圓應寺 住職法話
住職法話 第130回
日々の生活の質をいかに高めるか
【生活の質の考察】140-145
「「看取り士」、「オンライン(葬儀)に参加しますか?」の新聞記事について」
明けましておめでとうございます。皆様と共に新年を迎えることが出来たことに感謝しております。昨年も新型コロナ禍で自粛・自制・制約等々、厳しい生活が強いられた一年でした。今年はコロナ禍の一日も早い収束を心より念じています。
さて、前回のこの項では、新型コロナ禍による葬儀や年回忌法要の様変わりとその影響について述べました、今回は昨年(2021年)の6月26日、朝日新聞「看取り士」について、同年7月10日、同紙「オンライン(葬儀)に参加しますか?」についての記事内容を紹介すると共に、私の考えを述べます。
Ⅳ-140 「看取り士」について①
コロナ禍にあって葬儀をはじめとして亡くなった方とのお別れの仕方の様変わりについて、前回のこの項で述べましたが、お別れが凝縮される「看取り」そのものも、コロナ禍にあっての面会制限などで大変制約されてきました。そんな中、看取りを専門に取り組む「看取り士」の記事を目にしました。大切な仕事と役割に感銘しましたので、その記事です。
昨年(2021年)6月26日付朝日新聞に「看取り士」創設者とその仕事内容の紹介記事が掲載されました。私は残念ながら(恥ずかしながら)その記事を見るまで「看取り士」については全く知りませんでした。その記事を読み、死者との別れに際して本当に大切なものを正面から受け止め、実践する仕事に感銘しました。
朝日新聞は、一般社団法人「日本看取り士会」会長の柴田久美子さんの紹介をとおして、看取り士の活動を取り上げました。それによると柴田さんは、一般企業での激務、うつ病の発症、離婚などを経た後、介護施設職員でケアマネージャー、介護福祉士の資格を取得。2012年に「日本看取り士会」を設立しました。
柴田さんは、「(家族が患者と)ふれあうことで、死が温かいものとして、残された家族の心の中に宿っていくのです」。「(死は)敗北ではなく、次世代へのギフト」と考え、「看取り士」は「『抱きしめて看取る』ことを通じ、尊厳ある旅立ちを手伝う仕事」と紹介しました。
Ⅳ-141 「看取り士」について②
更に柴田さんは、記者の質問に答え、具体的内容を次のように述べています。「いまはコロナ禍で十分にできませんが、手を握るなどふれ合いを大切にしています。ご家族と利用者さんのふれ合いこそ、大事です」「ふれることで愛のエネルギーが循環し、利用者さんからご家族に『愛のバトン』を受け渡せる、と私たしたちは考えています。そのために、亡くなった後少なくとも丸一日は、そのままの体温を感じてもらいます」「コロナ禍で『自宅に帰ろう』という動きが加速しています。病院や介護施設で何ヶ月も面会が制限され、自宅に戻す動きがでているのです。~中略~『自宅死』という日本の古い文化を再度見直す機会をくれました。これからも自宅死の不安を和らげるために、尽力できればと思います」と。
昨年(2021年)7月、このホームページで「有限の人生そして『死』を意識して」で、「コロナ禍のお別れ」について述べましたが、そのなかで「ご遺族としては、いや亡くなった方ご自身にとっても病室での『最期のお別れ』は出来ません。又、顔をなで手を握る感情的ふれ合いも全く出来ません。本当に死を悼みご本人に感謝し別れを惜しむ現実的対応が出来ないのです。これは遺族が死を実感する上でとても大切なことなのですが‥‥。」と述べました。このことはコロナ禍の看取りに限るものではありません。コロナ以前そしてコロナ後も亡くなった方との直接的ふれ合いは「死を悼みご本人に感謝し別れを惜しむ」上ではごく当たり前のことなのです。このごく当たり前のことをより積極的にすすめるのが「看取り士」なのではないでしょうか。「死」に対する考え方を含め大変共感するものです。
Ⅳ-142 「看取り士」について③
