いかに生き、いかに死ぬか

圓應寺 住職法話

住職法話 第64回

有限の人生そして死を意識して
【「いのち」の考察】63~67

「尊厳死について 延命治療 ~私の養母の場合~」

 この項については前回から「尊厳死」、「自然死」、そして又「安楽死」等について述べておりますが、今回はその2回目として私事ですが、「延命治療 ~私の養母の場合~」について述べます。

Ⅲ-63.延命治療 ~私の養母の場合~ ① 脳梗塞で突然倒れる

圓應寺の境内桜 ピンクの絨毯・・・「花の命は短くて・・」

 前住職の後妻としての養母は、2010年(平成22年、当時満89歳)11月、妻が夕食の声掛けに養母の部屋を尋ねたところ、異常に気付き、私のところに飛んで来て、「婆ちゃんの様子がおかしい!」と。 急いで様子を見に行くと、左手は動くも右手は不動、視線が定まらず特に右眼に力なく、言葉の呂律も尋常ではありませんでした。 「頭だ!!?」、即救急車を手配し、かつての勤務先「山形県立中央病院救命救急センター」に搬送。結果「左大脳の梗塞で、全体の三分の一から二分の一がやられており、良くて寝たきり状態(いわゆる植物状態)になる。」との診断でした。

Ⅲ-64.延命治療 ~私の養母の場合~ ② 脳梗塞で突然倒れる

 倒れた前日は、前住職の33回忌法要が執り行われた日でした。法要後は寺の役員と親戚縁者の皆さんで「お齋の席」(食事会)を持ったのですが、 その席で養母は寺の役員に「33回忌まで出来たのでこれで自分は十分、何時死んでも‥」等と言っていたということなのです。しかも……いわゆる虫の知らせとも言うべきなのでしょうか、 私は娘に「婆ちゃんもいい歳だから念のために写真を撮っといて」と頼んでいたのです。後で考えるとなんとも不思議な出来事でした。
 さて、救命救急センターに入り、「延命治療は?」との質問が主治医から有りました。妻と共に「婆ちゃんは元気なときから『延命治療は要らないから!』と 強く言っていたので最高の治療をして頂いても手が尽くせない状態になったときは、積極的な延命措置は要りません」と明言したのでした。

Ⅲ-65.延命治療 ~私の養母の場合~ ③ 脳梗塞で突然倒れる

 幸いにも急性期状態を何とか乗り切り、約3ヶ月後、一般の病院に転院となりました。この病院でも延命治療について同様の質問をうけ、同じ考えをお伝えしました。
 転院して暫く経った頃にチョット迷い、考えさせられることが起きました。主治医から「肺炎防止のためにも鼻腔からの経管栄養を止め、胃瘻を造設し、直接胃袋に入れたいのですが?」という質問が出されたのです。 胃瘻の造設は「延命治療」?。しかしよくよく考えますと自分の口から食べられない「経管栄養」自体が「延命治療」とも言えるのでした。
 迷い考える私に対して、主治医は「先々施設に入所する場合、胃瘻の方が施設にとって『管理しやすい』と言われます」と。この説明に「分かりました、宜しくお願い致します」と。 「延命治療」の範囲と区別は、実際の場になると中々難しいものがあります。本人が「鼻腔からの経管栄養も胃瘻も要らない」と宣言していた場合は別ですが、 単に「延命治療は要らない」というだけではその時その時で対応を考えなければならないのです。

Ⅲ-66.延命治療 ~私の養母の場合~ ④ 脳梗塞で突然倒れる

 2年ほどの入院生活を経て、症状固定の状態となり幸いにも特別養護老人ホームに入所することが出来ました。その入所の場合も同様の質問を受け、 文書を含めて同じ考えをお伝えしました。
 養母は入所後も意思疎通はままならなく身体的にも寝たきり状態でしたが、その状態で「安定」しておりました。 しかしある朝、職員がいつものように訪室したところ、既に亡くなっていたのです。「急性心不全」でした。
 従って、体力が次第に低下し、死期を迎え準備する様々な「延命措置」を考える余地がないままの状況下で養母は逝ってしまったのでした。 但し、病院と施設でしっかり質問を受け、しっかり生前の本人の意向を自分と妻、場合によっては子供達の言わば「証言」を含めて説明し、申し上げたことにより、 病院と施設はもしもの時の対応の仕方に方針を持つことが出来たのではないかと思っています。

Ⅲ-67.延命治療 ~私の養母の場合~ ⑤ 脳梗塞で突然倒れる

 この様な経緯で養母は亡くなりましたが、先に述べたように倒れたのは前住職の33回忌の翌日でした。寺の役員、親戚縁者も「昨日(あの日)はあんなに元気だったのに」「予言みたいなことを‥」と。 そして葬儀にはその日に娘が撮った写真が「遺影」となりました。正に元気だった最後の日の写真でした。 この様な経験から私も妻も、「最高の治療を受けても他に方法がない状態になったときは、積極的な延命措置は不要」ということを、三人の子供とその連れ合いに明言しております。 近く、文書にもしておかなければと思っているところです。