いかに生き、いかに死ぬか

圓應寺 住職法話

住職法話 第100回

日々の生活の質をいかに高めるか
【生活の質の考察】108~111

「スーパーボランティア」

 お陰をもちまして今月で100回を迎えることが出来ました。ちりも積もれば…ということでしょうか。皆様のおかげです有り難うございます。

 さて前回のこの項では、「世界幸福度ランキング2018」について述べましたが、今回は私の浅はかさの暴露と自戒の念を込めて、尾畠春夫さんの生き様と心を打つ“教え”について2回に亘って考えます。そうです尾畠さんは、昨年(2018)8月、山口県で行方不明となった2才の男児を発見・救出、以後「スーパーボランティア」として話題になった方です。

Ⅳ-108 自分の時間をどのように使うか

鳥取・砂の美術館

 私たちは他人(親子でも夫婦でも)から貰うことも他人に譲ることも出来ない命という時間を持っています。その命という時間を自分のためだけではなく他人(家族、隣近所、友人知人等々)のためにも使うことの大切さをこれまでのも述べてきました。特に、この項の昨年(2018年)9月第90回「日野原先生の教え2」で詳しく述べました。
 そこでは「今生きている自分の命を輝かせていくこと」「自分が生きていることをどれだけ社会に還元できるのか、もっと言えば自分に与えられた命という時間をどれだけ人のために使えるかということが(大切)」という日野原先生の教えを紹介しました。その上で先生の教えは「仏教の生き方についての根幹である『自利利他行(じりりたぎょう)』そのものです。自己のための行(修行、日頃の行い、実践)だけでなく、自分以外の人々のための行が大切という教えそのものではないでしょうか。両者相まって自利利他円満となるのです」と結びました。
 今回取り上げる尾畠さんは、この心髄を生きる生き方そのものなのです。

Ⅳ-109 わずか30分で発見・救出

 警察をはじめ多くの人々の捜索にもかかわらず、行方不明から3日が過ぎ、希望を失いかけていた8月15日、尾畠さんは(当時78歳)捜索活動に参加してわずか30分(20分という報道も)で子供を発見。あらゆるメディアに取り上げられるようになり、以後「スーパーボランティア」と呼ばれるようになりました。
 当日、尾畠さんは子供の家で「発見したら直にお渡しする」と言い残して、捜索に参加しました。そして長いボランティアの経験から「子供は坂を上る方向に」との確信を持ち山に入り、救出したのです。

Ⅳ-110 警察に渡さず直接

 発見後、警察からの引き渡し要求に尾畠さんは首を縦に振りませんでした。そのため当初の報道では「??」と。後日、尾畠さんは報道陣に、「発見できたら直接お渡しします」と事前にご家族に伝えてたことを明かした上で、「大臣が来ようが関係ない。罰を受けても直に家族に渡したかった。警察が『渡してください』と来たけど、『イヤです』と言った」と。警察とのやり取りを説明しました。そして2才児を手渡した時の状況について、「お母さんはもう声が出なかったな。あの嬉しそうな顔は、一生焼き付いて離れんだろうな」と。

Ⅳ-111 私の浅はかさの暴露と自戒の念を込めて

 さて、2才児の発見・救出については、ご存知の通りマスコミで大々的に報道されました。私はたまたまテレビの前にいてこのニュースの第一報を目にしました。その内容は「2歳児は、発見時に成人男性と一緒」「捜索隊が3日間も探していたが、わずか30分で」等々の内容でした。直接の言葉はありませんでしたが、言外に「??」との疑問符がついたような報道でした。
 私自身大変恥ずかしいことですが、「わずか30分で?」「できすぎでは…?」との疑念を持ったのでした。後日知ったことですが、ネット上では、「もしかして誘拐犯と一緒にいたのでは?」「裏で金を要求しているんじゃない?」「前にも子供を助けた人、話がうますぎる」「炎天下で大人でも命が危ないのに、元気でいたのは…?」等々、疑念に満ちた見方が氾濫していたということです。
 私は、自分の疑念を他に発信こそしませんでしたが、尾畠さんに対して同じ疑念を抱いたのです。次第に尾畠さんの人格、考え、これまでのボランティア歴等を知ることによって、私の浅はかさを反省すると共に、心から尾畠さんにお詫びをする気持ちになりました。このような浅はかさは、今まで生きてきた私の常識の範疇で尾畠さんを評価したからに他なりせん。一つの出来事、個人に対する見方、考え方そして評価は、まずはそのまま受け止めることの大切さを改めて教えていただいたのです。本当にすいませんでしたそして有り難うございました。