圓應寺 住職法話
住職法話 第136回
仏教に見る祈りと教え
【仏教を今に生かす「いかに生きるか」の考察】
152-156
「日本の仏教宗派の歴史について 3」
この項の前回までは、日本の仏教宗派の歴史について、2回に亘り鎌倉仏教の禅宗である臨済宗まで述べました。今回はその最終回として禅宗の残り二宗に続き、現代仏教教団まで述べます。
Ⅴ-152 宗派の歴史⑩ ~鎌倉仏教 ⅵ~
●鎌倉時代に成立した禅宗の二つ目、黄檗宗です。
後に黄檗宗となった臨済禅は、武士階級に好まれ、また、絵画(水墨画)、演劇(能)、茶道等、中世の文化に非常に大きな影響を与えたと言われています。江戸時代、明の禅僧・隠元(いんげん、1592~1673)によって臨済禅がもたらされましたが、現在、黄檗宗として伝えられています。京都宇治の黄檗山万福寺が本山です。
Ⅴ-153 宗派の歴史⑪ ~鎌倉仏教 ⅶ~
●禅宗の最後は曹洞宗です。
曹洞宗は、中国の曹洞宗の禅を、道元(1200~1253)が入宋して伝えたものです。道元は初め、比叡山で修行し、その後、栄西にまみえて禅を修行。さらに宋に渡って中国の南宋の曹洞宗の僧・天童如浄(てんどうにょじょう)の下で、「身心脱落(しんじんだつらく)、脱落身心」(あらゆる自我意識を捨ててしまうこと)を悟って帰国したのですが、旧仏教の圧迫を受けたり、幕府にも受け入れられなかったりしたため、越前に移り、永平寺を開き、弟子の育成に尽力したのです。
曹洞禅は先に示した臨済禅と考え方がやや異なり、只管打坐(しかんたざ)としてただ坐るということを重んじています。坐禅は仏のはたらき、仏の活現に他ならないということで、これを「本証の妙修(ほんしょうのみょうしょう)」(私たちは本来、真実そのものの存在であり、それを証明する存在である。そしてそれは本来、仏と少しも変わらない存在でもある)と説きます。また、曹洞宗は、日常生活の微に入り細にわたって綿密な規定があります。
道元は、極めて厳格で、格調が高く一般に広まらなかったが、その門下の第四祖、瑩山紹瑾(けいざんじょうきん、1268~1325)が禅を大衆化し、現在の大宗団の基礎を築きました。瑩山紹瑾は、石川県の能登に総持寺を開創しましたが、明治に入って火事に遭い、横浜の鶴見に移っています。現在、曹洞宗は福井の永平寺と鶴見の総持寺の二大本山制をとり、道元を高祖、瑩山を太祖としています。
Ⅴ-154 宗派の歴史⑫ ~鎌倉仏教 ⅷ~
●日蓮宗
日蓮宗は、日蓮(1222~1282)が宗祖です。日蓮は初め、千葉県の清澄寺(せいちょうじ)で仏教を学び、後に比叡山で天台教学を学んで、故郷(千葉)に帰り、建長5年(1253)、清澄寺で「南無妙法蓮華経」と唱えたのが開宗とされます。その後、鎌倉を中心に布教活動を展開し、幕府に対して法華経に帰依すべきことを訴えたが認められず、佐渡に流されるものの、後に許されて身延(みのぶ)山に。7年ほどして病いを患い身延山を下り、常陸に療養に向かう途中で遷化したのです。
日蓮宗では、南無妙法蓮華経の題目(経の題名)を唱える唱題を説きますが、それは、法華経こそが釈尊の悟りのすべて、しかも「妙法蓮華経」の題目は、単に名称ではなく、法華経の説く内容、つまり仏陀の世界そのものであると日蓮が考えたからでした。尚、日蓮は南無妙法蓮華経を中心に、諸仏諸尊を回りに配した図(大曼茶羅だいまんだら)を顕しましたがその大曼茶羅も本尊として礼拝の対象にしています。
Ⅴ-155 宗派の歴史⑬ ~現代 ⅰ~
●日蓮系の教団には、身延山を祖山とし、池上本門寺に宗務院を置く日蓮宗をはじめ、顕本法華(けんぽんほっけ)宗、法華宗(本門流・陣門流・真門流)、本門法華宗等々、種々の宗派があります。
尚、日蓮の没後、身延の御廟は日蓮の定めた六老僧が管理しましたが、その中の一人、日興(1246~1333)の流れを汲むのが日蓮正宗(にちれんしょうしゅう)であり、富士の大石寺を本山としています。
Ⅴ-156 宗派の歴史⑭ ~現代 ⅱ~
●その他の現代仏教教団
- 天台系に属する主な教団に、念法真教、孝道教団などがあります。念法真教は、大正14年、教祖小倉霊現(おぐられいげん、1886~1982)が天台宗所属の教会を開き、昭和22年別派独立したものです。
孝道教団は、昭和11年、岡野正道(おかのしょうとう、1900~1978)及びその妻貴美子(1902~1976)が、霊友会より独立し、宗教結社孝道会を結成したものです。
- 真言系の主な教団に、解脱会、真如苑などがあります。解脱会は、真言宗醍醐派で修験を修めた岡野聖憲(おかのせいけん、1881~1948)が、昭和4年、新団体を結成したのに始まります。
真如苑は、真言宗醍醐派で修行した伊藤真乗(いとうしんじょう、1906~1989)が、後、醍醐派を離れ、昭和23年、まこと教団を設立、その後、現名称に改められたものです。
- 日蓮系の本門仏立宗は、本門法華宗で出家したものの、後、還俗した長松清風(1817~1890)が安政4年(1857)、仏立講と称する講を起こしたのに始まります。法華宗に所属していましたが、戦後の昭和21年、独立して本門仏立宗と称しました。
- 霊友会は、小谷喜美(1901~1971)、久保角太郎(1892~1944)によって始められたもので、法華経信仰を基盤とした祖先崇拝が基本となっています。この霊友会から、昭和10~13年頃、孝道教団、立正佼成会などが独立。さらに戦後、昭和25~26年頃、妙智会教団、法師会教団、仏所護念会教団、正義会教団などが独立しました。そのほか、妙道会教団、大慧会(だいえいかい)教団なども霊友会から独立した教団です。立正佼成会は、長沼妙佼(1889~1957)、庭野日敬(1906~)らによって始められたものです。
創価学会は、1930年、牧口常三郎(1871~1944)によって設立された在家信者団体である創価教育学会が母胎。牧口は日蓮正宗の信仰を採り入れ、その後次第に信仰を中心とする団体に発展したと言われています。