いかに生き、いかに死ぬか

圓應寺 住職法話

住職法話 第134回

有限の人生そして死を意識して
【「いのち」の考察】146-152

「野球評論家・野村克也氏の名言」

 前回は、2020年2月11日、84才で亡くなられた野球評論家・野村克也氏の活躍と野球を通したものの考え方、生き方についての前半を述べました。今回はその後半で野村氏の名言を中心に述べます。

Ⅲ-146 野村さんの諸々名言① ~リーダーと組織について~

 楽天監督時代、田中将大投手の不敗を表して「マー君、神の子、不思議な子」との名言が大変有名になりましたが、氏は多くの名言を遺されました。私にとって印象的な名言を掲載することにします。

◆「組織はリーダーの力量以上には伸びない」
◆「好かれなくても良いから、信頼はされなければならない。嫌われることを恐れている人に、真のリーダーシップは取れない」

 ご承知の通り私は一山の住職ですが、野球組織のリーダー(監督)というほどの立場にある訳ではありません。しかし氏の考え方には同感できるのです。それを考えますと自分の力量不足を感じざるを得ません。日々少しでも前進できることに努力しているつもりなのですが‥‥。

Ⅲ-147 野村さんの諸々名言② ~失敗に学び、相応しい内実を持つ~

◆「失敗の根拠さえ、はっきりしていればいい。それは次につながるから」
◆「『失敗』と書いて『成長』と読む」
◆「人の値打ちは失敗するかしないかではなく、失敗から立ち上がれるかどうかで決まる」
◆「優勝というのは強いか、弱いかで決まるんじゃない。優勝するにふさわしいかどうかで決まる」
         
 野球は失敗のスポーツとも言われます。3割打者は大打者との評価を受けますが、よく考えてみると7割は失敗しているのです。しかし私たちの日常は失敗しないように、細心の注意を払っているのが常です。それは何回もやり直すことが出来ないからなのかも知れません。それでも氏の考え方と視点に、「なるほど!」と納得できるのです。

Ⅲ-148 野村さんの諸々名言③ ~愛情をもって叱り、心を変え、結果を~

◆「『叱る』と『褒める』というのは同意語だ。情熱や愛情が無いと、叱っても、ただ怒られているというとらえ方をする」
◆「心が変われば態度が変わる。態度が変われば行動が変わる。行動が変われば習慣が変わる。習慣が変われば人格が変わる。人格が変われば運命が変わる。運命が変われば人生が変わる」
◆(成績が上がらない阪神の監督に就任して)「意識が変わらないと誰が監督をやっても同じこと、意識が変われば考え方が変わるし、考え方が変われば取り組み方が変わるし、取り組み方が変われば結果も変わるはず」

 子供の教育、しつけの鉄則として言われる「怒るのではなく、叱ること」に通じる考え方でしょうか。そして私の場合は、山形県立中央病院を定年退職後、住職一本で行くこと、そして即本山に修行に出る意識を固めたことが、今にして思えば意識改革(変化)だったのか、とも思っています。

Ⅲ-149 野村さんの諸々の名言④ ~先入観は悪 → 見つける 育てる 生かす~

◆「固定観念は悪、先入観は罪。人間のいいところは、どんな可能性があるか、その可能性を引き出す、見つけることが人生そのものではないか」
◆「見つける 育てる 生かす。9つのポジションにいろんな条件がある。その条件に合うか合わないか見つけるのが監督の仕事でもある。」
◆「1年目には種をまき、2年目には水をやり、3年目には花を咲かせましょう」

 物事をこれまでの経験のみ(いわば固定観念)で判断してしまう危険は良くあることです。それは新たな勉強や努力をせず一番楽な判断だからかも知れません。これまでの経験に新たな視点を加える努力を常にし、自分自身をに対しても「見つける 育てる 生かす」力を少しでも身につけたいとは思っているのですが‥‥。

Ⅲ-150 野村さんの諸々の名言⑤ ~勝利と敗戦‥‥その考え方~

◆「勝つときにはいろんな勝ち方があって、相手が勝手にずっこけたり、勝手にミスしてくれたりして『ああラッキー』という勝ち方もあります。しかし、負けるときというのは、負けるべくして負けるものです。勝負の世界にいると、勝って反省というのはできないが、負けたときには反省する。敗戦の中にいい教訓があると思います」

