いかに生き、いかに死ぬか

圓應寺 住職法話

住職法話 第124回

有限の人生そして死を意識して
【「いのち」の考察】134-139

「「新型コロナウイルス感染者が亡くなった場合のお別れのあり方」と「終活」「人生会議」」

 前回は、NHK「マイあさラジオ」の「健康ライフ」で、2018年3月5日~9日に再放送された 「人とのつながりが寿命を延ばす」の内容を3回に亘って紹介しましたが、今回は新型コロナウイルス感染者が亡くなった場合のお別れのあり方について触れた後、以前にも取り上げた「終活」と最近話題の「人生会議」(この内容については2021年1月1日付、「Ⅱ 緩和ケア医療に学ぶ生と死」で少し触れました)について述べます。

Ⅲ-134 コロナ禍のお別れ

薩摩の小京都「知覧」

 ご家族が新型コロナウイルス感染症に罹患してお亡くなりになった場合、そのお別れの実態は極めて厳しい情況下にあると言われています。通常、お亡くなりになった場合の葬式に至る流れは、医療機関で死亡→(葬儀社に依頼して)自宅(葬儀会館)→納棺→葬式→火葬(山形は納棺→火葬→葬式が一般的です)となります。通常は、ご遺族が親身になってご遺体に寄り添い、納棺作法を行い、時には死者の顔に手を触れ、手を握り死者へのお礼やお別れの実感を共有します。

 しかし新型コロナウイルス感染症に罹患してお亡くなりになった方とのお別れは、このような別れが出来ない状況下にあります。幸いにして私は、檀家さんや家族にこのような方とのお別れを経験しておりませんが、その実態は次のようになっているようです。

 コロナによる死者が出始めた昨年(2020年)の春頃は、大混乱の中にありました。医療機関から託された葬儀社は厳重な防護対策の上、納棺→火葬を行い、ご遺族は斎場での見送りも出来ない情況が続いたとのことです。亡くなった方に対面できるのはお骨になってからという状態でした。昨年3月にお亡くなりなったコメディアン・志村けんさんの死亡時ニュースでこのような情況が報道され、生々しく見目に残っているところです。

 新型コロナの知識と対策が大分進んで来た現在、山形県内では医療機関の手で、ご遺体を棺に納め、棺には隙間が無いようにキチンと目張りをした上で、ご遺族(葬儀社)に託され、ご自宅か葬儀会館に搬送され、葬式→火葬に進むことになります。従ってご遺族による直接的納棺作法はありませんが、棺の窓からガラス越しにお顔に出会い、斎場にも行けるようになりました。

 しかし、ご遺族としては、いや亡くなった方ご自身にとっても病室での「最期のお別れ」は出来ません。又、顔をなで手を握る感情的ふれ合いも全く出来ません。本当に死を悼みご本人に感謝し別れを惜しむ現実的対応が出来ないのです。これは遺族が死を実感する上でとても大切なことなのですが‥‥。

 現在の山形ではこのような状況にありますが、今年(2021年)5月31日付の朝日新聞に「触れてさよなら言いたくて」と題して、ご遺体に特別な衛生措置をしてご遺族が対面し、顔や手足に触れて「ありがとう」と言って別れを告げたとの関東方面の実例記事が載りました。その特別な措置は「エンバーミング」というもので、血液を抜き、血管や腹部に薬物を入れ殺菌や防腐を施すというものです。但し、この措置には約30万円程の経費がかかること、エンバーミングを施す業者が圧倒的に少ないこともあって、「昨年のコロナによる死者への措置は数十件」とのことです。私の知る限り県内でこの措置を行った事例は聞いておりません。それは県内でこのような対応が出来る葬儀社はない(一部系列会社間で他県で実施しているかも?)からかも知れません。

 いつも述べていますように、健康寿命と平均寿命がいくら延びでも必ずお迎えはやってきます。お見送り見送られは、ともに歩んだ歴史を心にしっかり遺して逝きたいものです。疫病退散!

Ⅲ-135 終活 57%の人が親と相談せず~「エス・エム・エス」調査結果~

鹿児島県・開聞岳

 「終活」という言葉はまだまだ新しいものですが、今や「しゅうかつ」は「就活」を追い越して「終活」の方が一般的になってしまった感じがします。それほど「人生100年」時代の大きなテーマになった証左なのかも知れません。

 さて、その「終活」は人生の最期をいかに迎えるのか、そのための準備をどのように進めるのかということです。若い世代に関係ないわけでは勿論ありませんが、特に定年退職後の高齢者に問われる課題です。その上で高齢者ご自身が、自身の終活を考え、実践する場合と子供さんが親に終活を促す場合があります。前者はご自身のことですから問題はないわけですが、ご自身が終活をしていない場合は、子供が親に勧めるというのは微妙な問題があるようなのです。

