圓應寺 住職法話
住職法話 第24回
有限の人生そして死を意識して
【「いのち」の考察】18~21
「“いのち”とは何か なぜ尊いのか 4」
前回のこの項に引き続いて、「『いのち』とは何か 何故尊いのか」について述べます。
Ⅲ-18.「いのち」とは何か なぜ尊いのか ⑮
【命の根源と死んで生まれる命】
宇宙は137億年前、ビッグバンにより誕生、天の川銀河の太陽は46億年前、そして我が地球は太陽系の3番目の惑星として45億年前に誕生したと言われています。生命の誕生は諸説あるものの38億年前、そして人類は1400万年前(ラミダス猿人は約440万年前、クロマニヨン人は約17万年前)と言われています。
このような壮大な歴史を経て、現在の私たちがあります。
さて、身体の設計図と言われる遺伝子。この遺伝子こそ生命の根源です。 生命誕生以来脈々と受け継がれて来た遺伝子ですが、その遺伝子が受け継がれ、数千万種類とも言われる生物が誕生しました。そして選び選び抜かれて私たちヒトが誕生したのです。
一方、前にも述べましたが、毎日3千~4千億の細胞の死があって、又新たな細胞が生まれるというのです。したがって遺伝子は私達の身体に留まるのはほんの一時のことと言えます。この「死んで生きる」を繰り返しながら命は壮大な歴史を刻んできたのです。
Ⅲ-19.「いのち」とは何か なぜ尊いのか ⑯
【日野原重明先生の「いのち」】
昨年(2012年)10月4日に101歳を迎えられた日野原重明先生(聖路加国際病院 理事長)は、「今伝えたいこと 大切なこと」(「NHK出版」)で大筋次のように述べておられます。「『いのち』は目に見えない。では何か? いのちとは、自分が自分の意図で活用できる時間である」とし、「そのいのちに自分らしさを吹き込めば、よりいきいきと生き甲斐のある人生を送ることが出来るでしょう」と。実に示唆に富んだ素晴らしい「いのち」についての考えと思います。そうですこの一日、いやこの一瞬をいかに生きるかが「いのち」そのものなのです。手前みそで恐縮ですが、私の考えである基本テーマ「限りある人生を『いかに生きいかに死ぬか』」に通ずるものではないかと思っています。
Ⅲ-20.「いのち」とは何か なぜ尊いのか ⑰
【精子と卵子の出会い】
今年2013年の3月、山形県立中央病院長を勇退される産婦人科医の小田隆晴先生は「生命の尊さ」(日本病院会雑誌2010年8月号)の中で、生命誕生の奇跡的出会いについて次のように述べています。
「個人の生命は、両親の配偶子1個当たりからみれば、440兆分の1の確率でこの世に存在することになる。~中略~ 1人1人が440兆分の1の確率で生まれたことを自覚すれば、親にも周囲にも感謝の気持ちも抱くし、自分の生命も大事にし、精一杯生きる気力が沸いてくるのではないか」と。実に天文学的出会いの結果、私たちが誕生したことになり、正に奇跡的な縁で結ばれた大切な「いのち」なのです。
Ⅲ-21.「いのち」とは何か なぜ尊いのか ⑱
この様にして誕生した命は赤子そのものです。ヒトも動物の一種ですが、他の動物は生後間もなく自分の力で歩き、飛ぶことが出来ます。そして短期間で一人前になります。しかしヒトが歩き出すには約一年を要します。以後、両親を中心とした手厚い養育、家庭・学校・社会教育を受け、十数年の長い期間を要して人間として独り立ち出来るのです。私たちの「いのち」は、自分だけの「いのち」ではないのです。多くの縁を頂いて今の私、今の貴方がいるのです。
この項の次回(8月を予定)は「有限だからこそ意味のある人生」について述べます。