も奉納された方でした。このように講員さんの中核メンバーの一人として活躍された方でしたが、残念ながら歩行困難と体力減退から退会されたのでした。
 ところでご詠歌支部講員が約30人、設立10年を過ぎますと、講員さん本人やご家族に不幸が出ることもあります。このような場合、支部の内規で「ご本人が亡くなった場合は支部講員として葬儀に参列し、ご詠歌を奉納する」と決めています。

Ⅳ-159 コロナ禍におけるある檀家(A子)さんの葬儀 ③

 さて、A子さんの葬儀の実際です。ご遺族に会葬者の人数を予想して頂いたところ、「20~30人ほど」とのことで、事前焼香は止め、会葬者の方々には葬儀に参列して頂くことにしました。しかし、ご詠歌講員さんの参列と詠歌奉詠は、20数人が参列し、声を出してお唱えするのは三密に加えて声出しの状態を作り出してしまうことから、残念ながら内規を実行することは出来ないと判断せざるを得ませんでした。
 それに代り導師の私が、諷誦文(ブシュノモン、一般で言う「引導文」)の中で、A子さんのご詠歌講員としての活躍と諸行事への参加などを読み上げながら、その当時の新年会、観音祭礼、大会参加等々の写真をプロジェクターを通して会場のスクリーンに映し出し、参列の方々に紹介しました。
 終わって、ご霊前で講員さんに代わって私一人で「A子さん、長年一緒に勉強し、練習した『追善供養和讃』を奉詠します」として、お唱えしたのでした(時間の都合もあり次の1~3番まで)。

Ⅳ-160 コロナ禍におけるある檀家(A子)さんの葬儀 ④ ~お唱えした「追善供養和讃」~

   「追 善 供 養 和 讃

1.散り行く花を惜しめども
   また咲く春の あるものを
  逝かしし君が み姿に
   再び会わん 由も無き

2.さァれどみたまはとこしえに
   いかでか消ィえん 消えぬべき
  むらさき雲のたなびける
   み国にこォそはいますなれ

3.あァの世この世と隔つれど
   通わす心ひとすじに
  おォなじ覚りの道あゆむ
   契りはとォわに尽きせじな

ご霊前で遺影に対面しながらお唱えしましたが、Aさんご自身も一緒にお唱えしている想いに浸ることが出来ました。

Ⅳ-161 コロナ禍におけるある檀家(A子)さんの葬儀 ⑤

 ところでこのA子さんの葬儀には、長男の喪主の姿はありませんでした。ご長男は山形の隣県である宮城県に在住しています。A子さんのご主人はご高齢もあって施設に入っており、長女の方は山形市内に嫁いでおりますので、喪主は当然長男が務めることになります。長男在住地からは県境を越えますが、山形市まで車で一時間もあれば行き来できる距離です。しかしご長男には葬儀参列を遠慮して頂いたのでした。葬儀を執り行う頃、宮城県では多数のコロナ感染者が発生し、山形でも少しずつ増えてきた状況にあった頃なのです。これを受けて県知事から「出来るだけ県境を越えること、特に宮城県には行かないこと!」との要請が出ていたのでした。長女に喪主の不参加を提案しました。長男から電話を頂き、「実は私も葬儀参加をどうすべきか迷っていたところです。県も職場も『行動を慎重に!』と訴えているところでした」と。ということで喪主が欠席という異例の葬儀だったのです。しかしこの決断は、一般の会葬者に対しても正解ではなかったのかと思っています。後日、四十九日法要・埋葬時には参加頂き、妥当な判断だったことを双方が確認できたのでした。
 コロナに振り回された葬儀となりましたが、故人が寺と住職に極めて近い方でしたので、本来の形と内容ではありませんでしたが、できるだけの想いを込めたお参りをさせていただきました。改めてA子さんのご冥福を心よりお祈り申上げます。