いかに生き、いかに死ぬか

圓應寺 住職法話

住職法話 第34回

有限の人生そして死を意識して
【「いのち」の考察】27~35

「海外で出会った大自然の感動と生き方の感動」

 皆様と共に新しい年を迎えることが出来ました。

 東日本大震災・福島第一原発放射能汚染による被災者と避難され厳しい生活を強いられている方々に想いを馳せながら、今年が良い一年になりますことを心から祈念するものです。

 さて、この項の前回は一部刑務所の例を引きながら「有限だからこそ意味のある人生」について述べました。今回は海外で出会った大自然の感動と生き方の感動を紹介します。

Ⅲ-27.米国で見つけた生き方の感動

GRAND CANYON NATIONAL PARK

 昨年(2013年)、米国西海岸とグランドキャニオン等を旅してきました。
大自然の感動と感激を頂きに出かけましたが、思いがけずもう一つ大きな生き方の感動に出会うことが出来ました。
 海外で出会ったこの二つの感動についてご紹介します。

Ⅲ-28.グランドキャニオンの大迫力

グランドキャニオン

 コロラド川が地球の歴史と共に創り上げた大渓谷・グランドキャニオン。
 その縁に立った瞬間、足下が震える程の深さ、高さ、大きさ、ど迫力。大自然の力と芸術に圧倒されます。この感覚から来る感激と感動!正にこの想いをいただくための旅行でした。

 ところが、このツアーに目の不自由な方(以後、Aさんと言います)が参加されていたのです。

Ⅲ-29.グランドキャニオンの夜明け

夜明け

 早朝、ホテルを出て日の出のグランドキャニオンに。前日はにわか雨にうたれ駆け足で現地を引き上げた関係で、翌朝の天気を心配していましたが、少し雲があるものの晴天に。現地のガイドさんは「快晴より少し雲がある方が美しく、日の出観賞には最高なんです」と。
 観賞地に到着。辺りは結構明るくなっているのですが、なかなか太陽が出てきません。10数分待ったでしょうか。いよいよ対岸の岩(山?)陰が明るくなり太陽の上部が、そしてみるみるその全容を現します。あっという間に丸い太陽となりました。
 この日の出の時間帯は太陽の位置が低いため、大渓谷の対岸と谷間には日が当たりません。したがって写真のように光と陰の強烈なコントラストができあがります。これがよりいっそう渓谷の奥深さと神秘さを醸し出すことになるのです。
 さて、Aさんは男性で、奥様とおぼしき方の右肩にご自身の左手を添え、右手には白杖を持っての参加でした。旅のはじめから目がご不自由ということは分かったのですが、奥様とおぼしき方と歩くその姿と速度からご不自由ではあっても少しは見えていると思っていました。背筋はピンと姿勢良く、速度は自分とほとんど変わりません。ちなみに私の速度は一般の方よりかなり速いのです。

Ⅲ-30.可愛いリスが

 グランドキャニオンの荒れ地に、愛嬌良く顔を出し、人の側にも寄ってくる小さなリス。注視していると岩陰のあちこちにチョロチョロの姿。大自然の中に一風変わった生きもの。その対比に一行は思わずのほほ笑み。
 この大自然と美しい日の出に一行の口からは、「すご~い!」「うわ~!」「陽が出た出た!」「かわいい!」等々の感嘆言。目が不自由なAさんも渓谷に目をやり、一緒に感動し、喜びを共有しているのです。顔を崩しているその姿からその想いを十分に感じ取ることが出来ました。

Ⅲ-31.ヘリコプターからのグランドキャニオン

 縁から眺めるだけでも十分にそのすばらしさを見ることが来ましたが、ヘリからの眺めはこの渓谷の規模の大きさを改めて感じ取ることが出来ました。
 旅も後半に入り、一行は次第に顔なじみに。それなりに自己紹介等々も。私もAさんとお近づきになり、一緒にアルコールも。その中で、いろいろな話を伺うことが出来ました。ご本人のご了解をいただきましたので、Aさんのエピソードから私が受けた感動(そうです大自然の感動ともう一つの感動です)を紹介します。