 このことについて、民間会社「エス・エム・エス」が2019年10月に60歳以上の親がいる人にネット調査をした結果が発表になりました。それによると
 ①56.8%の人が親と話し合ったことがない(「ある」は43.2%)
 ②「ない」人の理由(複数回答)
  ⅰ「切り出しにくい、話しにくい」42.6%
  ⅱ「話す機会・時間がない」32.1%
  ⅲ「親が元気なため必要がない」18.9%
  ⅳ「何を話すべきか分からない」18.1%
 ③話し合ったことがある人にタイミングを尋ねたところ(複数回答)、「日常会話の中で」が半数を占め、「家族・親戚が亡くなった時」と続きました。

 終活の内容は、遺言、葬儀の方法と内容、身の回りの整理等々多岐に亘るものの「死」を迎える準備と実践であるため、子と言えどもなかなか切り出しにくいテーマであることを物語っています。しかし寿命がいかに延びようと必ず「死」はやってきます。そのために先ずは高齢者自ら手を上げ、子と一緒になって家族間で話し合うことが大切なのではないでしょうか。

Ⅲ-136 厚労省「人生会議」①

 「人生会議」とは、人生の最終段階の終末期にどのような医療やケアを受けるか事前に家族や医師などと話し合いを重ねる過程を指し、アメリカで「アドバンス・ケア・プランニング(ACP)と呼び1990年代から取り上げられてきたものです。

 2018(平成30)年11月30日、厚労省はこの内容の愛称を公募して「人生会議」と呼ぶことに決めました。又、余り知られていませんが、この11月30日を「いいみとり」、「いいみとられ」の語呂合わせで「人生会議の日」と定めたのでした。

 このガイドラインの内容と経緯については、2018年8月1日、この項の第89回で取り上げていますので詳細はそちらをご覧頂きますが、2007年5月に最初のガイドラインが発表されました。

 その後、2018年3月14日付で、厚労省医政局地域医療計画課在宅医療推進室より、「『人生の最終段階における医療の決定プロセスに関するガイドライン』の改訂について」と題して改定されました。又、2019年11月25日には、「人生会議」を啓発するポスターを作成したものの、患者団体等からの批判を受け、翌日には取りやめとなり、大きく報道されました。皮肉にもこのことによって結果的には多くの人が「人生会議」を知ることになりました。皆様のご記憶にあると思いますが、ポスターには人生会議の名称を選定する委員でもあったタレントの小籔千豊さんが大写しで起用されていたものです。

Ⅲ-137 厚労省「人生会議」②~「人生会議」の対象は?~

 「人生会議」という言葉からは、「もしもの時のために備えるための会議」というイメージがあり、定年後のいわば高齢者が対象と受け止めがちですが、この会議の理念は、高齢者に限っているものではありません。若い人を含めた多くの人々に呼びかけています。

 私の病院勤務の経験からも様々な病気による「死」、交通事故をはじめとする事故「死」の若い世代の人々に出遭ってきました。そうです人の「死」は、高齢者に限ったものではないからです。

Ⅲ-138 厚労省「人生会議」③~「人生会議」はいつ開く?~

 この項の最初に「終活」について取り上げ、終活について話し合うことはなかなか容易でないことを紹介しました。「終活」(会議)と「人生会議」は同じことではありませんが、大いに参考になります。その「終活」(会議)でタイミングは、「日常会話の中で」が一番で、「家族・親戚が亡くなった時」と続きました。「日常生活の中で」というのは、その時たまたま話になったという側面が大いにあるのではないでしょうか。又、「‥‥亡くなった時」というのも終活を目的にしたタイミングではありません。全世代に必要な会議ですが、私自身の例として、高齢者の場合を考えたいと思います。

 先ず、「終活」(会議)も「人生会議」も、意識的に開催すべきではないでしょうか。では、そのタイミングはいつなのでしょうか。当然ですが、多くの場合は子供たちと一堂に会す時が一番です。お盆、年末年始、誕生日、特に還暦、古希、喜寿、ちょつと遅いですが傘寿‥等の記念日。等が考えやすいのではないでしょうか。私自身は、以前述べましたが、正月に孫たちも一堂に会した新年会の席で「人生会議」よりも「終活」に近い会議(と言うより私自身の決意を述べたものです)を持ちました。このときは事前に内容を吟味し、しっかり書面にして述べた正に意識した表明でした。

 「死」と関係が深いこのような会議は、やはり子供たちから親に尋ねるのはやりにくいものと思います。子供たち自身も「人生会議」が必要ではありますが、高齢者の方から積極的に話し合いの場を設けることが必要なのではないでしょうか。

Ⅲ-139 「終活」(会議)と「人生会議」の内容の一部

永代供養塔(内部)

 財産、遺産、病気になった場合、代理人、葬儀等に関する等々内容は多岐に亘りますが、「墓」に関することも重大な内容です。近年、当圓應寺で永代供養塔と永代供養墓を造りました。予想以上の申込みを頂いておりますが、申込みの動機を伺うと多くの方々が「終活」、「人生会議」の末に申込みを頂いていることが分かります。「墓」の選択は正に究極の「終活」と「人生会議」です。