いかに生き、いかに死ぬか

圓應寺 住職法話

その他 住職略歴・臨時法話など

「臨時法話「平成26年 東日本大震災殉難者慰霊並びに復興祈願法要」開催」

1. 今年の法要

 大震災から丸三年が経過しました。 未だに多くの行方不明者、福島を中心とする避難生活を強いられている多くの方々、そして遅々として進まない復興。 現在もなお震災まっただ中にあると言わざるを得ません。
 これまでの標記法要は、「真言宗智山派山形村山教区」主催で、庄内、置賜教区の協賛をいただき、 山形県内の真言宗智山派の組織を上げて四十九日法要、一周忌法要、三回忌法要を実施して来ました。
 今年の法要は、当圓應寺単独で三人の僧侶に助法いただき実施しました。
 その模様を紹介いたします。

2. 集会の鐘

集会の鐘  常明寺中 茅原英盛師

 今回の法要は、三年前の震災日時・3月11日、午後2時46分を挟んで行いました。
 参加者は、当日は平日にも拘わらず、当寺の檀信徒、地域住民、観音奉賛会々員そして福島から避難されている方を含め、 約90人に及ぶ法要となりました。
 午後2時25分、当教区常明寺中・茅原英盛師による集会の鐘が響きわたりました。  

3. 総代・世話人の活躍

開会の挨拶 駒林 博 総代

 これまでの法要でも、縁の下の力持ちとして会場づくり・受付・駐車場・案内誘導・下足担当等の役割を担っていただいたのですが、 今回は進行・開閉会・主催者挨拶をはじめ、運営の全てを総代・世話人の方々に担っていただきました。

4. 主催者挨拶

主催者挨拶 髙橋茂雄 檀家総代

 これまでの法要でも、縁の下の力持ちとして会場づくり・受付・駐車場・案内誘導・下足担当等の役割を担っていただいたのですが、 今回は進行・開閉会・主催者挨拶をはじめ、運営の全てを総代・世話人の方々に担っていただきました。

5. 智山勤行式の奉読

 教区内の平塩寺住職・渡辺良仁師の経頭の下、地蔵院住職・村山英隆師、常明寺中・茅原英盛師の助法によって、 参加者全員による智山勤行式の奉読が行われました。

6. 響き渡る「智山勤行式」

 御詠歌講中の方々も参加されているため、堂内に大きく響く勤行式となりました。

7. 黙祷‥‥。

 「2時45分50秒をお知らせします。ピッ・ピッ・ピッ・ピーン」、NTTの時刻案内音声が堂内に。
 そして「皆様、合掌の上、一分間の黙祷をお願い致します」のアナウンスが流れ、 「2時46分丁度をおしらせします。ピッ・ピッ・ピッ・ピーン」の時報に合わせ、黙祷となりました。
 堂内が静寂の中、参加者全員が殉難者慰霊と一日も早い復興を願いました。

殉難者の位牌を前に

 この位牌は、当寺の檀家の方が、四十九日法要を前に自作により寄進したものです。今回もこの位牌を前に黙祷、読経、焼香が行われました。

9. 導師表白文 ①

導師を務めた私の表白文の概要を紹介します。

「平成二十六年東日本大震災殉難者忌慰並びに復興祈願表白文」

 敬って真言教主大日如来、 両部界会諸尊聖衆、‥‥弘法大師等三国祖師、惣じては尽空法界一切三宝の境界に白して言さく。
 夫れ、平成二十三年三月十一日十四時四十六分発生の東日本巨大地震と大津波は、本年一月十日現在一万八千五二四万人に及ぶ死者と行方不明者。
 ピーク時には四十万人を越え、いまもって二十七万四千人の避難者。建物の全半壊は三十九万戸以上。
正に人智をこえる未曾有の大被害を生む。
 本宗派にあっても物故者僧侶二名、檀信徒一千四二七名、全壊寺院二十七ヶ寺、一部損壊寺院三九八ヶ寺に及ぶ。
更には福島第一原子力発電所事故による放射能汚染という人災事故をも発生。
 二月二十六日現在十三万五千九0六人、内、五千五九九人の方々が当山形県内に避難、今なお厳しい生活を強いられている現状に。
本日茲に、福島県からの避難者の方々も参列し、殉難者の慰霊と被災地の一日も早い復興を共に祈念するもの也。
伏して想う。
 『人のいのちと健康は経済性に優先!』 この当たり前の精神に立ち戻り、自然エネルギー等の持続可能なエネルギー活用により、原子力発電によらない脱原発・卒原発を目指し、 子孫に明るい未来を提供するものぞと。
 大震災以降、当・真言宗智山派山形村山教区として四十九日忌慰霊法要、一周忌慰霊並びに復興祈願法要。
昨年には三回忌慰霊並びに復興祈願法要を厳修す

