圓應寺 住職法話
住職法話 第80回
日々の生活の質をいかに高めるか
【生活の質の考察】86~90
「故宮沢章二氏と評論家でもある青木匡光氏の生き方」
前回のこの項では、「世界で一番貧しい大統領」と言われた、ウルグアイ前大統領ホセ・ムヒカ氏について述べました。今回は「心は誰にも見えないけれど『心遣い』は見える。……」の故宮沢章二氏と評論家でもある青木匡光氏の生き方について考えます。
Ⅳ-86 「心は誰にも見えないけれど『心遣い』は見える。……」
東日本大震災から今年(2017年)の11月で6年8ヶ月の歳月が流れました。当寺では震災直後から四十九日法要、 一周忌法要をはじめ毎年慰霊と復興祈願法要を執り行ってきました(この模様は「臨時法話」の項を参照して下さい)。 この間、震災直後から流れた、公共広告機構(AC)のコマーシャルの詩が随分見目に止まりました。最近は流れなくなりましたが、「心は誰にも見えないけれど『心遣い』は見える。 思いは見えないけれど『思いやり』は見える」というものでした。震災直後から「絆」の大切さが叫ばれ、人と人の繋がりの大切さが再確認された時期でもあり、この詩が妙に心に響いたものです。 震災からもうすぐ7年になろうとしています。当寺での法要は今年3月の七回忌を以て終了となりましたが、もう一度この詩を詠んでみたいと思ったのです。
Ⅳ-87 故宮沢章二氏の「行為の意味」全文
調べてみるとこの詩は、詩人である・故宮沢章二氏の「行為の意味」からの抜粋でした。全文を次に紹介します。
あなたの「こころ」はどんな形ですかと ひとに聞かれても答えようがない
自分にも他人にも「こころ」は見えないけれど ほんとうに見えないのであろうか
確かに「こころ」はだれにも見えないけれど 「こころづかい」は見えるのだ
それは 人に対する積極的な行為だから
同じように胸の中の「思い」は見えないけれど 「思いやり」はだれにでも見える
それも人に対する積極的な行為なのだから
あたたかい心があたたかい行為になり やさしい思いが やさしい行為になるとき
「心」も「思い」も初めて美しく生きる それは 人が人として生きることだ
Ⅳ-88 「こころ」「思い」だけではなく、積極的行為の大切さ
全文を改めて読んでみると、私たちが生きていく上で実に示唆に富んだ、実践的な生き方について説いていることが分かります。「あたたかい心」を持つだけでなく、「あたたかい行為」として実践すること。「やさしい思い」は大切だが、「やさしい行為」としての実践がより大切であることを述べています。
こころづかいも思いやりも人に対する積極的な行為、それは「人が人として生きること」と結んでいます。大震災で亡くなった方、被災者そして原発事故による被災者の方々には勿論ですが、「こころ」「思い」だけではなく、積極的行為として実践化することを日常生活の課題にしたいものです。
Ⅳ-89 日々の生活の質をいかに高めるか ~幸せになるためには~
エッセイストでありビジネス評論家でもある青木匡光(マサミツ)氏によりますと、「人間の幸せは人とのふれあい、心豊かに過ごす時間のトータル」として、そのために①足まめ ②筆まめ ③電話まめ ④世話まめ ⑤出まめ の五まめを身につけよう」と提唱し「すばらしい人に出会い、心の花を咲かせて生きよう。植物の花は何時か枯れるが、心の花は枯れることはありません」と言っています。
確かに私たちは、人々とのふれあいの中で、幸せを感じます。仏教に学ぶ生き方の中でも「他人のためにも生きる」という教えがあります。よく言われることですが、人は人と人の間で生きるからこそ「人間」であると。幸せのためだけではなく、積極的に生きるために、青木氏の言われる「五まめ」を実践していきたいものです。
Ⅳ-90 日々の生活の質をいかに高めるか ~熟年時代のしん友づくり~
前項の青木氏は、幸せで豊かな人生を送るために、熟年時代のしん友づくりに必要な「好感度」について述べていますが、 先ず「しん友」にも「親友 真友 新友 信友 心友 深友」など様々な「しん友」があるとしながらも、次の10項目の内5項目に該当することが「しん友づくり」に必要と説いています。
① エネルギッシュである ②食べ物に好き嫌いがない ③良くしゃべる ④姿勢がよい(特に人と接するとき) ⑤笑顔がいい ⑥目が生き生きと輝いている ⑦話題が豊富 ⑧服装がこざっぱりしている ⑨チャレンジ精神がある ⑩物事に真剣に取り組むエネルギー
以上の10項目中5項目に当てはまるひとはOKということです。「しん友」づくりもなかなか大変ですが、青木氏はこれに ⑪夢を持っているか ⑫自分らしい生き方をしている の2項目も追加しています。さて、私を含めて皆さんはどうでしょうか?