いかに生き、いかに死ぬか

圓應寺 住職法話

住職法話 第29回

有限の人生そして死を意識して
【「いのち」の考察】22~26

「有限だからこそ意味のある人生」

 この項の前回まで「『いのち』とは何か 何故尊いのか」について述べて来ました。今回は「有限だからこそ意味のある人生」について述べます。

Ⅲ-22.「有限だからこそ意味のある人生」

平安神宮の庭園

 私たち人間は、太古の昔より「長寿」はもとより死ぬことのない「永遠の命」を求めてきました。死ぬことのない薬、若返りの薬等についての歴史や物語は数多くあります。しかし長年の人類の願いむなしく、「人はいつかは死ぬ」の定めは逃れようのない事実として認識されています。
 しかし考えてみますと、もしも「永遠の命」や「スペア」の命があるとしたらどうなるでしょうか。いつまでも命が続くとしたら人間には成すべきことも課題もなくなり、何もせずただただ動物としての命を保つことに、ただそこにいるだけの命になってしまいます。

 つまり、入学のための勉強・努力、家族のための努力、明日・明後日・一年後に向けての課題とそのための努力等々は不必要になってしまいます。そうです、今努力しなくとも、今課題に取り組まなくとも人生は永遠ですから、気が向いたときに努力すればよいのです。いや、永遠に取り組むことはなくなるのです。同時に仮に失敗したとすれば「スペアとして別の人生を過ごせばよい」ことになってしまいます。人間にとっての成すべきことの全てが意味を成さなくなるのです。
 こうしてみると、人生に限りがあり、スペアのない人生だからこそ「意味のある人生」なのではないでしょうか。

Ⅲ-23.「死を考える」

山形県米沢市 田んぼアート

 したがって、人生は死を意識しながら生きることが求められることになります。しかし日常の生活にあって常に「死を意識して」生きることは、私たちにとってそう簡単に出来ることではありません。しかし人生の節目節目で「死を考える」ことはそんなに難しいことではありません。
就寝前か起床時、週の初め、月の初め、年末か年始、年度末・年度初め、人によっては入学・卒業時、就職・退社時、20代と30代の境、40代と50代の境等々大きい節目だけではなく小さな節目時も大切にして死を意識するようにしましょう。
そうです!「死を考えることは、死に方を考えるのではなく、“生き方”を考えること」なのですから。

Ⅲ-24.「有限の人生と永遠の発想」

 作家・仲野孝次は、自著 「いのちの作法」(青春出版)で有限の人生について、大凡次のように述べています。 「人間は死すべきいのちを持った生きものであればこそ、永遠という観念を抱いたのである。
 ……滅ぶべき肉体を持った有限の存在なればこそ、その対極に無限とか劫とか永遠という観念をつくり出した。つまり、永遠という観念は、死すべきいのちを持った人間なればこそ、その価値がある。」と。
人生80年の長寿社会にあっても、やはり「有限の人生」をしっかり意識しなければなりません。

Ⅲ-25.死刑囚と無期囚の心理 ①

 加賀乙彦(医務官を務めた精神科医)「科学と宗教と死」(集英社新書)によりますと、いつ死刑執行日が来るか分からず日々緊張の中で生活している死刑囚と死ぬまで刑務所生活になる(加賀氏によりますと「無期刑」でも仮釈放の場合もあるが、死ぬまで刑に服すことになる囚人も多いとのことです)無期囚の心理には大きな違いがあるとのことです。
 まず、死刑囚は、「よくしゃべり冗談をとばし、歌ったり笑ったり非常に騒々しいのです‥‥躁状態はめまぐるしく変わり、今笑っていたかと思うとたちまち泣きじゃくり、うつ状態になったりする」とのことです。
 無期囚は、「腰が低く、ぺこぺことお辞儀をし、一見愛想がよいのですが、‥‥自由で生き生きとした感じはなく、ぼんやりした鈍感なこどものような印象」とのことです。

Ⅲ-26.死刑囚と無期囚の心理 ②

 死刑囚と無期囚の心理について加賀氏は次のように述べています。
「死刑囚は常に『いつ殺されるか』という興奮状態にありますが、無期囚は毎日毎日、判で押したように同じ仕事‥‥退屈を退屈だと思わなくなる‥‥感情を麻痺させ、無感動になり……全然別の人間になってしまう」
 この違いについて加賀氏は 
「死刑囚は毎日、『明日殺されるかもしれない 』という、非常に切迫した、濃密な時間を生き‥‥残り少ない人生を、大急ぎで有効に使おうと‥‥無期囚は 逆に、無限に薄い時間を生きています。……自由のない、同じような単調な毎日を繰り返しているのです。その灰色の毎日への適応が、刑務所ボケなのでしょう」と。
 死刑囚は毎日が緊張連続であることから、上記のようか感情の起伏が大きくなると言うことでしょうか。対して一生刑務所から出られず、単調な日々を過ごさざるを得ない無期囚は目標が定まらず、ただ生きているような生活となってしまうのではないでしょうか。日常の私たちも死刑囚の心理と比較することは出来ませんが、無期囚のような生活を避け、日々を大切に生きることを心がける必要があるのではないでしょうか。