10. 導師表白文 ②

 以後、宗団にあっては被災地と寺院に写経と義援金を贈ると共に、本山に「東日本大震災物故者供養塔」を建立。 寺田信秀管長猊下御導師の下、本年二月に開眼。
 碑文には 『平成二十三年三月十一日 突如として東北地方を中心とした東日本を襲いし大震災と それに伴う 大津波は 未曾有の災害をもたらし  死者行方不明者は 一万八千人を超ゆ 更に東京電力福島第一原子力発電所の事故も加わる  誠に悲痛極まりなし‥‥‥‥茲に物故者諸精霊の追善菩提と 被災地の早期復興を祈念し 供養塔を建立す』 と刻印。
 当山・圓應寺にあっても満三年、大震災発生の同日、 同時刻に合わせ改めて殉難者の菩提と早期復興を檀信徒・地域住民・避難者が一堂に会して祈念するもの也。

南無大師遍照金剛
南無大師遍照金剛
南無大師遍照金剛

平成二十六年三月十一日          
真言宗智山派大慈山圓應寺導師
権少僧正 啓 芳 敬白

11. 御詠歌奉詠

 山形村山教区圓應寺支部講員による御詠歌、「いろは和讃」と「般若心経和讃」の2曲が唱えられました。
 一般の参加者は事前に配布された歌詞を見ながら御詠歌の心に浸りました。

12. 避難者を代表して

 山形村山教区圓應寺支部講員による御詠歌、「いろは和讃」と「般若心経和讃」の2曲が唱えられました。
 一般の参加者は事前に配布された歌詞を見ながら御詠歌の心に浸りました。

13. 住職挨拶と講話

 法要の最後に、私から参加していただいた皆さんにご挨拶と今回の法要を機にした想いを述べる時間を頂きました。以下はその概要です。
「皆さん、平日にも拘わらずお参りいただき誠に有り難うございます。
さて、今私たちは人生80年という時代に生きています。しかも『後期高齢者』と言われる75歳以上の方がますます増えています。
 中でも『超高齢者』と言っていいでしょうか、100歳を越える方が約4万5千人おります。この統計が始まった50年前の100歳以上の方は僅か150人程度でした。
 皆さん、50年前を思い起こしてください、当時の私たちの周りに100歳の方がいたでしょうか?
私は今70歳ですが、20歳当時この町内をはじめとした周辺に100歳の方がいたでしょうか?
全く記憶がありませんし100歳の人生自体、想定外の時代ではなかったでしょうか。
まして戦後暫くは、会社の定年は50歳、そして『人生50年』と言われた時代がありました。
 当時の男性は、汗水流して一家の生活基盤を築き定年を迎える。そして間もなくお迎えがやって来るという時代だったのです。しかし現代は、定年60~65歳、平均寿命80歳の時代です。つまり定年後約20年は生きなければならない時代なのです。
皆さん、人生80年、100歳以上も希ではなくなった時代ですが、死亡は何も変わらず確実に100%なのです。
 人生50年時代の人びとにとって、一年、一ヶ月、一日は貴重な一日であり一ヶ月だったはずです。
ところが飛躍的に寿命が伸びた現在、『死』が遠くなった、場合によっては『死は関係ない』、 『死を考えない 』ような日々を過ごしているのではないでしょうか。
 結果として、何となく一年が、何となく一ヶ月がそして一日が過ぎてしまっている生活の危険性を私たちは持っているのではないでしょうか。

 『死』は時として平均寿命とは全く関係ありません。
 三年前の大震災によって約2万人の方々が一瞬にして亡くなってしまいました。その人びとは老若男女に関係ありません。青春を謳歌していた多くの若者も命を亡くしました。
かの一休和尚さんが仏教としての考えを『裏を見せ表を見せて散る紅葉』と歌いました。
恋の歌でもありますが、『人生の生と死は表裏一体』という『生死一如』の想いを紅葉に託したものと言われています。
 皆さん、平均寿命は長くなり誠に有り難い時代になりましたが、『死』か゜なくなったのではありません。
 大震災で『もっと生きたかった』という思いで亡くなった方々の思いを胸に、一日一日を大事に生きようではありませんか。
 大事に生きることは自分のためだけに生きることではありません、自分以外の人びとのためにも生きるという事を、 今日の法要を機会に再度確認し、大事に生きることを確認したいものです」と。

14. 閉会宣言

 今回の法要に参加いただいた方々に「義援金」のご協力を頂きました。
 又、都合で出席できなかった多くの方々からもご協力いただき、合わせて113,500円の御寄進がありました。
 3月17日、皆様に約束通り当・智山派宗務庁に寄付させていただきました。宗務庁より被災寺院に届けられることになります。
 皆様のご協力に改めて感謝申し上げる次第です。誠に有り難うございました。

閉会の挨拶 今川政弘檀家総代と三人の総代

15. 翌日の毎日新聞

平成26年3月12日 毎日新聞 地方版
山形の地方版に法要の模様が報道されました。