いかに生き、いかに死ぬか

圓應寺 住職法話

住職法話 第49回

有限の人生そして死を意識して
【「いのち」の考察】46~50

「定年後の“第二の人生”への切り替え 早朝ウォーキング」

 前回は「人生80年」の中、長い間働いて定年を迎えた場合の、「第二の人生」への切り替え方について、ご詠歌講の立ち上げを中心に述べました。今回は、その2回目として早朝ウォーキングについて述べ、習慣化の大切さについて考えます。

Ⅲ-46.退職時の生き方 ~第二の人生への切り替え~ 私の場合 ⑨-ⅰ

季節によっては暗い内からのウォーキングへ

 毎日4時前に起床して読経する習慣は、今日まで続いていますが、退職して2年経った頃に脚の弱体に気付いたことから早朝のウォーキングに挑むようになりました。その関係から、3時半~4時に起床し、朝の勤行後5時前にウォーキングに出かける習慣となりました。

Ⅲ-47.退職時の生き方 ~第二の人生への切り替え~ 私の場合 ⑨-ⅱ

 この時間帯は冬になると外は真っ暗ですが、懐中電灯の必要はありません。真っ暗と言っても黒ずみを流したような暗さではなく、どこからともなく届く光があるのです。雨の日も風の日も雪の日もせっせと歩くようにしています。

Ⅲ-48.退職時の生き方 ~第二の人生への切り替え~ 私の場合 ⑨-ⅲ

馬見ヶ崎川の岸辺

 行程は、寺を中心にしてぐるっと回る6キロ強。途中、山形の秋の風物詩として知られる「芋煮会」が開かれる馬見ヶ崎川(マミガサキガワ)のほとりを3㎞ほど進みます。
 ここは実に季節感一杯です。季節で異なる野鳥の鳴き声が暗い内から聞こえるのです。間もなくキジの「キーン、キーン」の声が聞かれる時期となります。
 このようにして季節感を頂きながら汗びっしょりとなって帰り、朝風呂となります。習慣というのはやはり恐ろしいもの‥?です。

Ⅲ-49.退職時の生き方 ~第二の人生への切り替え~ 私の場合 ⑩-ⅰ

馬見ヶ崎川

 このようにして現在の私は、「第二の人生への切り替え」が終了し、「第二の人生まっただ中」に居るわけですが、その切り替えがスムーズだったことからこそ、その一つとして早朝の習慣が現在も続いていると思っています。
 元来の私は歩くことが実に苦手でした。若いときから車に乗り、チョットそこまでも「車」でした。従ってウォーキングを始めることは私にとっては「一大決心」だったのです。その決心は女性よりも細く感じた弱々しい自分の太ももに気づいたからに他なりません。

Ⅲ-50.退職時の生き方 ~第二の人生への切り替え~ 私の場合 ⑩-ⅱ

日本一の芋煮会・三万人用の大鍋

 病院勤務時代の私は広い院内を一日約一万歩歩いていました。しかし退職後も忙しいのですが、動いているのは手先と口先だけで、肝心の脚はほとんど動いていなかったのです。「脚は膝上の筋肉から弱って細くなる」と聞いておりましたので、「これではダメだ!」と「一大決心」となったのです。