いかに生き、いかに死ぬか

圓應寺 住職法話

住職法話 第139回

有限の人生そして死を意識して
【「いのち」の考察】153-157

「急な妻の入院」

前回は、野球評論家・野村克也氏の活躍と野球を通したものの考え方、生き方についての後半として、野村氏の名言を中心に述べました。今回は、又私事になりますが急な妻の入院、そして「寺はお庫裏(オクリ=住職の妻)さんでもつ」を実感。そのドタバタ劇について述べます。

Ⅲ-153 私ら夫婦 ~入院適齢期?~

 昨年(2021年)、私自身が9日間の入院を体験しました(この件については昨年の6月11月の項で述べました)が、今度はそのちょうど一年後に妻が11日間の入院となり、二人そろって「入院適齢期」を実感してしまいました(「死亡適齢期」とは言わないでください!)。

 昨年の年末、妻が「どうもお腹の具合が・・」ということで、年明けの胃カメラ予約を兼ねてかかりつけの消化器内科医院を受診。胃腸薬を頂いて年明けまで内服するも、食欲不振を含め、いっこうに良くならず正月早々に再受診。「ノロウイルスによる胃腸炎」との診断で点滴と新たな内服薬を頂きました。しかしその後もお腹の不快感と食欲不振が続き、連日点滴を受けていました。そして1月8日の土曜日。その日も午前中に点滴を受けて帰宅した夕方近くに、容体が急変したのです。38度の発熱、体がガクガク、全身の痛み(私が擦るとなおのこと痛みが増強)、そして唇チアノーゼ。ここに至って即、再受診。結果「腎盂炎による腎臓病、直ぐ県中(山形県立中央病院)に連絡しますので紹介状を持って受診」となりました。

Ⅲ-154 いよいよ入院 ~「今生の別れ?」~

 県中に午後6時前に到着、諸々の検査を経て「入院」が決まったのは10時を過ぎていました。診断はやはり「腎盂腎炎」で「血液中にも細菌が入っている状態、まずは熱が下がるかどうか。一応入院は10日間~2週間ほどだが、場合によってはより深刻になることもある」と。最後の言葉が頭の奥に響いたのでした。いよいよ入院ですが新型コロナ禍の折り、私は病棟入り口まで同行出来ましたが、「ご主人はここまで」ということで部屋に行くことは出来ませんでした。看護師さんに「今生の別れ・・?」と一言。妻と別れ自宅に戻ったのは夜中の11時半、私自身も疲労困憊、夕食(夜食も)無しで、就寝は翌日にずれ込んだのでした。

Ⅲ-155 翌朝の寺の仕事

 私としては何年ぶりかの午前様になりましたが、起床はいつもの時間から少し遅くなった程度で、4時には起き出しました。いつもは本堂での読経の後、檀信徒が利用するトイレの掃除をして、スロージョキングを含めたウオーキングに出かけるのですが、この日はその余裕はなく、出かけるのを取りやめました。寺には朝仕事がいっぱいあるのです。日常は妻に託していた仕事(作業も)をすべて私がしなければなりません。先ず、仏様と当家のご先祖にお供えする供養膳です。幸いにも昨夜(正確にはこの日の朝)のうちに炊飯器に朝飯の用意をしていたため、ご飯だけは順調に準備出来ました。しかしご飯のみの供養膳では仏様におしかりを受けます。通常ご飯の他5種類のお品を供えることにしていますので、冷蔵庫の中をひっくり返すようにして品定めして、お膳を調えたのでした。

Ⅲ-156 翌朝の寺の仕事、さらに!

 ちょうどその頃(早朝)、電話のベルが・・・・「!エッ?・・・病院から?!」「病態急変?」の思いが頭をよぎり、おそるおそる電話を取りました。電話の向こうから「父が昨日亡くなりました。お葬式宜しくお願いします。実は昨日の夕方から何回か電話していたのですが・・・」と。これ又、びっくり仰天。いつも留守にするときは必ず留守番体制をとっているのですが、今回ばかりは急なことでその対応無しで、病院に行っていたのです。留守した理由を説明し、ご理解いただいたのでした。

 この電話の後、日常の仕事として来客の準備、トイレを含めた簡単な掃除などを終えて、近くにいる三人の子供に、妻(母)の状況について説明するため参集するように連絡を取り、私自身の朝食は、いつも7時頃ですが9時頃になってしまいました。その後、三人の子供が参集、昨日の経緯を説明、当番を決めて応援態勢を組んだのです。幸いにも子供三人は、寺と目と鼻の先に住んでおり、大助かりです。

Ⅲ-157 さらに・・・葬儀の準備

 入院翌朝は正にドタバタ劇、その上葬儀が入って正にパンク状態でした。先ずはなくなった方への「枕経」に駆けつけなければなりません。最近は枕経を行わないところが増えているという話を耳にしますが、当地にあっての枕経は必須の読経です。子供に留守を託して出かけました。枕経の後、葬儀などの日程の相談と故人の今日までの人生(学歴、職歴、趣味、性格等々)を伺いました。帰宅後、その「人生」を基に戒名の作成、白木の位牌と門牌書き、そして葬儀で読み上げる諷誦文(ふじゅのもん、引導文)の作成等々、葬儀の準備は山ほどです。妻に託していた仕事(作業)と葬儀、実にめまぐるしい日々となってしまいました。