圓應寺 住職法話
住職法話 第141回
仏教に見る祈りと教え
【仏教を今に生かす「いかに生きるか」の考察】
157-163
「「六波羅蜜」ついて」
この項の前回までは、日本の仏教宗派の大まかな歴史について3回に亘って述べました。今回から、2回に亘って仏になるための実践である「六波羅蜜」ついて述べ、今回はその1回目です。
Ⅴ-157 初七日~四十九日法要
当・圓應寺では葬儀の後、初七日~七七日(四十九日)まで、原則として毎週ご遺族に来寺頂き、いわゆる七日参りの法要を行っています。ところが地方によっては、初七日に四十九日までまとめて法要を行うことや、葬儀の日に四十九日まで一気に行うという話を耳にしています。ここ山形にあってはそこまで簡略化している寺は殆どないのではないかと思っていますが、私は、葬儀後の四十九日までの七日参りを簡略化せず、原則として毎週の法要を心がけています。それはご遺族自身の喪失感から立ち直るためのグリーフケアの一環として僧侶の大切な役割と考えているからです。加えて檀家さんと寺を繋ぐための必要な機会だからです。法要時にはその日の七日参りの意味合いを説明します。特に、大きな節目となる四十九日の法要時には今回のテーマである「六波羅蜜」を紹介しながら、故人を蜜厳浄土(極楽浄土)におくる意味合いを説明しています。「六波羅蜜」の説明やこの課題に迫る機会と方法は沢山あると思いますが、日頃、私が説明している四十九日法要時や年回忌法要時の説明内容を基に、仏になるための修行・六波羅蜜(菩薩行)について述べることにします。
Ⅴ-158 四十九日法要
仏教では、お亡くなりになった方は、四十九日の法要前までは、私たちがいる「娑婆の世界」(注)に居られ、法要を機に娑婆の世界(こちらの岸・此岸)から仏の世界(向こうの岸・彼岸)に旅立つと考えています。ただし、此岸と彼岸の間には大きな川(三途の川)があります。この煩悩渦巻く三途の川を無事に渡って対岸(彼岸、仏の世界)にたどり着くには、日頃の波羅蜜の実践(菩薩行)が必要であること説いています。六波羅蜜の実践は、四十九日の川渡りのみに必要なのではなく、人としての行いとともに仏になるためのものですが、私が四十九日法要や年回忌法要時で説明している内容は次の通りです。
(注)「娑婆の世界」(しゃばのせかい)。「娑婆」と言いますと、反社会的組織の人たちが使う言葉をイメージしますが、立派な仏教用語で煩悩や苦しみの多い世界を意味しています。
Ⅴ-159 「六波羅蜜」とは‥‥① 「彼岸会和讃」
※ 真言宗智山派密厳流の御詠歌に「彼岸会和讃」が有ります。圓應寺のご詠歌講でも練習、お唱えをしている曲です。今回の三途の川渡り、六波羅蜜について分かりやすく詠んでいる曲ですので、1番と2番を掲載します。
「 彼 岸 会 和 讃 」
- 此方(こなた)は 生死の 暗き里
彼方(かなた)は 涅槃(ねはん)の
聖(きよ)き国
間にみなぎる 煩悩の
流れぞ深く 越えがたき
- 彼方の岸に到るには
布施(めぐみ) 持戒(いましめ
忍辱(たえしのび) 精進(はげみ)
静慮(しずけさ) 智慧(ちえ)の徳
積みてし漕(こ)がん法(のり)の船
Ⅴ-160 「六波羅蜜」とは‥‥②
「六波羅蜜」とは‥‥。繰り返しになりますが「波羅蜜」は、娑婆の世界(こちらの岸・此岸)から悟りの世界(彼岸、仏の世界)に到達するための修行を意味します。そしてその修行には次の6種類があります。①布施波羅蜜 ②持戒波羅蜜 ③忍辱(ニンニク)波羅蜜 ④精進波羅蜜 ⑤禅定波羅蜜 ⑥智慧波羅蜜、以上の六種類です。
次にそれぞれの波羅蜜を詳しく見ていきます。
1.布施波羅蜜
6種類の最初は、布施波羅密です。見返りを求めず、さまざまな施(ほどこ)しを「する」のではなく、「させて頂く」修行のことです。そして人のために尽くす人を「菩薩」と言いその行いを「菩薩行」と言うのです。
さて、その施しには、次の三種類あります。①財施 ②法施 ③無畏施(ムイセ、無財の七施) (④「無財の七施」を分ける考えも)です。一つずつ述べることにします。
① 財施
金銭や物品を他人に施す物質的な布施のことです。赤い羽根共同募金、災害時の義援金等の他に、食料品、衣類なども財施です。お布施は、自分の出来るだけの気持ちを喜んでさせて頂くということから、お布施をすることを喜捨(きしゃ)ともいいます。喜捨は喜んで捨てると書きます。仏教の教えを説き、守り伝える僧侶(心恥ずかしい私ですが‥)や経済的に苦しんでいる人に、自分の持てる力に応じて布施させて頂くのが基本なのです。
Ⅴ-161 「六波羅蜜」とは‥‥③
1.布施波羅蜜
② 法施
金品を施すことではなく、仏教の教えを説き、迷い悩む人に心の安らぎを与え、悟りの世界へと導くことで、(私としては大変恥ずかしいのですが)僧侶が最も求められる役割とされています。
但し、僧侶のみが担うものではなく、一般の仏教徒が人々に仏教の教えを説くこともこの法施となります。例えば、豊かな知識や智慧のある人は、人にものを教えたり、道理や常識を教えてあげたりすることもこの中に入りますし、悩みなどを真剣に聴いてあげることも立派な法施と言えます。
Ⅴ-162 「六波羅蜜」とは‥‥④
1.布施波羅蜜
③ 無畏施(無財の七施)・・・a
「畏」は、「おそれ」、「おののき」という意味です。したがって「無畏施」は、人の悩みや恐れを取り除き安心を与える布施のことです。別名、誰でもできる善い行いとして「無財の七施」とも言い、たとえ財施、法施が乏しい人であっても布施が出来ることを示しています。この「七施」については、具体的ですので以下それについて紹介します。
ⅰ 眼施(げんせ、がんせ) | 優しい眼差しで人に接すること。 |
ⅱ 和顔施(わがんせ) | 穏やかな明るい顔で人に接すること。 |
ⅲ 言辞施(ごんじせ) | 優しく思いやりのある言葉をかけること。 |
Ⅴ-163 「六波羅蜜」とは‥‥⑤
1.布施波羅蜜
③ 無畏施(無財の七施)・・・b
ⅳ 身施(しんせ) | 自分の体を使って奉仕すること。 |
ⅴ 心施(しんせ) | 心の底から思いやりの心を持つこと。 |
ⅵ 床座施(しょうざせ) | 席を譲る(例えばお年寄りに)こと。 |
ⅶ 房舎施(ぼうじゃせ) | 自宅に人を迎え入れたり、困っている旅人に宿を提供したり、休憩の場を提供したりすること。 |
以上、布施波羅蜜は「財施」「法施」「無畏施(無財の七施)」の三本の柱からなっており、当然ながらどれをとっても重要な柱であることは言うまでもありません。但し、あえて吐露させて頂くとすれば、財も仏教の教えに乏しくとも、誰にでも出来る「無財の七施」を胸に、日常を人々と生きることこそ最も大切なことではないかと私は思っているのです。
以上が、「七施」ですが、大変僭越ではありますが、私はもう一つ「ⅷ番目」として加えたいことがあります。これを含めて次回の 「六波羅蜜」で述べることにします。