いかに生き、いかに死ぬか

圓應寺 住職法話

住職法話 第144回

有限の人生そして死を意識して
【「いのち」の考察】158-163

「急な妻の入院」

前回は、急な妻の入院、そして「寺はお庫裏(オクリ=住職の妻)さんでもつ」を実感。そのドタバタ劇の前半について述べました。今回はその後半です。

Ⅲ-158 本当の大変さは・・・

 妻が入院したことによる本当の大変さは、その後だったのです。このホームPの冒頭で私の経歴を述べておりますが、私は若い頃は名古屋で生活しており、三人の子供たちは全員名古屋生まれです。当時は妻も働き、いわゆる共働きで、子供たちは保育園や学童保育に入所していました。従って当時の私は、日常的に掃除、洗濯を始め週に二日は子供の夕食を担当。飯炊きは当たり前でした。それどころか近くにあった食料品市場に足繁く通い、食材を求めていたのです。そのため市場の店主さんらとなじみになり、個人的に声をかけてくれるほどだったのでした。ということで、当時は食事をはじめとした家事全般によく参加していたのです。ところが、山形に帰り、住職と医療福祉相談員の二足のわらじを履いたことを契機に、がらりと生活が変わり、法要関係以外の仕事は妻の担当になったのでした。これは私が妻に押しつけたということではなく(少しはあるのかな?)、二足のわらじの結果、私に身体的にも精神的にも寺を含めた家事全般を担うことが出来ず、自然と分担することになったのでした。それ以後40年余りは、ご飯炊き、洗濯一つしない“時代”が続いたのでした。そして今回、寺を含めた家事全般に立ち向うことになったのです・・・。

Ⅲ-159 妻が居ないなかで・・・

 まず食事関係です。供養膳については前述した通りですが、私自身の三食の準備です。但し炊飯についてはどういうわけか、妻の入院直前に炊飯器の使い方を尋ねており(虫の知らせ?)、夕食時に米とぎの上、炊飯器に予約をして翌朝のご飯を準備することが出来ました。とりあえず主食を準備出来たのは最高の「虫の知らせ」でした。ご飯の次はオカズです。幸い、非常食の一環としてサバ缶などを少し準備出来ていましたので、今回の正に非常食としてオカズの中心にすることが出来ました。但し、これだけでは済みません。夕食時には大好きな晩酌があります。これこそ一日を締める最高のタイムです。そこで近くのコンビニにということになり、一品二品を買い求め、コンビニの有り難さを思い知らされた次第です。その後は、娘が気を利かして食材を買い求めてくれるようになりました。特に、仏様には魚や肉をはずしたお供えが必要になります。野菜などをゆで上げてオシタシなどを作ってくれました。お陰で何とかお供えと食事をすることが出来たのです。
 次に、洗濯です。我が家の洗濯機も全自動です。但し、この全自動を私は使ったことがありません。何年か前に買い換えてズ~ッと触ったことすらないのです。そこで妻のスマホに電話です。入院中は朝食と夕食時に定期的に電話を入れていましたが、最初に聴いたのがこの洗濯機の使い方でした。聴けば簡単なことですが・・・・、洗剤が切れたらどうするんだろうなどの不安を抱きながら洗濯機を回したのでした。その上でこれまた久しぶりの乾しと取り込んだのでした。

Ⅲ-160 病状とコロナ禍そして補聴器の故障

 さて、妻の病状についてです。先述の通り、コロナ禍にあって面会はかなわず、二人の意思疎通と病状については定時のスマホに限られました。私の関心の第一は当然ながら病状そのものです。しかし医療者からの説明を私(家族)が受けたのは、入院当日の救命外来で医師からあったのみです。このような状況下にあって医療者側から家族に直接または電話で説明があるのは、病状急変か手術などの大きな節目の場合に限られ、それぞれの患者家族への説明は、患者を通してということにならざるを得ません。と言うことで、妻から病状をその都度聴いたのですが、なかなか要領を得ず、数日間は病気が良くなっているのかいないのかが分からず、少なからず不安を抱きながらの日々を送ったのでした。