昨年(2021年)、師走の押し迫った時期でしたが、山形で「一般社団法人看取り士会山形研修室 看取り士・梁瀬文子」氏主宰の「カフェ看とり~と」としてグループトークが行われ、初めて参加させていただきました。私にとって看取り士の方にお会いするのは初めてでしたが、少人数でもあり、予定された1時間30分はあっという間に過ぎてしまいました。話し合いは①自分が最期の時誰に看取ってもらいたいか ②医師に回復不能と言われたときの医療をどのように選択するか(例・人工呼吸器をどうするか) ③終末期になった場合、どのようなことを遺族に伝えるか。等々について行われました。今回は、一般参加者同士の話し合いで、看取り士による話ではありませんでしたが、日常ではこのようなことについて、想いや意見交換できる場はほとんどない中で、貴重な見方、考え方に接することができました。それにしても参加された皆さんの意識の高さに驚く(失礼!)とともに、今後も参加させていただき、私の考える「いかに生きいかに死ぬか」の想いを深めていくこと、そして地方都市・山形にも梁瀬さんという看取り士がおられたことに感謝しながら会場を後にしました。有り難うございました。
Ⅳ-143 オンライン葬儀について①
2021年7月10日付朝日新聞に「オンラインに参加しますか?」のアンケート記事が載りました。コロナ禍にあって新しい葬儀方式として登場してきたこの新方式による葬儀に参加するか否かについて調査した記事です。
先ず、「オンライン葬儀」方式の具体的内容です。葬儀式場でその様子を動画で撮影し、インターネットを通して配信します。その配信をスマホかパソコンで受信します。単に様子を視聴するだけでなく、方式によっては会場と会話を交わすことも出来ます。このような形で参加することを「オンライン参列」と言います。
記事によると、このような「オンライン葬儀に『参列する』と3割が答ええ、そのうち7割が『コロナ対策』を理由に選んでいる」と。又、「参列する」と答えた人の考え方は「オンラインでも葬儀に参加できれば心残りは無くなる」、「どんな形であれ、お別れをして気持ちの区切りはつけたい」というもので、「たとえオンラインでも故人とお別れしたい、それが『参列』と答えた人たちに共通する気持ち」とのことです。
「その一方で、7割近くの人がオンライン葬儀に『参列しない』と答えて」います。その考え方は、「『参加した』よりも、『観た』気持ちになり、お別れや気持ちの区切りにならないのではないか」、「‥‥やはり人と実際に会って、故人を見送ったのは、今でも思い出として鮮明に残っている」、「普段疎遠になりがちな親戚を『故人が呼び寄せて集めてくれる』という一面がある」と。
Ⅳ-144 オンライン葬儀について②
実際にオンラインでの葬儀や法事に参加した人の感じ方を次のように紹介しています。「‥‥89歳の母は足腰が弱り、遠出が出来ず、オンラインでなければ参加できなかったと言っていた。高齢者には向いている」、「コロナ禍で帰省を断られ悲しい思いをしたが、離れていても兄弟一緒にお経を上げることができ、いい供養になった。同じ時間を共有できて、気持ちは和らいだ」。更にオンライン葬儀について「故人の家族に気分的な負担をさせずに、また、参列する者として、静かに思い出に浸れる時間を与えられる面で,これからの時代に合っているかも知れない。」との感想を紹介。
最後に記事は、「葬儀の形は人それぞれだが、今後、家族葬とオンライン葬儀を組み合わせる形が、増えていくのではないか。アンケート結果から、そんな未来を予想した」と述べています。
Ⅳ-145 オンライン葬儀について③
山形でのオンライン葬儀
このオンライン葬儀は、大都会周辺ではそれなりに実施されているようなのですが、当山形では2~3社の葬儀社が実施しているようです。但し、その回数は葬儀全体の1割、多くとも2割ほどのようです。そして一般の法要については例外を除き実施されていないようです。
さて、オンライン葬儀についてどのように考えたら良いのでしょうか。私は、実際の葬儀に参列してお見送りをすることを基本にした一部のオンライン化には賛成です。葬儀のあり方について、昨年(2021年)8月のこの項で山形新聞に掲載された読者の記事として、コロナ禍で「葬儀の様式変化 寂しく」と題して、「遺族、親族、故人と縁やゆかりのあった方々が、荘厳な空気が漂う中、皆で別れを惜しみつつお見送りをしたものでした」として、最近の式前焼香への様変わりを述べておられました。葬儀のあり方としてはこの読者の考え方が基本にあるものだと思っております。従ってオンラインに参加される方は、ご遺族が限定する必要があるのではないかと思います。たとえば、先の例にあるように、親戚の中のご高齢者や体に障がいのある方などに限ることです。オンライン葬儀を広く伝えることには慎重にすべきで、葬儀参列が基本と思うのですが如何でしょうか。
尚、私はオンライン葬儀の経験は未だありません。