Ⅲ-32.Aさんの略歴

サンフランシスコ・金門橋

 Aさんは、70歳前の方で、同行の方はやはり奥様でした。学生時代は山岳部に在籍し、多くの山々を歩いた「山男」だったそうですが、23歳時に眼に異常を覚え、受診したところ「あと10年で完全に失明する」との診断。その後現在の奥様との出会いがあり、「アト数年で失明」を承知で結婚されたとのことです。「医師の診断通り、きっちり10年経過した33歳で完全に見えなくなりました」と。

Ⅲ-33.ヨセミテ国立公園・滝

ヨセミテ国立公園・滝

 巨大な岩間から流れ出る滝、グランドキャニオンとは違った優しさを感じました。しかしヒョッとするとグランドキャニオンを見た後での風景だったのでそのように感じたのかも知れません。いずれにしても巨大な岩、滝、清流、森林に心和む自然でした。
 さて、Aさんはご兄弟と共に、海外旅行にはよく出かけているとのことです。今回も奥様と共に兄弟と一緒の旅行とのことでした。私は失礼を承知で次のようなことをAさんに伺いました。 「大変失礼ですが、目がご不自由な方はなかなか観光に出かけることは難しいのでは? ましてや海外旅行となると‥‥。Aさんにとって旅行に出かける意味合いは?」と。
 Aさんは真っ直ぐ私を見ながら(実際は私の方を向きながら…なのですが)応えてくれました。
「私も皆さんと同じように、大自然を楽しみに、感動をもらいに来ているんです。目は全く見えませんが、妻の肩から伝わってくる喜びと感動、周りの人々から伝わってくる感激、そこから自分なりに大自然のすばらしさを創造的(想像的)に感じ取ることが出来るのです」と。側にいた添乗員さんがそれを聞いて「長いこと添乗員をしているが、目がご不自由な方の参加は初めてです。今回のグランドキャニオンは、天気にも恵まれて『うわぁ~すご~い!』と思わず叫んでしまったら隣にAさんが居て『スイマセン!』と胸の内で謝っていたんです」。これに対してAさん 「いいんです、そういう感動的言葉があってこそ私も感動できるんです」と。

Ⅲ-34.ヨセミテ国立公園・森林と清流

ヨセミテ国立公園・森林と清流岳

 ヨセミテ国立公園ではやさしい『自然』を感じました。
 清流をゴムボートに乗り、公園内のホテルに滞在している自然満喫をする人々が家族で楽しむ光景を何度も見ることが出来ました。
 さて、Aさん。目はご不自由でしたが、話を伺いますと「心の眼」で大自然を見、感じ取っていたのです。奥様の肩に触れているとぎすまされた手の感覚、周りから聞こえる感嘆言を全て吸収する力、そして雰囲気を含めた総体を「心の眼」で感じ取っていたのです。体力的にも大変若く、前述のように歩く姿は健常者と全く変わりません。山岳部で鍛えた体という事もあるかと思いますが、それは学生時代のことです。素晴らしい心の眼が有ってこその体力でもあるのではないかと思うのです。
 Aさんの生き方、限られた人生をこの様に生きている姿。そうですご自身の残る力を最大限発揮して生きる姿勢に、私は大自然の感動と共にAさんの生きる姿勢にもう一つの大きな感動をいただいたのです。Aさん有り難うございました!

Ⅲ-35.ヨセミテ国立公園・山岳

ヨセミテ国立公園・山岳

 心の眼を通して大自然に感動。私は簡単に「心の眼」と表現しましたが、並大抵の努力で「心の眼」が開くものではないでしょう。Aさんにお会いし、お話を伺って感じたことは、Aさんご自身の生き方そのものが「心の眼」を開かせたのではないかということです。
 Aさん夫婦を含めた同行された四組のご夫婦は和気あいあい、Aさんの存在が少しも違和感なく、極々自然な雰囲気の中にあるのです。感動し、高らかに笑い、酒を酌み交わすその姿は目のご不自由さを感じさせるものではありませんでした。それはAさんご自身が積極的に親戚の方々と交流を持ち、どこにでも出かける前向きさ。そして常にラジオを通しての時事問題や世界情勢と歴史等への旺盛な知識欲。いつも話題の中心にAさんは居るのです。このような生き方こそが「心の眼」を開かせたように思うのです。
 限られた人生、それをいかに生きるかを改めて突きつけられたと同時に大きな感動をもいただきました。