Ⅲ-161 昔の私は・・・しかし・・・

 妻の要領を得ない大きな原因は難聴です。補聴器をつけて日常生活には支障なく過ごせていたのですが、運悪く入院当初に器具が故障してしまったのです。すぐ修理に出したのですが、「直すのに一週間はかかる」と。ということで医療者が病状について説明しても妻は的確に判断できなかったのではないかと思っています。このようなごたごたの中、容体について一安心出来たのは、入院して一週間ほど経ってからのことでした。体温が平熱に戻ったのです。救命外来で「まずは熱が下がるかどうか」が重要との説明がずっと耳に残っていたからです。しかし本人の自覚症状は余り好転していませんでした。「食欲がない、胃のあたりの不快感と全身の倦怠感」の状態が続いていたのです。私は、同じ救命外来での「血液中にも細菌が入っている状態」という説明から、「敗血症の状態?」と考え、「全身に症状が出ているのかなぁ」と考えていました。

Ⅲ-162 退院へ

 このような症状がしばらく続きましたが、血液検査などを経て、病院から本人に「だいぶ良い方向」との説明があり、退院が近い状態に回復していることが分かりました。ただ、胃の症状と食欲にはあまり変化がないことから胃カメラ検査となり、結果「問題なし」との診断を受け、当初予定された期間内の11日間の入院で退院出来たのでした。
 この入院の間、先にも述べましたが、面会は一切出来ず、妻との洗濯物などの物のやりとりは、病院一階の受付で係の方に託して行います。この方法は他の病院でも同じやり方だったと思います。又、繰り返しになりますが、病状説明は入院当初の救命外来での説明のみでした。退院時に「退院療養計画書」を頂きました。しかしそこには診断名はなく、「退院後の治療計画」として「抗生剤の内服薬を飲みきってください」、「退院後の療養上の留意点」として「水分はしっかり摂ってください」という簡単なもので、入院当初の腎機能がどの程度悪かったのか、治療の結果どの程度良くなったのかなどの数値による説明はありませんでした。しかし何はともあれ的確な医療を頂き、無事退院できたことに感謝すると共に、スマホという現代の素晴らしいものを通して妻との意思疎通が出来たことに安堵したのでした。

Ⅲ-163 改めて「寺はお庫裏(オクリ=住職の妻)さんでもつ」

 さて、11日間の妻の入院。冒頭で述べた「寺はお庫裏さんでもつ」をつくづく実感させられました。私生活上の食事などについても同じことですが、寺の日常をいかに妻が支え、関わっていたのかを思い知らされたのです。特に先にも述べましたが、来客への対応にそれを感じました。私は、お茶出しはしましたが、妻がいるときは常に茶菓子・漬け物などを用意していたものの、そこまでは出来ませんでした。加えて檀信徒の方々との会話では、私はどうしてもその日の主題、用件に傾注してしまいますが、妻の場合は漬け物の漬け方、茶菓子の中身、天気模様、家族、趣味等々色々な話題に広がるのです。檀信徒の皆さんと寺との意思疎通を考えるとやはり、妻の存在が大きいのです。そうです「寺はお庫裏さんでもつ」のです。
 退院以後、出来るだけ妻の「仕事」を手伝うようになった感じがします。世間で言う「老夫婦で男が取り残されると大変!メシ一つから不自由に」との思いを実感したものです。日頃から妻に「一日でも良いからオレより長生きして!」と言っているのですが、妻は「私の方が一日早く!」と。残念ながらなかなか意見が合わないのです

 この入院を知った友人から「いい経験したんだ!先々の勉強をしたんだヨ!」と。あまり経験したくないのが本音なのですが・・・・・・・・。