圓應寺 住職法話
住職法話 第60回
日々の生活の質をいかに高めるか
【生活の質の考察】65~68
「東大教養学部学位記伝達式での学部長式辞」
前回のこの項では、マララ・ユスフザイさんの「平和賞受賞演説」について述べましたが、 今回は、2015年3月25日に東大教養学部学位記伝達式での学部長式辞。次回は同年4月4日信州大学入学式での学長式辞を紹介します。この3月と4月の二人の式辞は、若い学生もしくは新社会人だけではなく一般の多くの人々にとっても生き方を考える上で大変参考になる内容であるため、大変な評判になりました。ご記憶されている多くの方々がいると思います。改めてその内容と教えを考えてみたいと思います。
Ⅳ-65 石井洋二郎・東大教養学部長の式辞 ①
石井学部長は、東大卒業式の有名な式辞として、1964年当時の大河内一男学長式辞を上げ、話題となった「肥った豚よりも痩せたソクラテスになれ」を紹介しながら、事の真実に自らの力で迫るよう卒業生に求めたのです。
石井学部長によると「大河内一男学長のこの言葉は、マスコミで大々的に報道されたが、次のように実際の式辞内容とは大きく異なっていた」ことを説明しました。
ⅰ この言葉は大河内一男学長の言葉ではなく、ジョン・スチュアート・ミル「功利主義論」からの引用であったこと
ⅱ J・S・ミルの記述は「肥った豚よりも痩せたソクラテスになれ」ではなく、本当の日本語訳は「満足した豚であるより、不満足な人間であるほうがよい。満足した馬鹿であるより、不満足なソクラテスであるほうがよい」と言う内容であったこと
ⅲ 大河内学長は「肥った豚よりも痩せたソクラテスになれ」を実際の式辞では語っておらず、マスコミに配られた原稿に書いてあったものが配信されてしまったこと。
Ⅳ-66 石井洋二郎・東大教養学部長の式辞 ②
以上の通り二重三重の間違いが重なった式辞が、今や伝説化していることを紹介。その上で石井学部長は、「皆さんが毎日触れている情報、特にネットに流れている雑多な情報は、大半がこの種のものであると思った方がいいということです。‥‥そしてあやふやな情報がいったん真実の衣を着せられて世間に流布してしまうと、もはや誰も直接資料にあたって真偽のほどを確かめようとはしなくなります。‥‥本来作動しなければならないはずの批判精神が、知らず知らずのうちに機能不全に陥ってしまう。‥‥あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること、この健全な批判精神こそが‥‥皆さんに共通して求められる『教養』というものの本質なのだ」と。
さらに「けっして他者の言葉をただ受動的に反復するのではなく、健全な批判精神を働かせながらあらゆる情報を疑い、検証し、吟味すること」の大切さを説いたのです。
Ⅳ-67 石井洋二郎・東大教養学部長の式辞 ③
さらに石井学部長は、ご自身の言葉を卒業生に贈ります。ドイツの思想家、ニーチェの『ツァラトゥストゥラ』に出てくる言葉「きみは、きみ自身の炎のなかで、自分を焼きつくそうと欲しなくてはならない。きみがまず灰になっていなかったら、どうしてきみは新しくなることができよう!」を紹介し、「自分自身の燃えさかる炎のなかで、まずは後先考えずに、灰になるまで自分を焼きつくしてください。そしてその後で、灰の中から新しい自分を発見してください。自分を焼きつくすことができない人間は、新しく生まれ変わることもできません。」と訴えました。
そして最後に石井学部長は「いま私が紹介した言葉が本当にニーチェの『ツァラトゥストゥラ』に出てくるのかどうか、必ず自分の目で確かめることもけっして忘れないように。もしかすると、これは私が仕掛けた最後の冗談なのかもしれません。」と付け加えたのです。
Ⅳ-68 石井洋二郎・東大教養学部長の式辞に学ぶ
情報社会と言われる現代、溢れる情報の中にあってただ生活しているだけで、情報は一方的にしかもドンドン私達に入ってきます。ましてやネット検索等で自ら情報を探し・求めるとなれば多くの情報を得ることが出来ます。私が関心を寄せている原発問題一つにしても、福島第一原発事故までは「原発は二重三重の安全が確保されているので絶対安全」という「安全神話」の中で、「原発は安全」と長い間思ってきたのです。いや、もっと正直に言えば、原発が安全か否かそのものを考えたことすらない自分であり続けていたのです。
今思えば、世界で唯一戦時下で被爆を経験した日本にあって、原子爆弾と同じ「核」を使った原発が本当に安全なのかをもっともっと考える必要があったのではないかと思うのです。石井学部長が言われるように、ことの原点つまり「一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること」が必要だったのです。この意味で石井学部長の訴えに納得です。