いかに生き、いかに死ぬか

圓應寺 住職法話

住職法話 第71回

仏教に見る祈りと教え
【仏教を今に生かす「いかに生きるか」の考察】

70~74

「弘法大師・空海 「弘法大師」の諡号(おくりな)」

 前回のこの項では、空海が日本に帰ってからの活動の概略、そして「入定」(入滅)まで述べました。 今回は醍醐天皇により「弘法大師」の諡号(おくりな)が贈られたことを中心に述べます。

Ⅴ-70 空海から弘法大師に

高野山・大門

 空海が入滅されてから86年後の延喜18(918)年、醍醐天皇により「弘法大師」の諡号(おくりな)が贈られました。ちなみに諡号とは、没後に朝廷から贈られる「贈り名」を意味しています。歴史上、天皇から贈られた大師号は27人もいるようですが、一般的に「大師」と言えばそのほとんどが弘法大師を指し、「弘法さん」「お大師さん」として親しまれています。これは、空海は高僧としてだけだはなく、書家、芸術家、科学者、哲学者などに秀でて、後述する弘法大師の数々の業績と無縁ではないようです。

Ⅴ-71 四国八十八ヵ所の霊場巡り ①

第一番 霊山寺

 お大師さまは若い頃、阿波(徳島県)の大瀧ガ嶽や、土佐(高知県)の室戸崎で修行されました。その因縁で42歳の時、阿波(徳島県)、土佐(高知県)、伊予(愛媛県)、讃岐(香川県)の四カ国を遍歴、お寺やお堂を建立されて、四国八十八ヵ所の霊場の礎となりました。徳島(阿波、1~23番)は「発心」、高知(土佐、24~39番)は「修行」、愛媛(伊予、40~65番)は「菩薩」、香川(讃岐、66~88番)は「涅槃(ねはん)」の道場と呼ばれ、遍路ではいつも大師様と一緒という意味を込めて頭にかぶる菅笠(すげかさ)に、「同行二人」と書きます。

Ⅴ-72 四国八十八ヶ所霊場巡り ②

第八十八番 大窪寺

 この様に故郷である四国においてお大師様が山岳修行時代に遍歴した霊跡は、四国八十八ヶ所霊場として残り、霊場巡りは幅広く大衆の信仰を集め、お大師さまと同行二人として、四国詣りをする人々が年間数十万人にものぼり、御利益(ごりやく)をいただいているのです。
 今や、四国遍路は宗教的な目的だけでなく、健康増進やパワースポットめぐりとしても賑わいを見せ、外国人の参拝も増えてきているようです。地元四国では遍路を「文化遺産」として、世界遺産登録に向けた働きかけをしていると聞きます。
 私も、檀信徒の方と平成22(2010)年、参拝させて頂きました。

Ⅴ-73 社会活動家としても

高野山・奥の院に続く参道口

 お大師様の偉業は真言密教として日本に広めたばかりでなく、満濃池の改修などの社会活動家として、衆生救済に貢献したことにあります。大師信仰が現在にも根強く生きていることは、八十八ヶ所を訪れることにより、いっそう深まるものです。今もお大師様は高野山奥の院にて禅定の世界に生きており、世界の平和と人々の幸福を願っておられます。信仰にあまり興味のない方も一度は観光を兼ねてでも結構ですので、四国遍路をしてみて下さい。四国の人々が暖かく迎えてくれますし、お寺を廻りながら自分を省みては如何でしょうか。

Ⅴ-74 空海伝説

高野山・根本大堂

 平安時代初期の空海が平仮名を創作、「いろは歌」も空海が。という伝説があります。当時の文字はほとんどが漢字で、読み書きはむずかしく、お大師さまはやさしい言葉 で、有名な「いろは歌」を作ったと長く語りつがれてきましたが、現在では俗説であると考えられています。又、全国に弘法大師が発見した(掘った)温泉、お造りになった仏像等々沢山の伝説があります。全国の庶民にいかに根ざしているかの証左なのではないでしょうか