いかに生き、いかに死ぬか

圓應寺 住職法話

住職法話 第54回

有限の人生そして死を意識して
【「いのち」の考察】51~56

「定年後の“第二の人生”への切り替え スロージョキング」

 前々回と前回は「人生80年」の中、長い間働いて定年を迎えた場合の、「第二の人生」への切り替え方について、ご詠歌講の立ち上げ、早朝ウォーキングについて述べましたが、今回は、その3回目として早朝ウォーキング特にスロージョキングについて述べ、習慣化の大切さについて考えます。 

Ⅲ-51.退職時の生き方 ~第二の人生への切り替え~ 私の場合 ⑪

 前回述べたように僅か2年、60歳を過ぎた私の見事な衰えでした。しかし歩くことが苦手な私にとって、ただ歩きひたすら歩くというのは実に苦手で苦痛でした。
 一日一日「一大決心」をもって支度をし、出かけるのです。自分で「頑張ろう!」「三日坊主ではダメ!」(坊主が三日坊主では笑うに笑えません)。「自分で決めたことだから!」などと自分に言い聞かせながら必死に3日~一週間~一ヶ月、何とか続けることができました。
 このようにして三ヶ月ほど経過した頃からだったと思いますが、「一大決心」をしていない自分の変化に気づいたのです。そうです、これまでも述べてきましたように「ことが習慣化すればもう努力は要らない」という習慣化、読経の後のウォーキングは私の朝の習慣となったのです。

Ⅲ-52.退職時の生き方 ~第二の人生への切り替え~ 私の場合 ⑫

 そのウォーキング、最初は2キロ程をマイペースで、そして3キロから4キロになり習慣化した頃は現在の6キロ強となりました。この間「どうせ歩くなら速歩で」「タイムを記録して」という目標を持ったことも歩くことの励みになったと思っています。

Ⅲ-53.退職時の生き方 ~第二の人生への切り替え~ 私の場合 ⑬

 一昨年までは50分を切るタイムでしたが、昨年から次第に遅くなり、50分を切るのはなかなか大変で、52~55分、7千歩ちょっとが平均でしょうか。それでも背筋を伸ばし腕を曲げて後方に大きく振り、歩幅を大きくとってのウォーキングは、その後の脚の状態を見ても実にいい運動になっていると思っています。

Ⅲ-54.退職時の生き方 ~第二の人生への切り替え~ 私の場合 ⑭

ブータン・タクツァン僧院

 この様にして脚力にはかなりの自信が出来たのですが、私は大きな不安を抱えていたのです。平地を元気に、速歩で歩くことは何の不安も無いのですが、上り下りのある山路などは大の苦手なのです。
 と言うのも2012年、ブータンに出かけそのハイライトであるタクツァン僧院まで山登りをした時のことです。それまでも山路のようなところを苦手としていた私は、僧院までの登りの途中までロバに乗って大事を取ったのです。それでも山からの下りの途中、両膝上周辺の痛さから思うように歩くことが出来なくなってしまいました。乗ってきたロバは実に頭が良く、私を下ろして直ぐ自分だけで下山しており、ロバに頼ることは出来ず、私より先輩である方々から二本の杖を借り、杖にぶら下がるようにして遅れ遅れで下山したのでした。

Ⅲ-55.退職時の生き方 ~第二の人生への切り替え~ 私の場合 ⑮

 この様な経験は、10年以上前にスイスの山をハイキング的に下山したときに初めて体験。その後もトルコの大きな宗教施設で同様の痛みを体験していたのです。
 この不安を持っていた私に、昨年「スロージョギング」を勧める専門家の記述が目にとまったのです。「これだ!」と。こうして昨年(2014)11月からウォーキングにスロージョキングを取り入れました。より足腰に負荷をかけるためです。但し、ジョギングは字の如くゆっくりゆっくりです。膝に過度の負担がかからないように、歩幅は足の長さ程にし、足先から地面につくようにして衝撃を和らげるようにしています。従ってウォーキングより長い時間がかかり、当初は60~65分となりました。しかし効果はてきめん、始めて一週間はひどい筋肉痛に悩みましたが、その後は次第に体も慣れ、現在の所要時間は速歩より少し短い程度の時間となりました。脚腰は速歩のみの時とは全く異なる状態です。

Ⅲ-56.退職時の生き方 ~第二の人生への切り替え~ 私の場合 ⑯

ヒマラヤ山系のトレッキング

 このスロージョキングを基に今年(2015年)3月、ネパールに行ってきました(そうですあの大地震の前です)。この行程には三日間に亘ってヒマラヤ山系三箇所のトレッキングが組み込まれています。「初級から中級程度」のものですが、過去の体験から覚悟を決め、痛め止めやテーピングを持参しました。
 ところがこれまでのような痛みは一切無く、三日間のトレッキングを無事に成し遂げることが出来たのです。勿論、疲れはありましたが、痛みとは一切無縁だったのです。私は「スロージョキングが効いた!」と胸の内で。
 72歳となった自分がいつまで「健康寿命」を保てるか皆目見当がつきませんが、これら朝の習慣は自身の健康の一助ともなっているのではないかと思っています。