圓應寺 住職法話
住職法話 第81回
仏教に見る祈りと教え
【仏教を今に生かす「いかに生きるか」の考察】
81~85
「弘法大師・空海 名言1」
前回のこの項では、弘法大師にまつわる「言い伝え」について述べましたが、今回はお大師さまの名言を紹介します。御大師様の名言は沢山ありますが、その中でも私がよく使わせて頂いているものを紹介致します。その他の名言については、「言い伝え」同様に専門家が多くの書籍で紹介しておりますのでそちらをご覧下さい。
Ⅴ-81 空海の名言 ①
「それ仏法遙かにあらず、心中(しんじゅう)にして即ち近し。真如ほかにあらず、身をすてて何(いず)くにか求めん。迷悟我れに在れば、則(すなわ)ち発心すれば即ち到る。」
この名言は、空海が記した「般若心経秘鍵(ひけん)」にある有名な言葉です。
「仏の教え(悟りの世界)は遙か彼方にあるのではなく、私たちのこころの中にあって、まことに近いところにある。悟りは、私たちの外にあるのではなく、自身の心にある。この身を捨ててどこにそれを求めることができるだろうか。但し、迷いも悟りも自分自身のこころにあり、悟りを求めようとする心をおこすことによってただちに仏の教え(悟り)に到達できる。」という意味で、真言密教の「即身成仏」の極意を意味したものでしょうか。
尚、かの有名な一休さんの名言の一つに「 極楽は西方のみかは 東にも北道(来た路)さがせ 南(皆身)にあり」というのがあります、この内容は御大師さんの名言と少し似通ったところが在るのではないでしょうか(密教思想ではありませんが) 。
Ⅴ-82 空海の名言 ②
「遠くして 遠からざるは即ち我が心なり 絶えて耐えざるは是れ我が性なり」
前項① の「それ仏法遙かにあらず……」の意味に続く言葉でしょうか。
これは天長4年(827年)、淳和天皇の異母兄である伊予親王(いよしんのう)の死去に際して、供養のために述べた文言です。
「遠いと思っていても 意外に近いのが自分の心、絶ったと思っていても なかなか離れないのが 自分の煩悩」という意味でしょうか。
Ⅴ-83 空海の名言 ③
「生まれ生まれ生まれ生まれて生のはじめに暗く 死に死に死に死んで死の終わりに冥し(くらし)」
空海の「秘蔵空論」にある一節です。この文章をいかに解すかについては、研究者によって色々あるようです。仏教界にあっては長いこと「輪廻転生」という考え方が続いてきました。つまり人は何回も生死を繰り返すという考え方です。この一節はこの考え方を踏まえて、空海の考えを表したものであることには間違いないということでは一致しているようです。その上での解釈です。
- 「人は何度生き死にを繰り返してもなぜ生まれるのか、なぜ死ぬのかを知らない。だからこそ輪廻を繰り返す」
- 「人の生命は、今の一生だけではなく、生まれる前も後にも、続いている。何回も、生死を繰り返ししているが、生まれる前の記憶はない」
- 私は「生まれて仏の教え・悟りをひらかないからこそ生死を繰り返す」と考え、「限りあるいのちをしっかり見据え、(自分と自分意外の人々のためにも)今をしっかり生きること」と考えたいのですが、どうでしょうか?
Ⅴ-84 空海の名言 ④
「心暗きときは、即ち遇(あ)うところことごとく禍(わざわい)なり。 眼(まなこ)明らかなれば途(みち)にふれてみな宝なり。」
空海の『性霊集』の一節です。自分の心が迷い、落ち込んでいたり閉ざされている(仏の教えに背いたり、道理に背いたりする)時は、なかなか心は晴れず素晴らしい人や現象等に巡り会っても自分の心に響かず、全て禍いとなってしまいます。一方で自分の心が明るく目が澄んでいれば、見るもの聞くものがことごとく自分を豊かにしてくれる宝となるのです。」という意味でしょうか。
確かに同じ本を読んでも、講演を聴いても、人との語らいでも自分の心を閉じていたときは何も響いてきません。しかし後で読み返したり振り返ってみた時、何故その意味や良さが分からなかったかを後悔するだけでなく、思いだして感動すら覚えることがあります。「心暗きとき」をなくし、清々しい心と明るい目をいつも持ちたいものです。
Ⅴ-85 空海の名言 ⑤
「虚空尽き衆生尽き 涅槃尽きなば 我が願いも尽きん」
天長9(832)年空海が初めて高野山で法要を行った万燈会(まんとうえ。人々の安寧を願う法要)での願文で述べたものです。
「虚空(宇宙、大自然)がなくなり、衆生(人々、いきているもの全て)がいなくなり、涅槃(仏の教え、悟り)がなくなってしまえば、私の願いもなくなる。」ということでしょうか。又、「全てなくなっても、私の願いはなくならない」ともとれるのですが・・・・。
実際には宇宙・大自然、人々、仏の教えもなくなってはいませんので、空海の願いは、今以て生きているということなのです。現に、空海は死亡したのではなく高野山奥の院で「入定」(この項の第66回 2016年09月01日付を参照下さい)されており、空海は今も私達すべてに教えを手向けているのです。