◆「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」

 人生の節目で何故負けたのか、合格できなかったのか等の大きな出来事に限らず、日常の仕事、学習、生活等々での失敗に学ぶことは沢山あります。氏の言うように「負けた(失敗した)ときには反省」し、次のステップに踏み出す努力が必要なのではないでしょうか。
   
※2021年4月27日朝日新聞「かたえくぼ」に「選挙で与党3戦全敗」と題して「負けに不思議の負けなし――野村監督」(茅ケ崎・やじ馬)と、金権体質を皮肉った掲載がありました。

Ⅲ-151 野村さんの諸々の名言⑥ ~月見草‥‥‥そして人を遺(のこ)す~

◆「王、長島が太陽の下で咲くヒマワリなら、俺は野に咲く月見草」
◆「野村さんの人生をを支えて来たのは何ですか?」の質問に「劣等感じゃないでしょうか、劣等感イコール月見草精神、これが私を今も支えてくれているような気がします」
◆「一番大切なことは人を遺すこと」

 野村さんが現役で活躍していた頃のプロ野球は、マスコミの取り上げ方がセリーグ中心でした。そのためもあって人気は圧倒的にセリーグでした。野村さんがどんなに活躍しようが、スポーツ紙の一面はジャイアンツ、王・長島の時代だったのです。加えて野村さんの幼少時代からプロになるまでの家庭環境や経済的事情などの背景から「月見草」が出て来たのではないでしょうか。又、ここに掲載した以外にも多々ある氏の数々の名言発出もこのような背景があったからこそのようです。
 そして「人を遺す」こと。野村氏が亡くなった時、プロ野球界12球団の監督の中で、実に6人が氏の教え子なのです。

Ⅲ-152 その他

◆朝日新聞 2020年2月20日掲載記事「ノムさんに学ぶ」

「自らを『月見草』に例えた昭和のプロ野球選手の人生がなぜ、グラウンドの外でも、人々の興味をかき立てるのか。『ノムラの教え』から、何を学び取れるのか」と題してインタビュウ記事を掲載しました。その中から、野村野球を的確に捉えたスポーツジャーナリスト二宮清順氏の談話の概要を紹介します。

「一番印象的だったのは『くそったれ野球』、野村さんの根っこにあるのは負けず嫌い。あらゆることに妥協せず泥臭く取り組んだ。だから言葉も面白く、人を引きつけた。父を3才で亡くし、ユニホームも買えなかった……長島さんと王さんというスターが常に目立った時代。どう言えば人の心に響き、納得させられるかを考え続けたのです。……自身が一流選手になっても当時は日陰だったパリーグでは目立ちません。そこで、自分を『月見草』に例えます。あれは、新聞の見出しになるよう計算し、用意していたと思います。ヤクルトは優勝、『指示は一つでいい。二つだと迷う。三つだと忘れる』と。弱者を勝者に変える野村さんの言葉を講演で紹介すると、ほとんどの人がメモを取り始めます。ビッグデーターのような統計学と、哲学に基づく言葉を野球に導入したリーダーでした」と。

◆歌い手としての野村さん

 大反響とまでは行きませんでしたが(失礼)、「俺の花だよ月見草」「望郷」の他、奥様の野村沙知代氏作曲の「女房よ・・・」があります。なかなかの低音魅力で私もCD一枚を購入、氏を味わっています。この曲の一番だけ紹介します。 

  女房よ わしはいまだに
  おまえの涙
  見たことないわ
  わしが上に行くまで
  大事に
  ふくろへ入れておけよ
  時の終わるまで 青春や
  老いることのない
  この夢や
  女房よ 夫婦の絆は強い
  まだくたばらないぞ 俺達

◆皆さんご承知の通り、野村さんは多くの著書を遺しています。又野村さんについて書かれたものも沢山あります。これを機に本物を直接見ていただければ幸いです。

 後日、死因は虚血性心不全であったと息子克則氏より明かされたました。心よりご冥福をお祈りいたします。有り難うございました。